2011年12月31日土曜日

日本の美、金魚をここまで極めたか。深堀隆介「金魚養画場」

昨日長野県に帰省しました。寒い。

(私のアクセス可能な図書館の中では)唯一地元の図書館にしかなかった本を、2冊借りてきてもらっていました。そのうち1冊を、年内の読書リストに滑り込みで加えます。文章ではなく、写真集ですが。

金魚養画場 [大型本] / 深堀 隆介 (著); 文芸社 (刊)



これは……予想を超えた。凄かった。

深堀氏の描くのは日本の美、金魚、ひたすら金魚です。中でも、樹脂を流し込んでは絵の具を塗り、樹脂を流し込んでは絵の具を塗りという作業を何回も繰り返して立体的な作品を生み出すという、氏独自の技法によって描かれた金魚は、本当にそれが水の中を泳いでいるという錯覚を起こさせるほど美しいものでした。平面作品も、それに劣らず美しかったです。樹脂の作品には夏の縁日で感じるような涼しさ、平面作品には金魚の優雅さ、荘厳さを感じとりました。

意識していませんでしたが、金魚がこんなにも日本に根付いた文化だったのかと強く思い起こさせる作品の数々でした。40歳にもなっていない深堀氏ですが、作品に年齢以上の深さを感じました。

美しい。どれもこれも。

これら純和風の作品を見て、私も俄然、書道の創作意欲が湧きました。以前から書道でやりたいことはたくさんあったのですが、時間とお金の問題上(前者はどうとでもなるけど後者はなかなか難しい。)、実行できずに頭の中でぐるぐるしています。書道がしたい。

実は私も、他に選択肢が無かったら美大とか芸大に行きたいなあという夢がありました。本気で考えてはいませんが。書道ではなく、日本画とかデザインとか陶芸とかを学びたかった(そして正直今も学びたい)です。

ともあれ、年の瀬に、いいものを見ました。これは買いだ。

深堀隆介のオフィシャルサイトはこちら

2011年12月26日月曜日

「東日本」で激動の今、「阪神・淡路」の報道写真集を買ってきた

数百年に一度の規模と言われる東北地方太平洋沖地震。地震から9か月半が経った今も、新聞のあちこちに震災関連の記事が見られます。

そんな状況で折しもあれ、クリスマスイヴの24日、BOOKOFFで阪神・淡路大震災の報道写真集を見つけ、買ってきました。(800円でした。)

報道写真全記録―阪神大震災 [ペーパーバック] / 朝日新聞社 (著); 朝日新聞社 (刊)

「阪神・淡路」は「東日本」以前は戦後最大だった震災ですから、今年の地震と比較してみるのもいいかもしれないと思いましたし、私はその震災をぎりぎり知らない世代の人間なので(その頃まだ2歳)、今ここで出会ったのも運命、これを機にもっと知っておきたいと思ったのも買った理由です。

地震を取り巻く環境は、「阪神・淡路」以降、もしくは「阪神・淡路」がきっかけとなって大きく変わりました。携帯電話の普及でダイヤル式の電話を臨時で設置する必要は無くなりましたし、(詳しくは知りませんが)甘い耐震強度は見直されたはずですし、そして緊急地震速報によって地震情報をただちに知ることができるようになりました。

ただ、「想定外」と油断が招いた震災であったことは、「東日本」も「阪神・淡路」も同じでした。

2011年12月25日日曜日

オリバー・サックス医師の「妻を帽子と間違えた男」

Merry Christmas!

先日読んだ「ぼくには数字が風景に見える」に出てきた、妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション) [単行本] / オリバー サックス (著); 高見 幸郎, 金沢 泰子 (翻訳); 晶文社 (刊)が面白そうだったので、世間がクリスマスムード一色の中、読みふけっていました。



30年近く前にアメリカで発売された本書はベストセラーで、著者のオリバー・サックスは、「20世紀のもっともすぐれたクリニカル・ライター」と言われています。

本書には、脳神経的な異常により、不思議な症状が現れた人々の話が24編も収められています。すべて著者が診た人ばかりで、タイトルにある、妻を帽子と間違えた男の話や、記憶を無くし、際限なく作話をする男、子供時代のアイルランドの歌が突如として頭の中にリピートし始めた老婆の話など、脳の奥深さを感じずにはいられない奇妙なケースばかりです。

しかし、これらを面白半分に、珍しいものを見るような目で読むのは、著者の意図の全く異なるということを、書き漏らすわけにはいきますまい。サックスにとって、そして医学にとって、最も関心を寄すべき対象は、病気ではなく、それと闘う人間なのです。例えば記憶が無くなって自分のアイデンティティが無くなっても、それを取り戻そうと苦悩する人間こそが、中心に置かれるべきだと彼は考えるのです。事実、本書の24編は、事実の記録というよりは、多少哲学的で、彼の患者への深い愛情が伝わって来ます。(哲学的なことが苦手な私には、本書の「はじめに」の時点で拒絶反応が出たことは隠すべくもない事実ですが、最後まで読んで今は満足しています。)

本書は例に漏れずICU図書館で借りましたが、手に取ってみると表紙はぼろぼろ。ハードカバーが破れてしまいそうだったのか、背表紙はテープで補強してあり、これが数多くのICU生に読まれてきたことを何よりも物語っていました。裏表紙の中、ICU図書館がアナログだった時代の遺物、貸出期間票を見ると、配架日時は1992年の私の誕生日とほぼ同じ。(これ貸出期間票っていうのか。調べるのに苦労したぜ。まだ売られてるのも驚き。)92年の配架時から00年の2月まで、実に46回も借りられていました。年に約6回です。00年もそのスピードは全く落ちていませんでした。

ちなみに、5年とかそのくらい前のこと、途方も無く大きな素数を楽しそうに言い合うとんでもない双子の話を聞いたことがあって、それが本当なのか半信半疑でした。ですがその話が、何と本書に載っていました。今になって、その話が噂でもなんでもないのだと確かめられたのです。

滅多に起こらない、読書を通した良き偶然の出会いでした。

2011年12月19日月曜日

共感覚者ダニエル・タメットの半生「ぼくには数字が風景に見える」

共感覚や、サヴァン症候群に惹かれます。

共感覚とは、1つの感覚の刺激に対して、他の感覚が連動する知覚現象のことです。最も典型的なのは文字や数字を見てそれに色を感じるタイプですが、他にも、味に形を感じるという共感覚者などもいます。(この味はとがっている、というふうに。)共感覚はごく限られた人が持つ、原因不明の能力です。

サヴァン症候群とは、自閉症など脳に発達障害のある人が持つ、計算、記憶、芸術における超人的な能力のことです。例えば、過去から未来にわたって何千年、何万年の日付の曜日を一瞬で当ててしまう人、1度見た風景を瞬時に記憶し、それを何も見ずに正確に描く人、途方もなく大きい数が素数か否かが、考えなくともわかる人、天才的な暗算能力を持つ人などがいます。

私は、そんな共感覚とサヴァン症候群の不思議にとりつかれていました。

昨日まで読んでいた本は、共感覚、サヴァン症候群、アスペルガー症候群を併せ持った青年ダニエル・タメットが自身の半生を綴った、ぼくには数字が風景に見える [単行本] / ダニエル・タメット (著); 古屋 美登里 (翻訳); 講談社 (刊)です。



アカデミックで小難しい話は全く無い、純粋にタメットの驚くべき経験の数々が淡々と綴られており、私にとっては面白いことこの上なく、1ページ1ページが彼の不思議な世界に満ち満ちていました。とても難しいと言われる言語をわずか1週間でマスターしたり、円周率の暗唱でヨーロッパ記録を樹立したりと、冗談ではなく、本書には「普通の」人には経験できない世界が広がっています。あとは、本書をお読みください。もちろん、アスペルガー症候群であったために、彼の子供時代は孤独と苦痛との闘いだったことも付け加えておかなければなりますまい。(タメットの公式ウェブサイトはこちら

そう言えば、2005年に、イギリスで制作された彼のドキュメンタリーがNHKで放送されて、面白そうだったのに私は見逃してしまって、最後の1分くらいしか見られなかったのですが、それがタメットだったとは本書を読んでわかりました。

ちなみに、サヴァン症候群を持つ人は大抵コミュニケーションの障害を持っていて、自分のことをうまく表現することができません。タメットが本書を執筆し、多くの人にアスペルガー症候群やサヴァン症候群のことを知ってもらえたのは、彼の障害が軽度だったために他なりません。

タメットが本書を書いてくれたこと、私が本書に出会えたことを、幸運に思います。

2011年12月17日土曜日

眺めるだけでも楽しいJ.ニールセン著「ウェブ・ユーザビリティ」

師走の訪れとともに冬学期(=3学期)が始まって、新しいことにも挑戦して、そして急に寒くなったせいで風邪をひいて、本を読む時間がこま切れになってしまいました。3日前まで鼻を垂らしながら読んでいた本は、先月13日の記事で紹介した本に言及されていた、ウェブサイトの使いやすさに関するものです。

ウェブ・ユーザビリティ―顧客を逃がさないサイトづくりの秘訣 [単行本(ソフトカバー)] / ヤコブ ニールセン, 篠原 稔和 (著); グエル (翻訳); エムディエヌコーポレーション (刊)



そのときの記事でも書いたように、私はウェブデザイン「鑑賞」が好きで、クールなデザインのサイトに出会うと、それだけで嬉しくなっちゃって、逆に、簡素なHTMLで書かれたような一昔前のデザインのサイトを見ていると、ストレスが溜まります。例えば、「ブクレコ」というソーシャルブックコミュニティーや、Harvard Universityや、Appleのサイトは、は洗練されていて、最先端のデザインなので好きですが、私も何度か行っている新宿の書道用具店「キョー和」のサイトは、お言葉ですが洗練されているとはお世辞にも言えません。

本書は、ユーザーに使いやすいウェブサイトを作るテクニックを、300ページ以上にわたって網羅的に書いた、教科書的な本です。実際のサイトのスクリーンショットもたくさん載せ、その良い点や悪い点の指摘もしており、当時のデザインをビジュアルで知ることもできます。

著者と出版年にも注目です。著者のヤコブ・ニールセンは、インターネットの普及以前からユーザビリティの研究をしており、ウェブ・ユーザビリティの最初期の、最も有名な専門家の一人です。出版年は、原本、邦訳ともに2000年で、ICU図書館でもざっと見てみましたが、この類の本はそれ以前にはほぼ皆無でしょう。(当時のインターネットの普及度から見てもそう言えそうです。)類書は山ほどありましたが、本書が最も基本的でバイブル的な存在でしょう。本書で指摘されていることのほとんどが、今は達成されていることを考えれば、ニールセンの先見の明、または影響が窺い知れます。90年代後半というと、Googleがβ版の時代、800x600以下のPC画面サイズが7割近い時代でした。(このサイズは00年代後半に携帯電話に抜かれてしまいます。)

私はニールセンの意見にほぼことごとく賛成です。まあですから刺激的な読書だったかと言えばそうでもないですし、単なる私の好みの再確認に過ぎないかもしれませんが、それでもとても内容が濃く、楽しい本です。

以上が本書の概説でした。以下もう少し細かく、興味深かったことと気になったことを箇条書きします。

・十数年前は接続速度が桁違いに遅かったので、ページを開くのに数十秒も待つというのはざらだったようです。そのためページサイズをなるべく小さくする方法が詳しく書かれていたり、英語版の著者のプロフィールに、「彼のサイトはテキストのみで、とっても速く動きます。(CR訳)」というジョークまで書かれていたりするほどでしたが、今や時代は全く変わりましたね。(実は彼のサイトはいまだにテキストのみです。その理由は、彼自身デザイナーではないのでデザインにお金を掛けたくないし、わざと時代遅れのデザインにして過度な装飾のサイトを非難している、ということだそうです。(参考:本人による説明ガーディアン紙の記事))

このちょっと面白い例があります。東大の非公式情報サイト「UTnavi.info」に、1998年から今年2011年までの駒場祭の歴代ウェブサイトへのリンクがあります。一番古い98年のと、今年のを比べると、情報量の増加とデザインの進歩に感嘆せずにはいられません。

・英語の原本も借りて比較してみましたが、元はオールカラーなのに、邦訳はオール白黒。画像も何枚か削られていて、原本の最後の数ページの章、「Recommended Readings」は丸ごと無くなっています。(まあこれは翻訳の性質上しょうがないか。)あまり歓迎されたことではありませんね。

・著者が「Macが消える」と予測したのは面白い。実際は正反対で、今Macは(日本ではまだそうでもないけど)世界のスタンダードみたくなっていますね。

・最後にもう1つ。全体を通して気になったことですが、文章が下手。著者のせいか訳者のせいか、断定はできませんが、訳者のせいだろこりゃ、というところが多かったですね。しかも、誤訳をとりあえず1つ見つけました。日本語が変だったので、元に当たってみたら、やっぱり(そこじゃなかったけど)その周辺で訳し間違えてました。著作権の問題があると思うので、本文は載せませんが、原本385ページの最初の2文(邦訳331ページの最初の2文)は、私なら、「ウェブは印刷物ではないし、ホームページは雑誌の表紙ではない。」と訳します。自信ありです。

2011年12月2日金曜日

英語や日本語やモホーク語を作る「レシピ」とは

ボリュームたっぷりでした。もうおなかいっぱい。

やっと読み終わった、言語のレシピ―多様性にひそむ普遍性をもとめて [単行本] / マーク・C. ベイカー (著); 郡司 隆男 (翻訳); 岩波書店 (刊)は、学術書の中でもかなり中身が詰まっていて、決して易しくなかったので、時間はたっぷりあったのに読了に10日近くかかりました。



本書は、パラメータという、現代の言語学の非常に有力な理論についての一般向けの入門書です。その理論は、簡潔に言うと、多様な化合物が100余りの元素から成り立っているように、多様な言語は有限個のパラメータという「スイッチ」の設定によって成り立っているというものです。

パラメータ理論で、言語に関するいろいろな説明が簡潔になります。例えば子供は、白紙の状態から言語を学ぶという非効率的なやり方をしているのではなくて、生来備わっているパラメータの値を設定していくことにより効率よく学んでいるのだと考えることができます。また、英語には常に主語がなければなりませんが、イタリア語やスペイン語は場合により主語が省略可です。このとき、空主語パラメータというものが想定され、英語ではそれがオフに、イタリア語やスペイン語ではオンになっていると考えるのです。

著者は、このパラメータ理論を押し進め、英語と日本語、英語とモホーク語(北米の先住民族の言語)という、あまりにかけ離れた言語も、パラメータのレベルではそれぞれたった1つの値しか違わないと結論付けます。見た目が全く違っているのに、たった1個のパラメータでその違いが説明できるというのです。

著者は、パラメータが全てを説明するという考え一筋なので、彼を信じるかどうかは読者次第ですが、私は、パラメータというものはどうやらありそうだと思いますし、彼の理論も一応筋は通っていそうだと感じています。

後半に行くにつれて難しくなっていったので、読むのが大変で、理解せずに読み進めてしまったところもありましたが、なかなか興味深かったです。

2011年11月30日水曜日

御岳渓谷、鳩ノ巣渓谷:この山奥も一応東京

ICUは大学には珍しい3学期制で、実は11月の第3週(18日)をもって秋学期(2学期)は終わりました。今は3学期制の産物としての10日ほどの秋休みを楽しんでいます。実は今日で終わりなんですけど。

この休みを使って、友人はディズニーランドに行ったり、高知に旅行に行ったりと、出かける人が多いので、私も便乗して、5日前(25日(金))にひとり紅葉見物に行ってきました。

色々迷いましたが、お金と時間をあまり使いたくなかったので、ともに青梅線沿いの、御岳渓谷と鳩ノ巣渓谷(東京の西の西)に行きました。2か所です。贅沢でしょ。

本当は日原(にっぱら)鍾乳洞という関東では有名な鍾乳洞にも行きたかったのですが、バスまで使って東京の奥の奥まで行くのは面倒だったので、この2か所の紅葉で妥協しました。

9時前に家を出、ほぼ2時間後に御嶽駅に到着。平日のせいか、青梅駅あたりからご年配の方しかいず、大学生らしき人は激レアでした。渓谷は駅から徒歩数十秒。渓谷を歩き始めてすぐ気付きましたが、紅葉がかなり少ないです。まだ色付いていないのではなく、そもそも紅葉する木が無いのです。「Yahoo!紅葉特集」にだまされました。私の写真はいいところだけ撮っているので、多いように見えますけど。



昼食は駅の向かいの東峯園というところのカツカレーでした。(私が作った方がおいしいと思いm)

13:20頃、御岳からさらに3駅分東京の奥、鳩ノ巣駅に降りました。御岳渓谷はそれでも観光地で、おじさんおばさんがたくさんいたのに、鳩ノ巣渓谷になると人が激減し、駅では私以外に1人しか降りませんでした。そういえば、御岳も鳩ノ巣もかなりの山奥で田舎なので、Suicaが使えるだろうかと不安になりました。

駅から徒歩数分で、渓谷の入り口です。御岳より山奥とあって、そこよりかなり谷が険しいです。ですがその分、雄大な景色が広がっていました。高い崖、巨大な岩、青く渦巻く清流。そこはまさしく秘境でした。人もほとんどおらず、ゆっくりと荘厳な渓谷の風景を楽しむことができました。ここも紅葉は多くなかったので、楽しんだといっても、私は主に岩を楽しんだんですけどね。岩好きには、ここは穴場だと思います。





14:48、鳩ノ巣駅を発ち、また2時間以上かけて家の立ち並ぶ平野に戻って来ました。紅葉が少なかったのが、残念でした。

2011年11月29日火曜日

法隆寺を建てた飛鳥の技:西岡常一「木に学べ」

いい読書だった。

高校か中学の国語の授業で1節だけ読んだことがあって、木と宮大工と古代の建築技法とに魅せられたのを思い出して、先日ICU図書館で見つけ出して読んだのは、木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫) [文庫] / 西岡 常一 (著); 小学館 (刊)です。


本書では、法隆寺の棟梁であり、薬師寺の棟梁も務めた西岡常一(つねかず)氏が、木や道具や法隆寺や薬師寺や宮大工について語ります。ベストセラーにもなったそうです(Amazonの商品の説明のページより)。

本書を読んで私が思えらく、西岡氏はここ50年で最高の宮大工ではないでしょうか。彼は飛鳥時代の工法を受け継ぎ、木の癖を見抜くプロであり、そして昭和前半の法隆寺の解体、修復に携わった最後の宮大工でした。

それにしても、飛鳥時代の工法の成熟度には目を見張ります。信じられないくらいです。道具も鉄も釘も木の知識も建築物の力学も、今よりずっと洗練されていて、効率がいいのに、今ではほとんど忘れられています。何種類もの鑿(のみ)、絶対に抜けない和釘、1000年以上持つヒノキ材などなど、1300年も前に大工たちはこれらを知っていたのですから、本当に驚くばかりです。

宮大工は、後継者不足というよりも、伝統工法を受け継がせるのが難しいというのが問題のようです。現在は古代建築の再建などはほとんど無く、宮大工が育たないのです。
将来消えてしまうかもしれない古代の工法や建築の妙の一端を、よくぞ本にまとめてくれた。また西岡氏個人の記録としても、よくぞ残してくれた。読みながら、何度も何度も、そう強く思いました。

本書の良さは、実際に読んでみないと分かりません。数ある類書の中でも、これは真っ先に読むべきバイブルではないでしょうか。

2011年11月22日火曜日

梶井基次郎「檸檬」「城のある町にて」ほか

梶井基次郎の文章は美しい、彼のルックスと文章の美しさとのギャップが大きい(梶井基次郎カワイソス)、という風の噂を聞いて、彼の小説の中から「檸檬」、「城のある町にて」、「路上」、「冬の日」を読んでみました。

檸檬 (新潮文庫) [文庫] / 梶井 基次郎 (著); 新潮社 (刊)



思ったほど文章が美しいとは感じられませんでしたが、彼独自の小説を感じることができました。梶井基次郎の作品の特徴は、自身の体験を基に、主人公の境遇の記述は最低限に抑えて、その心の動きを描こうとしたことだと言えるでしょうか。こういうのは私小説と言われるそうですね。特に彼が患っていた肺結核の苦しみを描いたものが多く、作品に鬱々とした雰囲気が感じられました。

自身の体験の再構成という彼の作風ゆえ、小説というよりも、個人的に書かれた、まとまりのない日常の記述というふうに見えなくもない部分が時たまありました。そういう点から見ても、有名な「檸檬」は私に一番なじみやすい作品でした。

2011年11月21日月曜日

「自然界にひそむ「5」の謎」は未解決である

がっかりした。このがっかりを表すには、いつものようなですます調ではだめだ。

先日読んだ本は、4、5年探していたものだ。

自然界にひそむ「5」の謎 (ちくまプリマーブックス) [単行本] / 西山 豊 (著); 筑摩書房 (刊)



著者が本書を書いたのは、シンプルかつ魅力的な疑問からである。すなわち「正5角形を作図するのは難しいのに、ヒトデのごとき下等生物がなぜきれいな5角形を作っているのか。」(分度器で72度ずつ測るのは禁止だ。数学における「作図」とは、目盛りのない定規とコンパスのみを用いて図形を描くことをいう。)そう、確かに不思議である。5角形の作図が難しいだけでなく、5は数学的に不安定である。他の数字はというと、1はすべての単位であり、2は対称形を作ったり直線を定めたりし、3は平面を定め、正3、4、6角形は平面を充填する。特に1、2、4、6は、自然界にもいくらでも見つけられる。(頭や口は1個、目や羽や触角は2個、犬の足は4本、昆虫の足は6本、蜂の巣穴は6角形。)このように5は自然に存在しにくい数なのに、なぜかヒトデは5本の腕を持ち、多くの花弁は5枚である。その謎を解くことは、とても意義があるはずだ。

実は本書の3分の1か半分は、中学生のときに読んでいた。本書のテーマに当時から興味をひかれていたが、続きを読もうとしたら、どういうわけかいつの間にか中学校の図書館から無くなっていた。高校生のときにこの本の存在を思い出して、近所の図書館を探してみたが、見つけられなかった。東京に引っ越してきて、ようやく近くの図書館で見つけた次第である。先ほど4、5年探していたと書いたのは、こういうわけだ。

数年越しに出会えた、良書だと思っていたのだが……。

がっかりした。

こじつけもいい加減にしてほしい。論理の飛躍も甚だしい。

本書は「ヒトデはなぜ5本腕か」と「花びらはなぜ5枚か」の2部に分かれているので、まず前者から見てみよう。突っ込みどころはたくさんあるが、逐一書いていく時間も気力もないので、決定的なところだけを例に挙げよう。

著者は、ヒトデの5本腕は、その発生初期の32細胞期の割球の配置と、準正32面体(または切頂20面体)という、サッカーボールでおなじみの正5角形と正6角形でできた立体で説明できるのではないかと(何の根拠も無く)仮定した。著者によれば、準正32面体において6角形の周りは5角形と6角形が混ざっていて不安定だが、5角形の周りはすべて6角形だから安定だという(図参照)。そして結論において、著者は思考実験ですらない、ある種の妄想を行う。彼は、ヒトデの割球に聞いてみたそうだ。「5角形に座るのと、6角形に座るのとではどちらがいいか」と。そしたら割球は5角形に座りたいと答えたそうだ。かくして、ヒトデは以降、中心の5角形を基に組織を作っていくので、5本足になるのだとさ。

非科学的すぎて笑いも出ない。本書を読むのを長らく楽しみにしていたことを後悔した。

また私は、著者が5本足の概略設計ができる時期を32細胞期としたのは、準正32面体がちょうど正5角形を含んでいたからだとしか思えない。つまり、結論ありきなのだ。

次に、第2部「花の5弁の謎」であるが、簡潔に述べておくと、著者は茎頂(茎の先端)のドーム状の組織と、そこでの細胞配置に注目した。正5角形の周りに正6角形をくっつけるとお椀状になる(つまり準正32面体の一部である)が、それを茎頂のドーム形に当てはめ、5つの細胞群が茎頂に配置されているに違いないと結論付けた。それら細胞群が、花びらや萼(がく)になっていくので、5弁の花びらが多いというわけだ。

これまた根拠のないこじつけだ。著者は、文献で茎頂がドーム状であることを確認しただけで、茎頂の組織の細胞配置を自分で確かめなどはしていない

もう2点言わせていただきたいことがある。本書は、雑誌「数学教室」(国土社)の連載に加筆修正してまとめたものであるが、字数稼ぎのためか全く不要な記述が多い。例えば、オクラの5角形に関する第17章は、章ごと無くても本書の大筋に全く影響が無い。もちろん、決まった記事数と文字数を書かねばならない連載記事の制約上仕方ないところもある。また物事は要点だけにしぼって伝えてほしいという私個人の好みもある。が、本書の記述は冗長だった。

最後の1点。著者がDNAによる生物の決定論を否定しているのも頂けない。著者によると、生物は遺伝的な決定の他に、外界からの後天的な環境が影響するということだそうだ。それゆえ著者は、ヒトデの5本足決定を卵割もだいぶ進んだ32細胞期とし、5弁花決定を茎頂における細胞配列時だとした。私は、生物の進化や変異や移動を解明するのにDNA以上に優れたものは無いだろうというDNA至上主義的な考えだったので、著者のこの考えには同意できない。もちろん、後天的な要因による影響も無視はできない。例えば、紫外線に長時間さらされれば肌は黒くなるし、妊婦の喫煙は未熟児を生みやすくするという。だが、DNA懐疑論に対する明らかな反論がある。生物学的な異常が無い限り、どうしてすべての細胞は核やリボソームやミトコンドリアを持ち、すべての人間は2本ずつの手足を持ち、心臓を持ち、言葉を操るようになり、すべてのバッタは足に強力な筋肉を持ち、桜はピンク色の花を咲かすのだろうか。後天的な偶然が影響したにしては、種での一致があまりに多くないだろうか。これは先天的な決定無しでは説明できない。私は自然界にひそむ5の謎も、DNAを調べたほうがよいのではないかと思った。

要約すると、本書の問題点は、根拠の乏しいこじつけ、過度な思考実験、不要な記述、DNAによる決定の否定(など)である。

それでも著者は自信たっぷりだ。Amazonでの評価も低くない。レビューでは、C60フラーレンにまで話が発展するとある。だがこれは話の発展ではなく論理の飛躍というものだ。

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私は論理というものに関しては敏感なので、つい小言を言ってしまいました。こんな耳の痛い記事にこれだけ長口上を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

2011年11月19日土曜日

一世を風靡した年表:松岡正剛「情報の歴史」

13日の記事で紹介した本に、情報デザインの成功例として言及されていた、情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special)) [大型本] / 編集工学研究所 (著); 松岡 正剛 (監修); NTT出版 (刊)という大著です。



本書は、洞窟壁画からインターネット拡大に至る歴史を、情報の記録という観点から編集した400ページを超す壮大な年表です。初版発行は1990年(増補版は1996年)ですが、出版の直後は、情報史ブームが起きるほどの評判だったそうです。

本書には、これまでの年表の常識を覆す画期的なデザインが、2つ取り入れられています。まず、日本史と世界史の区別が無いこと。古代には東西の分類があるものの、11世紀以降は地域による区分を全く無くし、見開きごとに設定された5つのテーマに従って項目が並べられています。もう1つは、ページのここかしこに付いた、縦横、大小、カラフルな見出しです。膨大な情報にあふれ返る本書も、色分けされた見出しを見ることで時代の大筋を捉えることができます。

その上、情報史以外の一般歴史事項もたくさん掲載されていて、どの時代も均等に重視しています。例えば、私も少しは知っている書道関連で見てみると、「書聖」王羲之(おうぎし)は4世紀の東アジアの列に載っているのはもちろん(しかも大見出しで)、私は好きだけど一般には認知度が皆無の「石門頌」という作品までも、ちゃっかり2世紀の中国の列に載っていました。高校世界史で習ったことでここに載っていないものは無いのではないかと、私は踏んでいます。

本書は読むための本ではありませんが、歴史好きの人や、わが子に歴史を好きになってほしい親御さんには、ぜひ手に取ってもらいたい大作です。

2011年11月13日日曜日

情報デザインの新書:ウェブのデザインが大半を決める

これからの製品はデザインやで。
――松下幸之助、欧米視察後の発言

私は、デザインが好きです。デザインにもいろいろありますが、デザインと聞いておそらく一般的にイメージされるであろうグラフィックデザイン、それと、ウェブデザインにとても関心があります。もっとも、私には知識も技術も無いので、好きといっても、大抵はきれいなデザインを見るのが好きといった程度です。そんな私の乏しい知識から好きなグラフィックデザイナーを挙げるとすれば、有名どころになりますが佐藤可士和です。ウェブデザインについても、ページのデザインが洗練されていて、使いやすさを最重視したものは見ていて(使っていて)心地いいですが、大量の情報を羅列したり、ごちゃごちゃに配置したり、色の使い方が下手だったりするページは、見る気がしなくなります。

先日読んだ本は、そうした情報のデザインを論じた新書です。本書の発行が、インターネットが日本でも社会に浸透してきた2001年だというのにも、興味を惹かれました。当時の(ウェブ)デザインがどうで、今とどう違うのかを知りたかったからです。(私は、黎明期のコンピューターやインターネットにも実は興味があります。)

情報デザイン入門―インターネット時代の表現術 (平凡社新書) [新書] / 渡辺 保史 (著); 平凡社 (刊)



さて、本書に星をあげるとすれば、4つと半分って感じです。最初のうちは内容が濃密で、新たな発見がいっぱいで、こりゃスゲーと思っていたのですが、後半は内容が薄くなってきて、(私にとって)面白くなくなってきました。最後の2章は、デザインと人間の関係の概念的な論評や、地域社会規模でのメディア活用についての話が多くなってくるので、そういったことが好きな方には楽しいのですが、私の関心事ではありませんでした。なので星5つはあげることはできません。

情報デザインとは、大量の個々の情報を、分かりやすく編集(配列、階層化、視覚化など)することです。職業別電話帳を例にとると、個々の会社名やらの項目をでたらめに羅列しただけでは、目当ての情報にたどり着けないというより、もはやそれは使い手の便宜を無視しており、電話帳として意味をなしていません。ですからそれらは先ず「書店」、「結婚式」、「自転車」などのカテゴリーに分類され、カテゴリーの中で会社名(店舗名)により50音順(アルファベット順)に並べられ、さらにカテゴリー自体も50音順に並べられる、というように、完全に秩序立てられついます。本ブログも、過去の記事は月ごとに配列され、またカテゴリー別にも読むことができます。私個人としては、なるべくシンプルにというモットーのもと、関連した記事同士でリンクを貼ったり、読者にもっと詳しい情報を提供、または情報の出所を明らかにするために外部へのリンクを貼ったり、タイトルがなるべく記事内容の要約になるようにしたりしてきたつもりです。これらはすべて情報のデザインです。

また著者は、情報と使い手との境界に位置する、2者間のやり取りの媒体としての、インターフェイスのデザインにも目を向けています。インターフェイスの最たる例はコンピューターのディスプレイ、キーボード、マウスですが、80年代前半、もしくはそれ以前のコンピューターは、キーボードと使ってコマンド(命令文)を打ち込まなければ操作できなかったそうです。ですが1984年に登場したAppleのMacが、GUI(Graphical User Interface)という革新的なシステムを導入して以来、ユーザーは画面のアイコンをクリックするだけで操作できるようになりました。ですが、著者は(10年前にして既に)GUIにいまだ残る使いにくさを指摘し、GUIに代わる新しいインターフェイスを模索します。ポストGUI、著者によれば、それは人間の体を使って、直感的な情報操作を可能にする(当時における)次世代インターフェイスです。

GUI以上のインターフェイスなどあるのか、と私は思っていましたが、読み進めるうちに、現代の携帯情報端末を語る上で欠かせないアイテム、タッチパネルが、まさしくそれではないかと気づき、著者も先見の明に驚きました。画面のスクロールや縮小、拡大をはじめ、タッチパネルは指による直観的な操作を実現しています。

本書から得たものはとても多かったのですが、ここで1つ付け加えておくと、当時インターネット普及とともに情報デザインの進展が求められ、様々な面白いデザイン、インターフェイスの開発が進んでいましたが、ユニークすぎて、現代では実現化が難しいのではないか、または普及するには有用性が少ないのではないかと思わせるアイデアが少なからずありました。悪く言えば、インターネットを誰でも簡単に使えるようになって、調子に乗っていろいろ作りすぎたといった感じです。

最後に、私が本書を読んで知って、もっと知りたいと思った人やことへのリンクを貼っておきます。本書な発行年が発行年なため、更新を休止していたり、デザインが古かったりするページがあるのが残念です。

1. 80年代から先駆的な情報をデザインしてきた「情報建築家」、リチャード・ソール・ワーマン(Richard Saul Wurman)(公式サイト、英語
2. 著書、「第三の波」で「生産消費者(prosumer)」の台頭を予見した未来学者、アルビン・トフラー(Alvin Toffler)
3. ユーザビリティ(使いやすさ)に関する第一人者、ヤコブ・ニールセン(Jakob Nielsen)(公式サイト、英語
4. ロンドン大、マーティン・ドッジ(Martin Dodge)によるサイバースペースの可視化(An Atlas of Cyber-spaces(更新停止))
5. 出版後、情報文化技術史を巻き起こした、情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special)) [大型本] / 編集工学研究所 (著); 松岡 正剛 (監修); NTT出版 (刊)

2011年11月3日木曜日

グーグルアースで手軽に地形を見てみないか

地形関連の記事が、最近続いています。今回はICU図書館で借りてきた本を読みました。

Google Earthでみる地球の歴史 (岩波科学ライブラリー) [単行本] / 後藤 和久 (著); 岩波書店 (刊)



本書は、実はここに記事として載せるか迷ったくらい、私にとっては退屈でした。というのも、大半の写真が特に珍しいわけでもないありきたりな地形(有名な火山とか珊瑚礁とか、地すべり跡とか)で、それに、画像が粗かったり、遠景過ぎたりといったものが少なくなかったからです。もっとも、本書はGoogle Earthで手軽に地球の歴史を見ることが主眼なのですから、私のニーズに合わないのは当然ではあります。

しかし、もちろん、非常に美しく、自然の壮大さを感じさせる画像もありました。下に、それらを備忘録としてリストしておきたいと思います。誰でも簡単に本書の画像にアクセスできるというのが、Google Earthの利点です。Google Mapsにアクセスして、画像をGoogle Earthに切り替えて、下の緯度と経度で検索すれば地形を見ることができます。

スイス、ラウターブルンネンのU字谷(46 35 40 N, 7 54 28 E)
ロシア北部、ヤマル半島の湖沼群(69 22 22 N, 71 35 50 E)
グランドキャニオン遠景(36 03 28 N, 112 04 57 W)
褶曲により形成された東シエラマドレ山脈(25 37 31 N, 100 34 33 W)
アマゾン川源流の蛇行と三日月湖(4 10 16 S, 70 32 41 W)
エバーグレーズ国立公園の湿地(25 22 20 N, 81 07 01 W)
グリーンランド、イスアの氷河湖(65 04 15 N, 50 09 22 W)

2011年10月24日月曜日

おもしろ地形を見にそこらじゅう旅したいよね

3週間前のカミングアウトでもお分かりのように、迷子石好きな私は、インターネットでちょっと迷子石の画像やら本やらを探していました。すると、白尾元理(もとまろ)さんという方が、私の希望を満たしてくれそうなキーパーソンかもしれないという成果を得ました。白尾さんは、東北大と東京大大学院で地質学を学び、現在はサイエンスライター及び写真家です。白尾さんの著作の中でも、地形を扱ったもの2冊を早速借りてきて読みました。

グラフィック 日本列島の20億年 [大型本] / 白尾 元理, 斉藤 靖二, 小疇 尚 (著); 岩波書店 (刊)



これは、日本の地形を扱ったもので、図鑑のような大きさで立派な装丁でした。60か所くらいの地形の大きな写真に、解説付きでした。日本という狭い地域の地形は、やっぱりたかが知れていて、はっと息をのむような地形は少なかったです。ちなみに迷子石は紹介されていませんでした。

子供の科学サイエンスブックス 世界のおもしろ地形 [大型本] / 白尾 元理 (著); 誠文堂新光社 (刊)



これは、子供向けの本ですが、対象は世界の地形です。大きな写真に簡単な解説付き。やはり世界へと目を向けると、桁違いに大きくて面白い地形がいっぱいです。白尾さんはベストショットを撮ることに相当なこだわりがあるそうなので、本書が子供向けなのがもったいないくらいの質です。これは買いですね。ちなみに、迷子石は2つありました。

2011年10月22日土曜日

ICUのミッドナイトウォークで40km歩いた!

ICUのランニングサークル、Runnersが主催するMidnight Walkという行事に、9月30日(金)から10月1日(土)にかけて参加しました。Midnight Walkとは、文字通り長距離を夜通し歩く行事で、今年は東京スカイツリーから東京タワーを通ってICUに戻る、約40kmのコースでした! Midnight Walkは、5月に雨天のため延期されていました。コースの魅力もさることながら、私はこういう記念に残るようなイベントが好きなので、参加はずっと決めていました。

ちなみに、私はおととしの夏に友人らと似たような行事をしています。地元から木崎湖という湖の近くの温泉に入るべく、11時間半かけて約46kmを歩きました。そのときは炎天下を歩くこともあり、しかも休憩も十分にとらなかったので、体力の限界が見えるほど疲れましたが、Midnight Walkは計画的に運営されているので安全だと思います。

さて、9月30日、セクションの友達3人と夜9時に押上駅を降り、東京スカイツリーのすぐ近く、京成橋に集合です。既に大勢の人が集まっていました。その後知ったことですが、今年は、最終的な参加者が例年を遥かに凌ぐ100人ほどだったそうです。



9:30ごろ、出発です!!

最初の何分かは、スカイツリーを見上げながらのウォーキングでした。私はスカイツリーをこれほど近くで見たことが無かったので、目に焼き付けるように何度も見ていました。最初のころは、セクションメイトと4人で他愛のない話をしながら歩いていました。昼間は人がたくさんの道路にも、夜にはほとんど人影がありませんでした。

10:10ころ、雷門に到着です。仲見世通りはシャッター通りになっていました。修学旅行と見まがうほどに、みんな写真を撮っていてちょっと面白かった…。

花やしきを抜け、浅草通りを歩き、11時ころ、上野公園にて1回目の休憩です。疲れは感じていましたが、まだ全然大丈夫でした。急いで家を出たので、ろくにお菓子や飲み物を持ってきていなかったので、近くのコンビニで買いました。ここ上野公園で、遅れて参加する人たちが合流。セクションメイトもいました。

そこからは、だいたい山手線に沿って南下しました。9月が終わる数分前には、セクメの一人はアキバのAKB48劇場の1階でたこ焼きを買っていました。私は都心の地理にあまり詳しくありませんが、配られた地図によれば、日本橋、銀座、新橋を抜けていました。人はほとんどいず、車はタクシーが大半で、都心の昼夜間人口比率の大きさを物語っています。静かな夜の東京を見るのも面白いです。

たこ焼きを買っていたせいもあって、私たちは先頭集団から最後尾集団へと回りました。Runnersの係の人に何度も急かされましたが、既にけっこう疲れていたので辛かったよ。

日付は変わりました。10月1日の午前1時すぎ、東京タワーの見える芝公園で2回目の休憩。近くのコンビニには店内を半周回るくらいのレジ待ちの行列ができました。まだ半分も歩いていませんが、足はそろそろきつくなってきました。



そこから私たち大所帯は東京タワー前を通り、深夜も騒がしい六本木の繁華街を抜けるころには、会話はかなり少なくなってきました。渋谷駅に到着し、3時過ぎ、近くの神宮通公園という小さな公園で3回目の休憩。足が痛くて、マッサージをしました。たこ焼きを買った彼は、本格的に眠っていました。中間地点の新宿駅(距離的には中間じゃないけど)にも着いていないのに、気力は萎え始めていました。

その後も、流れに任せてひたすら夜の静かな東京を歩いていると、4時半ころ、新宿駅南口が姿を現しました。ちなみに、私はそのとき南口に来るのは初めてだと抜かしていましたけど、後で考えたら何度も来ている場所でした。いつもと違う方向から来たのと、夜のために辺りの見た目が随分違って見えたための勘違いでした。

新宿駅は大きなチェックポイントで、距離的には半分+α、しかもここから個人行動になります(コースはもちろん教えられます)。これ以上歩けないなら電車で帰ることもOKです。驚くことに、多くのRunnersのメンバーや、体力に自信のある人たちは、なんとICUまでの残り17kmを走っていくそうです。なので一緒に歩いていく友人も減り、私も入れて3人のセクメで、ICUまで歩くことにしました。ICUまでの道はかなり単純で、最初の10kmくらいは甲州街道をひたすら行き、あとは3回ほど曲がれば着きます。

私はつま先やかかとが痛くて、歩くのがきつかったのに、他の2人はかなり早足で歩いていて、ついていくのが大変でした。新宿駅からは、みんな基本的にしゃべらなくなりました。先の見えない道をただひたすら歩いていくのは、体験してみなければわからないつらさがあります。あまりの疲労に、足が地面の凹凸に対応しなくなってきました。つまり地面の盛り上がりに気付かず、そこに靴を何回もズザッと擦っていました。甲州街道から吉祥寺通りに曲がる「給田」という信号はまだかまだかと、何度となく期待と落胆を繰り返しているうち、一緒に歩いていた女の子が大幅に遅れ始めたので、待ってあげたりしながら、ゆっくり、着実に進んでいきました。もうすっかり夜は明けていました。



新宿を出てから2時間強、やっとの思いで甲州街道から吉祥寺通りへ北西へと進路を変え、疲労と闘いながら黙々と歩きました。私には、この道が一番きつかった気がします。甲州街道と違って民家が並ぶ単調な眺め、狭い歩道、そして次の曲がり角が全く見えないことが、足の痛みをいや増しました。

8時前、吉祥寺通りから、東八道路に出ました。ここからやっと、私も知っている道です! この随分前からセクメの女の子が見えなくなるほど後ろにいたので、待ってあげて少し休憩したのち、3人で一緒に残りの数kmを歩き始めました。

ここからは誰も遅れず、3人で一緒にゴールしようということになりました。ここまで来ると、疲労はひどく、足はとても痛くなっていました。足の裏を地面につけていたくないといった感じになります。しかしゴールまであと少しということで、会話も増えました。

そして……ICUの敷地に足を踏み入れました!! ゴールはICUのスポーツクラブハウス(SCH)なので、最後の最後の500m、ICUの「滑走路」(マクリーン通り)は、走りました! 午前9時過ぎ、ゴールです!!

SCHでは、走って先についていた友人が爆睡していたりしました。朝食の豚汁が用意されていたので、2杯食べて、床で一眠りして、もう1杯食べてから、帰りました。SCHを出て少なくとも数十分は、筋肉が言うことを聞かなくてゆっくりとしか歩けないくらいでした。

■DATA
歩行距離:約40km
スタートからゴールまで:約11.5時間
歩数(Midnight Walk以外の歩数も含まれていますが):9/30は14620歩。10/1は48097歩

後日談……徹夜だったので、家に帰って寝たかったのですが、なんとこの日はICUの学生の親のためのオープンキャンパスで、両親が来たので、一緒に昼食を食べたり、それに3時半から書道部にもちゃっかり顔を出したりしたので、体に無理をさせまくった一日でした。

2011年10月17日月曜日

散らかった部屋にいると、宝探しをしているみたい

もう 2週間近く前のことになりますが、ICU図書館に何気なく置かれているのに偶然気付いて、パラパラっと眺めてみて興味が湧いたので、ふらっと借りてきたのは、NYCのシェアハウス~「共に住む家」の個性派インテリア [単行本] / Rai (著); エクスナレッジ (刊)です。



ニューヨークのシェアハウスのごく簡潔な案内、兼、写真集といった感じで、部屋の写真がいっぱいです。私は、人の部屋に置いてあるものを見るのがちょっと好きなので、ニューヨーカー達の散らかった部屋やDIYを眺めて(もちろん整頓された部屋もありました。)わくわくして、質素な私の部屋ももっと賑やかにできないものかと、ぐるぐると妄想を繰り広げていました。というか、本書が自分の部屋ももう少し賑やかにしようという考えを起こさせました。今日これを返すまで、何度も繰り返し眺めていました。

ニューヨークには築100年くらいの建物がごろごろしていて、しかも自分の部屋を基本的に自由に改造できる(ペンキを塗ったり、壁を作ったり。)というところが私にとって驚きでした。日本とニューヨークでは事情が全然違うので、今度は日本の若者の1人部屋の写真集とかがあったら見てみたいものです。

2011年10月5日水曜日

現役国際基督教大学生の書道家がデビュー!!

何度か本ブログで言及している通り、私は、国際基督教大学(ICU)に今年3月に立ち上げられた、書道部に入っています。(書道部との4月の偶然の出会いには、5月の記事にも少しだけ触れています。)今は10人で活動していて、1年生は私1人です。アメリカ人の部員も1人います。(ここ数か月来ていないけど。)

その設立者であり部長である方が、とても精力的で、学内のサークルの演奏会の看板や、学内新聞の題字を手掛けていたり、さらには学外での個展も構想中だったり、書家の紫舟さんと震災関連のチャリティー活動をしに行ったり、今度の11月には、なんとパリに単身書道パフォーマンスをしに行く予定という、とんでもない実行力と野心を持った先輩です。

そんな部長が先日、書家デビューの第一歩として、自身のホームページをお披露目しました!! 彼の雅号(書家としての名前)は海京(うきょう)。小杉海京さんです。

Ukyo Kosugi :: 書道家 小杉海京

作ったのは同じく書道部の先輩で、2人でいろいろとホームページの構想を練り上げているのを私はよく耳にしていました。先日ようやく完成したホームページを見て、クオリティーの高さに驚きました。

今後、小杉さんの動きに注目してみてください。

ついでにお知らせですが、10月29日(土)、30日(日)にICUの文化祭、ICU祭が開催され、私たち書道部も、本館3階にて作品展を開きます。万事繰り合わせの上、お越しください。

2011年10月1日土曜日

全国の迷子石ファンのみなさん、意見、情報を共有しましょう!

ここ数か月の間に、どうやら私は巨石好きだということがはっきりしてきました。

巨石というのは、文字通り巨大な岩のことです。巨石にもいろいろあり、沖に立つものや、河原に転がっているもの。(木曽川中流域には2mくらいの丸い巨石がごろごろしていました。)それに世界最大の一枚岩のエアーズロック(ウルル)や、イギリスのストーンヘンジも巨石です。しかし私が興味のあるのは、そういうようなものではありません。

私が大好きなのは、ずばり迷子石です。あまたの成因のある巨石の中でも、これだけ、迷子石と呼ばれる巨石たちだけは、私を強く魅了してやみません。

迷子石というのは、何十万年という単位の遠い昔、氷河によって運ばれた後、温暖化によって氷河が融けたために取り残された岩石のことを言い、その地の本来の岩石とは組成、大きさ、磨滅度が全く違うため迷子石と呼ばれます。(この説明を聞くだけですでに少し興奮してくる!)ちなみに氷河の研究が未発達だったころのヨーロッパでは、迷子石は「異人さん」と呼ばれ、「ノアの方舟」で描かれる大洪水によって運ばれてきたと信じられていたようです。(Wikipediaの「迷子石」の項も参照してください。)

私は、だだっ広い荒野に、ぽつんと1つ迷子石が鎮座する光景を思い浮かべると、興奮してアドレナリン大放出といった感じになるくらい迷子石好きです。

そのくらいの迷子石ファンなのに、その写真をインターネットで探してもあまり良いものは無く、ならば迷子石の写真集は無いかと探してみましたが、和書、洋書とも私の力では見つけられませんでした。迷子石ファンはそれなりにいると思っていたので、少し残念でした。

そうしたら最近、こんな本が出版されているのを知りました。

巨石巡礼―見ておきたい日本の巨石22 [単行本] / アスペクト編集部 (編集); アスペクト(刊)



どうやら迷子石の写真集ではないようですが、やっと私の理想に近い本を見つけました。

古代の日本人は巨石を信仰の対象にすることがあったようで、自然が形成した巨石を神聖視したり、巨石を意図的に配置して何らかの意味を持たせたりしました。本書で取り上げられたのはそのような巨石(群)22か所です。写真集とアクセスマップのあいのこといった感じです。

今回の収穫は、たくさんの巨石を楽しめたというのはもちろん、日本の巨石を語るうえで重要なキーワード、磐座(いわくら)という言葉を知ったことです。磐座とは、古神道の1つで、巨石または巨石のある山を信仰するアニミズムのことです。(興味を持った方は、Wikipediaの「磐座」の項から更に調べてみてください。)また、ドルメン(dolmen)という言葉も初耳でした。新石器時代からB.C. 7000くらいにかけて世界各地に造られた巨石墓のことを言うようです。

満足できなかった点は、やはり私の趣味と本書の趣向との微妙な相違です。私は日本以外の巨石も見たいですし、信仰とは全く関係のない視点から見たいですし、できれば人工的に動かされていないものが見たいので、物足りなかったです。そもそも私は、周囲の世界に全く溶け込まない迷子石というものを見たいのです。

最後に、世界中の地質学者、氷河の研究者、熱心な迷子石ファン、物好きな写真家にお願いです。迷子石の写真集を出版してください!!

写真については、私は1つ注文があります。迷子石の大きさと異質性を前面に押し出してください。具体的には、迷子石を撮る以上、周りの風景と一緒に撮影するのが鉄則です。それに巨大さを伝えるため、迷子石の近くにさり気無く人がいるのもいいでしょう。(迷子石ではありませんが、今回読んだ本の写真は、ほぼすべて岩に接近したもので、威圧感と荘厳さは伝わってきても、肝心な大きさが伝わってきませんでした。)

(Finally, of geologists, researchers of glaciers, erratic block enthusiasts and curious photographers all over the world, let me demand a thing as an erratic buff. Publish a collection of photographs of glacier erratics, please!! As for the photographs, I have an idea: put emphasis on the bigness and foreignness of the rocks. E.g. take photos with backgrounds.)

2011年9月24日土曜日

池澤夏樹の「スティル・ライフ」を読んだ

1987年に芥川賞を受賞した中編小説、スティル・ライフ / 池澤 夏樹 (著); 中央公論社 (刊)を読みました。Still Life は「静物画」という意味です。



アルバイトをしながら実の無い生活を送り、人生の目標を決めかねている主人公と、科学的な話題をよく口にする、バイト先の彼の知り合いとの、不思議な関係が展開します。

大きな感動も波乱も起こらない、しっとりとした空気が流れる小説です。

また、本書所収の「ヤー・チャイカ」も、面白く、もっと不思議なお話。

だけど、やっぱり私には本作のような不思議な小説に対する感受性が弱いようです。作品自体を読むことは楽しいのですが、私にはそのメッセージがつかめません。おそらく作品のせいではなく、私の責任です。川上未映子の「乳と卵」(2003年芥川賞受賞)を読んだ時にも同じことを思いました。

芥川賞を受賞するための要素って、何なのだろう。もっと言えば、純文学って何なのだろう。本作のような小説を読むといつも思います。

2011年9月23日金曜日

脳のすべてが明かされる日なんてあるのかな

昨日読み終えた本は、失語症――言葉を自由に操れなくなってしまう障害――を扱った新書、言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書) [新書] / 山鳥 重 (著); 講談社 (刊)です。



私は失語症に触れた書物はすでに2、3冊読んでいるので、本当はそれほど読みたくなかったんですけど、これを手にとるまで本書の副題を知らなかったので、男に二言は無いと思って、読んだ次第です。

失語症はいくらでも細かい症状に分けることができるそうですが、本書はその中の基本の5つだけに絞って、掘り下げます。

その5つとは、1)名前が分からなくなるもの。2)言葉が出なくなるもの。(ブローカ失語)3)言葉が理解できなくなるもの。(ウェルニッケ失語)4)分かっているのに正しく話せなくなるもの。5)言葉が空回りするもの。(左右脳の切断や、右脳の損傷のため)

ただ、5つ目は、左脳の言語領域が損傷するわけではないので、失語症ではありません。

タイトルが「言葉と脳」ではなく「言葉と脳と心」なのは、「心」というプロセスが本書のキーワードになっているからです。ここで、言葉も脳も、形があり、客観的な観察ができるので問題無いのですが、心という、形もなく主観的なものが議論されてよいのか、私は疑問に思いました。著者による「心」の定義はどこにも書かれていませんでした。

さらに著者の山鳥氏は、心が作りだし、私たちが形として意識するものを「心像」と名付け、失語症に関する彼の説の中心的な考え方に位置付けています。

でも結局、心って何だ? 心に浮かぶ形って何なんだ?

心像というプロセスの導入による彼の説が、筋が通っているのは確かです。しかし、心像の存在は仮定に過ぎません。あるのかもしれないし、無いのかもしれない。どうやって存在を確かめるのでしょうか?

それと非常に深いつながりのある私の考えに、脳の多義性(私が今命名)があります。

つまり、脳のこの部分はこういった働きをする、と一義的に決めることはできないということ。例えば、ブローカ失語を発見したブローカは、その病巣を脳の左下前頭回後方と考えましたが、その後、そこに病巣がありながら失語を示さなかった例や、典型的なブローカ失語にもかかわらずそこが無傷であった例があるという報告がなされました。脳のいくつかの箇所が1つの機能を担当したり、あるいは脳の1つの箇所がいくつかの機能を担当していたりするのです。それも、あまりに複雑な形で。

昔読んだ本では、言語はここ、運動はここ、聴覚はここなどと、機能が脳にかなり明確にマッピングされていました。少なくとも当時の脳科学(またはその本の著者)は、脳の一義性を前提としていたのでしょうが、少なくとも今の私は、何冊か本を読んでいるうちにそれが全くと言っていいほど信じられなくなりました。

例えば、先日読んだ「プルーストとイカ」で、何名かの研究者が各々推測した、読字障害の病巣をすべて重ね合わせてみたら、読字のときに活性化する脳領域をほぼカバーしていたという皮肉に、私は脳科学の難しさというか、徒労みたいなものを感じました。脳科学に価値が無いと言っているのではありません。さらに何十年もの研究が必要だと言いたいのです。

そんなわけのわからない複雑なものを私は頭の中に入れているのです。考えると気が遠くなります。

最後に。この心がどうの、脳がどうのという議論は、本書を批判するためにしたのではありません。本書はいろいろな洞察に満ちています。当事者には語弊がありますが、失語症の症例もいくつか紹介されていて、興味深いです。私が特に面白いと思ったのは、第5章、左右の脳を切断された患者の左脳が、認知できなかったことを勝手に補填して作り話をしてしまうという、奇妙な症状でした。

私には絶対にわからない(たとえ私の左右脳が切断されたとしても、同じことなるとは限らないし、自分に異常が起こっているという自覚が起こらないことが多い。)、未知の世界を垣間見ることができました。

それにしても、失語症の研究者が失語症になったら、内側から見た失語症が研究できて、とても面白いと思うんですけど、どうでしょう?

2011年9月20日火曜日

ICUでは夏休みに英文学を読まされるよ

ICUの1年生は、夏休みに英語の小説を読むことを課されます。

こういう本を読んではいかが、という本のリストには、J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」(原書はThe Catcher in the Rye by J. D. Salinger)や、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」(原書は1984 by George Orwell)などがありましたが、正直言って、是非読みたいというほどのものは無く、迷っていたところ、リストの最後の方にとても面白そうな本を見つけました。

「恐怖の存在」(私が読んだのはもちろん原書の方で、State of Fear by Michael Crichton)という、環境問題を扱ったスリラー小説です。作者のクライトンは、「ジュラシックパーク」も書いた、アメリカで有名な作家だそうです。


原書


邦訳上下巻のうち、上

主人公らが環境テロを食い止めに世界中を飛び回るというストーリーで、「ダ・ヴィンチコード」的なスリルを味わうことができます。

ただ難点は、このサマーリーディングの量的ノルマが150-200ページだったのに対し、本書は600ページ以上あるという点。(´・ω・`) ですが、「ダ・ヴィンチコード」で味わった緊迫感を味わいたいという強い思いには負けました。

また、本書の重要な点は、全体として地球温暖化に懐疑的な立場をとっているということです。本書はクライトンが読者に地球温暖化を冷静に見つめてもらおうと書いた本でもあります。ちなみに私の立場を言わせてもらうなら、地球温暖化に関しては中立者です。肯定するにも否定するにも、不確定要素が多すぎるからです。

さて、サマーリーディングの進捗状況はどうだったかというと、6月末に買って、7月中はろくに読まず、8月にちまちまと読み、8月末から焦りを覚え、9月初めにどかんと読むという、いつもの辻褄合わせに陥りました。ただ読むだけじゃなくて、読んだ本に関して書き物もしなければならなかったので、夏休みの最後から秋学期の初め数日は必至でそれをやっていました。

とにかく、本書はスリラー小説としてとても面白い。賛否両論ある本ですが、読んだら興奮間違い無し!

2011年9月19日月曜日

静岡の海辺で2泊3日の書道部合宿をした話

ICUの夏休みは終わりました。課題をためてしまったのと、秋学期が始まって忙しくなったなどしたため、更新が遅れました。今日書くのは2週間以上前のことです。σ(^^)

9月1、2、3日の3日間、静岡の伊東に書道部合宿に行って来ました!

海に行きたいという部長の思いもあっての伊東です。泊まったのは、ホテルとかではなく、花鳥風月 楽亭という貸別荘。食事も自分たちで作る。なんかわくわくしますね。


花鳥風月 楽亭

参加したのは書道部のほぼ全員で9人でしたが、うち私を含め6人は、レンタカーを借り、部長の運転のもと伊東までの長旅をしました。

9月1日(木)

単なる宿泊と違い、(数学合宿ときは、数学関連の荷物はノート1冊とクリアファイルだけで済んだんだけど、)書道の道具がめちゃくちゃ嵩張ったので、車の中は超満員でした。というか一時は全員乗れないのではないかという懸念さえありました。無事全員乗りましたが、特に私の席周辺がカオスになり、ほとんど身動きが取れない状態でした。これで朝8時から15時までの7時間のドライブは、きついものがありました。


私の足と、スーツケースと、先輩のボストンバッグ。

私はおそらくこれが初の静岡滞在でした。しかも海で遊ぶのはまじで10年ぶりくらい。(遊ぶ気満々。)ですが残念なことに、当時台風12号が東海にのそりのそりと接近しており、予報によれば2日に静岡を直撃という時運の悪さのために、海水浴は諦めざるを得ませんでした。静岡で大学生が流されたというニュースが8月末にありましたしね。

台風のために、当初5、6時間と予想されたドライブ時間は7時間にまで延びました。高速道路が通行止めになり下の道で渋滞が起こりましてね。まあ、座席の極度の狭さのために尻が痛くなったりしましたけど、何とか楽亭に到着。電車で来た人は先に到着して待っていました。それにしても、なにこの蒸し暑さ。海辺+台風のために異様な湿度。クーラー様々でした。

落ち着いたら早速書道、という感じ。もっとも私は、1日目夜の食事当番(ノ´д`)だったので、筆を持ったのは食事後でしたが。1日目ディナーは夏野菜カレーでした。



練習時は全員が同じ部屋で、というのはちょっと難しかったので、私一人だけ違う部屋になりました。( ´д`) それにしても蒸し暑い…。



風呂はなんと温泉から引いていて、リッチな入浴を満喫することができます。

夜10時半ごろより、レクリエーションタイムということでビンゴ大会(笑)が開かれました。ビンゴマシーンは部長持参です。1人1つ景品を持ってきて、ビンゴになった人から他の人の景品をもらえるというルール。私の用意した景品は、数学合宿の時に軽井沢駅で買ったよさげなジャムと、たまたま家にあった花火というよくわからぬセット。私がもらったのは、大量のチロルチョコでした。チョコレート好きなので、これはすごく嬉しかった。( ´∀`)

深夜も練習会は続きました。寝たのは……2時くらいだったかな。

2日(金)

6時台に起きました。朝飯前に墨を磨っていたっけ。

楽亭は、鬱蒼とした谷の上に建っているという感じだったので、朝食後、巨木の上にリスらしきものを見ました!


この写真にリスは映っていません。

午前中は、ひたすら書く! 昼食を挟んで、またしばらく書く…。うっかり昼寝もしましたけど。

3時半から、すいか割り大会が始まりました。ちょうど雨も止んでいたので、テラスで開催。すいか割りも、これまた10年ぶりくらいですね。



すいか割りが終わったら……まあ書きますわな。ビンゴやらすいか割りやら、随分遊興に勤しんでいるように見えますけど、みっちり書き込むための合宿だということを忘れちゃあいません。

夕食は室内でバーベキューでした。もちろん外でやる予定でしたが、雨が降ってきたら困るので室内にしました。





9時ころ、花火大会もちゃっかりしていました。

ちなみにですが、このときちょうど2014年ワールドカップ、アジア3次予選で日本対北朝鮮戦をやっていましたね。日本が勝ってよかったですね。

とそんな感じでわいわい夜が更けていったのですが、この時点で、この合宿で書こうと思っていた2作品のうち、1作品には全く手を付けていませんでした。明日は批評会しかしないので、書く時間はゼロ。この状況はつまり、今夜はろくに眠れないということを意味します。歓談から抜け、深夜に1人、疲労と湿度に耐えながら黙々と筆を握っていました。

2時になり3時になり、気付いたら4時に近くなっていました。完成ではないものの、それなりの作品は書けたので、リビングへ戻ってみました。おそらくみんないないか、寝ているだろうと思っていましたが、先輩が1人、書いていました。夜中の4時に、すごい精神力です。私はこれ以上起きていることに身の危険を感じたので、4時に寝ました。

3日(土)

夜更かししたからと言って、寝坊する余裕なんぞありゃしません。最終日の朝の食事当番だった(´・ω・`)ので、6時半起床。1時間半睡眠です。サラダや目玉焼きやパンやヨーグルトやコ-ヒー……まさしく朝食という感じのメニューでした。ご飯を食べたら、片付け。特にリビングは、大量の書道用具や作品で、部屋が原形を留めていませんでした。あはは。

さて片付けが一段落したら、みんなで作品を互評する批評会が行われました。先輩のみなさんの書いていた作品をじっくり見る機会です。やっぱりこういう時間は必要。

批評会も終わり、あとは帰るのみとなりました! 晴れていたら、このあと海水浴にも行けたのでしょうが、今回はお預けです。ちなみに帰りの車中は、荷物の載せ方で非常に画期的な手法が発見されたため、(私にとって)行きとは比べ物にならないほど快適なドライブでした。渋滞も無し。

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なんだかこの記事だけを見ると、遊んでばかりに見えますが、念のため言っておくと、実際はかなりの時間書道をしています。書いているときのことを描写しようにも「書く」としか言うしかありませんし、作品をアップするのも気がひけるのでね。

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3月に発足したばかりのICU書道部にとって初めての合宿でしたが、何の問題もなく、何から何まですごく楽しい3日間でした。貸別荘というのもグッドチョイス。みんなで集まって短期集中で書くというのは、やっぱり大事ですね。もちろん書道以外のことも楽しかった。春休みにまた合宿をするという計画もあります。今からとても楽しみです。

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最後に。私たちを悩ませた台風12号は、その後進路を変え、紀伊半島に甚大な被害をもたらしました。被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。

2011年9月4日日曜日

哲学的なタイトルだがれっきとしたディスレクシアの本だ

やばい、夏休みが終わる。('Д⊂

はい、まだ懲りずに本を読んでいました。読み終えたのは1週間以上前ですが、いろいろと行事が重なったせいで、更新が今日までずれ込んでしましました。

初めて見たときペレストロイカのことかと思った、プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか? [ハードカバー] / メアリアン・ウルフ (著); 小松 淳子 (翻訳); インターシフト (刊)です。



この本の副題がとても興味をひくものだったので、読むのをとても楽しみにしていたのですが、ICU図書館で見つけてがっかり。厚いし、文字ばっかりだし、想像していた内容と全く違うし。ほとんど読む気が失せましたが、よくわからぬプライドが働き、読むことにしました。真剣には読まなかったのに、読了まで2週間以上かかりました。

本書のテーマは、ずばり読字です。内容は大きく3章に分けられており、脳はいかにして読むことを獲得したのか、子供の脳はいかにして読み方を学ぶのか、ディスレクシア(読字障害)の原因は何か、という問題を検討する壮大な書です。

主題が「プルーストとイカ」なのは、この2つが読字の2つの側面、即ち個人的・知的側面と、生物学的側面の象徴としてそれぞれ取り上げられているためですが、これら、特にイカは本書でそれほど重要な役割を果たしていません。タイトルに難あり、といった感を受けました。

それにしても本書の第1印象は「難しそう」でした。たかが読むことだと侮るなかれ。本書はシュメール人から中耳炎まで扱っています。読んでみて、著者の研究の幅広さに感嘆すると同時に、読字の研究が学際的でありとても複雑な分野であることを痛感しました。読字研究はもはや、言語学、神経科学、心理学、脳科学など様々な分野の知識が無いと、太刀打ちできる問題ではなくなっています。

また、字を覚えるのに時間がかかる、文章を流暢に読めないなどの、ディスレクシア(著者は「読字障害」という言葉より「ディスレクシア」の方が気に入っているようなので、後者で書き進めます。)は、本書の中心の話題と言えるでしょう。ディスレクシアは原因や実態などが非常に複雑で、1つに「これだ」というものなど無いと、著者は言います。ディスレクシア患者に対する世界的な偏見は、ディスレクシアの理解を進めることで無くすことができると、著者は、研究者として、そしてディスレクシアの子を持つ母親として、訴えています。

2011年8月30日火曜日

軽井沢の山奥で3泊4日の数学合宿をした話

ICUの数学専攻の先輩方は、毎年夏休みに3泊4日の数学セミナーなるものを開いているそうです。

3泊4日の数学漬け。数学が好きな私でさえ、こりゃどうかしていると思ったくらいですから、はたから見たら気でもふれたかと思うような異様な行事です。

ICUの3つのキャンパスのうち、宿泊目的にしか使われなくて、とても影が薄い軽井沢キャンパスと那須キャンパスのどちらかで、これが行われるそうですが、今年はわが故郷長野県の有名な避暑地、軽井沢の方で催されました。その理由の一つは、那須キャンパスが震災により利用不可能となっているところにあります。

ちなみにICUの学内誌”The Weekly GIANTS”による(ジョークを多分に含んだ)「ICU用語辞典」によると、那須/軽井沢キャンパスは、「行きし者のうち、帰りし者はみな黙して語らず。」だそうです。

この、セミナーという名の修行でやることはと言えば、1冊の本を分割して参加者に割り当て、割り当てられたところをみんなの前で発表する。そう、それだけと言えばそれだけ。

今年やる本はアンドレ・ヴェイユ(片山孝次、 田中茂、丹羽敏雄、長岡一昭訳)(2010)『初学者のための整数論』 筑摩書房。私の割り当てられたところは、互いに素に関するところです。



私が本格的に準備を始めたのは、遅ればせながら出発日の前日でした。初めて本腰を入れて読んでみたのですが、とても難しい…。どうしてそうなるのかが分からない。この日はICUで事前勉強会があったので、4年生の先輩にこれまでになく長時間解説してもらって、やっとそれなりの理解をできたくらいでした。

この、合宿という名の拘束の期間は、24日から27日まででした。

24日(水)

バスを使い、電車を乗り換え、池袋に着いたらそこから高速バスに乗り、3時間かけて軽井沢駅まで行く。さらにそこから2駅の信濃追分駅で降りたら、予想をはるかに上回る田舎道を、予想をはるかに上回る距離歩いた森の中にぬっと現れるのが、三美荘と言われるICUの施設です。



三美荘の直前はこんな山道になる。



どうやら三美荘というのは建物の名前ではないようで、建物自体に三美荘という言葉は一度たりとも発見し得ませんでした。



このプレートが無ければ、ただの古めの別荘です。ここが大学のキャンパスだとは、絶対誰にもわかりません

参加者は、1年生から院生までの発表者25人くらいと、先生、非常勤講師から他の大学の院生まで合わせて30人くらいの所帯でした。

早めの夕食(おなじみのカレー)をとった後、早速セミナーが始まりました。そこで私は、この合宿の実際に触れショックを受けました。3年生の先輩の発表が始まった途端、非常勤講師の先生が、引き算の定義のようなところでやや厳密性に欠ける記述をズバッと指摘。他のオーディエンスも加わっての小議論になりました。(゚Д゚)ガクガクブルブル ちなみに私はこの指摘の意味がほとんど分かりませんでした。(´・ω・`)

その後も、次々と質問が飛び出し、1人20分という予定の発表時間を大きく超え、終えるのに1時間はかかったと思います。経験豊富な先輩も、これにはたじたじ。スケジュールが予定通り進むのかという心配に加え、1年生の私が自分のアサインメント(割り当て)を遂行できるのかという不安に駆られました。私の発表は、なんとこの日の最後でした。

もう夜の10時くらいだったでしょうか、私の番が回ってきました。結果は、幸いにして想定の範囲内。ただし、かかった時間は、もちろん予定の範囲外でした。まだ勉強不足の1年生なので、発表が少しくらい稚拙なのは御愛嬌ってことで。

私の発表で今日のスケジュールは終わりました。この後は、翌日以降に発表する人たちの多くが夜遅くまで準備をしていました。初日で発表を終えてしまって、私はラッキーでした。就寝は、みんなよりは早めの2時半。

25日(木)

7:40に起床。朝食はセルフでした。すでに何人かが起きていました。9時から今日のセミナーが始まりました。

セミナーについては詳しいことは書きません。もはや1人1時間がスタンダードになっていて、本当に食事以外は1日中数学でした。異様でした。



夕飯はBBQでしたぞ。

それでも深夜にセミナーから解放されると、みんな活気を取り戻しました。三美荘に、過去の先輩が残したと思しき将棋セットがあり、私も一局打たせてもらいました。弱いので負けましたけどね。(´・ω・`)



環境意識の高い先輩だったのでしょうか。なんと、駒が段ボール製です。パッと見、駒の向きがわかりません。字はまるで女の子が書いたように愛くるしいです。特に私は左下の「飛」の字が好きです。

この日の就寝は2:30。みんなに比べたら早い方です。

26日(金)

昨日と同じく7:40に起床。ですが昨日と違い、1階に下りて行っても、ソファで寝ていた先輩以外、誰もいませんでした。昨晩みなさん夜更ししていたようです。

それでもセミナーは9時から始まる!

数学、数学、数学、数学、数学…

昨日の夜の部から、完全に私の理解の範疇を超えていたので、わけのわからない発表を数時間聞く羽目になりました。

数学、数学、数学、数学、数学…

眠い!!

5時間睡眠は私にはきつい。

数学、数学、数学、数学、数学…

2時間発表する先輩もいました。このときが眠気のピークでした。

昼食、そばとそうめん。

テキストも終わりに近づいてきました。午後には院生の先輩の発表がありましたが、このままでは今日中にテキストが終わりそうにないという懸念から、彼は証明抜きで、定理と定義のみの発表になりました。でもその方がぽんぽん進んで眠くなりませんでした。先輩はしゃべりが上手で、例もあって、本当はすごく難しいところなんですけど(平方剰余とか、ルジャンドル記号とかよくわからん。)、私にもけっこう理解できました。

夕食の後は最後の発表でした。その先輩の話も面白くて、それなりに理解できました。私もこの2人の発表を見習いたいものです。

さあ、これで3日間に及ぶセミナーは終わった。打ち上げもした。将棋もリベンジした。勝った! (*・ω・)



上はこれまた過去の粋な先輩が残していった素晴らしい言葉で、10年くらい(?)壁に貼られたままだそうです。

みんな解放感でいっぱいでした。ですが私は、寝不足だけは嫌だったので一足先に3時に就寝。

27日(土)

この日も7:40分に起床、と言いたいところですが、3年の先輩の「起きてくださーい」の声で起きました。時刻はなんと8:50。9:00までに朝食をとっていなければならなかったのに。('Д⊂

昨日の残りのカルボナーラを急いで頂き、掃除をし、10時15分、3泊4日お世話になった三美荘にお別れです。

今年の合宿のまとめ:テキストがやけに難しかった。(これは去年のテキストが簡単すぎたことの反動らしい。)

最後に、軽井沢駅からの高速バス出発までに数時間あったので、先輩ら7人と軽井沢のアウトレット付近をぶらぶらしたこともここに書いておかなければなりますまい。

2011年8月22日月曜日

東大農学部農場にひまわりでできた迷路が出現する

私の今の住まいの近く、西東京市緑町に、東大農学部農場があるらしくて、そこでこの8月、ひまわりでできた迷路を開放しているらしいのです。

私は一応小学校低学年のときは迷路にはまっていて、今でもちょっと迷路が好きだし、それにあの東大だし、ということで、17日(水)に一人で行ってきました。

17日の午前中でしたが、この日はグッタリするような暑さ。家から近くと言っても自転車で2、30分はかかったので、汗の量が半端無かったです。

未知の土地でしたが、1本道を外したくらいで無事農場に着き、正門を入ったと同時に右手にひまわり迷路が。



では、早速始めるか…とその前に、私がこの迷路園で、ある実験を企てていたことをお知らせしなければなりますまい。

実験とは何か。迷路には、実は「必勝法」と呼ぶべきものがあり、理論上は知っていたのですが、今回それを自分の足で確かめようとしたのです。

その必勝法とは、Wikipediaで調べたところによると「右手法」というもので、常に右側(もしくは左側)の壁に沿って進めば必ずゴールにたどり着くというものです。(Wikipedia 「迷路」の項を参照。) その効果を確かめるためにひまわり迷路にやってきたと言ってもあながち間違いではありません。

この実験は、次のように行いました。

迷路には3回入る。
1回目はサンプルとして必勝法を使わず、気の向くままに歩く。つまり普通に迷路を解いてみる。
2回目は右の壁に沿って歩く。
3回目は左の壁に沿って歩く。

計時もする。歩く速さも同じくらいにする。(ただし道に人がいてゆっくり歩かざるを得ないときもありました。)

さあ、まず1回目スタート。



うほっ、これ、簡単じゃね? そうだよな、これたぶん子供用に作ったから、難しいわけないよな。もしかして行き止まりが無いのかも。でもそしたら実験があまり面白……ぎゃー、行き止まりだ!

という感じで、2分47秒でゴールに着きました。

入口に戻って、2回目。今度は右に沿って歩いたら、2分57秒。1回目とほぼ同じ。



半ば予想できたことですが、迷路にいた人の98%は小さい子供を連れた親子で、大学生くらいの年齢の人なんて私以外1人としていやしません。まして迷路を何回もやっていた私なんぞは、さぞかし目立ったことでしょう。

3回目、左に沿って歩いたら、56秒。1、2回目のほぼ1/3になりました。

データをまとめましょう。

普通:2分47秒
右手法:2分57秒
左手法:56秒

今回の結果では左手法が右手法の3倍の速さで出口に出ましたが、もちろん一般には、左、右どちらが早いかは両方試してみないとわかりません。確率的にどちらが早いかは五分五分です。

右手法の利点は、迷う心配が絶対無いこと、頭を働かさなくていいこと、そして、短い時間で解けるという三拍子です。(今回は右手法が一番長くかかりましたが、迷路が複雑になればなるほど右手法の効果は顕著になります。)このように右手法は非常に有効なリスク回避法です。

記事投稿が遅れたのは、右手法を紹介して、右手法で必ずゴールに着くことを本記事で数学的に証明しようとしたからですが、Wikipediaに右手法がしっかり載っていて、すっかり気持ちが萎えて証明はやめました。

ちなみに迷路はもう1回しました。ひまわりの写真を撮るためです。最後に、おばさんに頼んでひまわりをバックに私の遠映を撮ってもらいました。「こんなに遠くていいの?」と言ってくれたおばさん、変なお願いしてごめんね!


CR遠映

せっかく東大農学部農場に来たのだから、見学もしておかなければと思い、奥へも行ってみました。東大生らしき人はいませんでした(´・ω・`) 近代的で大きな建物が並んでいるのかと思ったら、ここが大学? と思うほど古くてぼろい建物しかなく、もはや本当に「農場」でしかありませんでした。



しかし滅茶苦茶に暑かった。あんまり歩いたらぶっ倒れると思ったぜ。

今夏一番汗をかいた日でした。

2011年8月17日水曜日

盆帰りの取り留めも無い話は簡潔にしとこ

8月14日の夜からから16日の昼まで長野に帰ってました。帰ろうと思ったのが直前でバス予約が2日前だったので、席が全然なくて私の無計画を反省。形式的には盆の帰省ですけど、落ちたと思っていた奨学金が下りてその書類を書かないといけないのとそれに私も長野での用事がたくさんあったし、しかも親が私の唯一のお気に入りの店の、あるよさげな蕎麦屋に行こうと誘ってくれたので、双方の利害関係が一致してかなり実務的な移動となったでござんす。

落ちたと確信していた奨学金でしたが1か月以上のタイムラグののちに奨学生証が届いてびっくり。

外食というものに全く興味のない私が、子供のときそのうまさに感動して大ファンになった蕎麦屋唐松に3回目、数年ぶりに行きました。ひっそりとしたところにあって古民家で広い日本庭園を眺められて池があって鯉がいて夏なのに涼しくて天ぷらそばはうまくて。

「列島縦断 地名逍遥」という本の正体を知りたくて地元の図書館で借りてきた(正確には借りてきてもらった)んですけど、これは地名マニアか専門家以外は読むようなものじゃありませんでした。著者の選りすぐった300の地名に解説を付したものですが、第一とんでもなく厚い。600ページ以上もありまともに読めたもんじゃありません。それに解説も非常に深い研究に根差していて著者の博学ぶりが目に見えて、私みたいに興味本位の読者は近寄りがたい感がありました。民俗学、郷土史、地名などに強い関心のある方には、面白いとは思うのですが。でも地名って、1000年の単位で残り続ける日常語です(本書より)。面白いですね。

列島縦断 地名逍遙 [単行本] / 谷川 健一 (著); 冨山房インターナショナル (刊)



昨日が帰る日でしたけど、Uターンラッシュにットラーイク! 見事に渋滞に巻き込まれてバスが2時間近く遅れました。

2011年8月13日土曜日

ICU生がICUのオープンキャンパスに参加

今日はICUのオープンキャンパスでした。年に数回あるうちの1回です。

今日はわいわいがやがやして楽しそうだなあと思って、何か面白いイベントやってないかなと思って、ICUのサイトを調べてみたら、模擬授業をしていて、数学の授業もあったのでこっそり参加しようかなあと考えていたんですけど、授業開始が5分後。(´・ω・`) どうしようか悩んでいたら授業開始を過ぎてしまいましたけど、やらないで後悔するよりやって後悔すべし、と思って、自転車こいでICUに向かいました。

教室に行ってみると、ICU生は立ち入り禁止、というフィルタリングは無くて、ただドアが開け放してあったので、ドアの外からちょっと眺めていました。すると、高校生と思しき男子が教室に入っていったので、その流れに乗って私も何食わぬ顔して教室に入っていきました。疲れる立ち見は数秒で済みました。教室を後ろへ向かうと、係員らしき人が「どうぞ」と言ってレジュメもくれました。向こうは全く気付いていません。(気付く方がすごいんですけど。)これで私はICU生ではなく、参加者になりきりです。

授業は大体半分終わっていました。ちょうど講義していたのは、2次、3次方程式の解の公式についてでした。なるほど、これなら高校生にとっつきやすいかもね。

高2のとき(おととし)、私が東京大のオープンキャンパスで選んだ模擬授業の、「江戸時代の絵画から見える当時の女性像」(記憶は定かならず。)とかいうのは、かなりつまらなかったからな。小難しくて先生の言ったことが右から左に受け流されていたもの。

先生は学生にいつも教えているように授業をしないで、高校生に興味を持たせるために、内容は面白く、先生も楽しそうに授業するというのが、模擬授業ってもんだと思います。

さて、話はICUに戻して、何々、解と係数の関係? ふむふむ、解の公式の導出にはこういうアプローチもあるのね。あれれ、小文字のシグマ(σ)が出てきたぞ。

なんだかここから難しくなってきました。

構わず淡々と話を進める先生。先生、ちょ、ちょっと待って。もっと説明を。何言ってるのかさっぱり分からないよ。(´゚A゚`)

先生は、私は授業を受けたことはないんだけど、何度も目にしたことのある方です。

講義がよく呑み込めない他に、先生の話し方が単調で、スクリーンに黒い細かい字が並んでいるだけなのも気になり始めました。これ、一応数学好きの大学生の私でも理解できなかったんですけど、高校生たちは分かったのかな。

なんやかんやで30分ほどして授業は終了。もうちょっと楽しい内容を期待していたので、残念です。

外に出たら、チアリーディング部の演技が始まろうとしていました。



この後は、大学食堂に行って、手に持っていた本を読もうと思っていましたが、時は12時、ランチタイムにどストライクで、混雑が予想されるというアナウンスがあったので、諦めて、図書館に行き本を読みました。図書館ももちろん見学者に解放されていたので、学生によるキャンパスツアーなどが何回も来ました。

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追記:避暑のため、ここのところずっと、昼の数時間は昼食を除き図書館か食堂にいるようにしていました。

2011年8月11日木曜日

科学を支えた重要図集「美しい科学1・2」

科学には、画像が欠かせません。極小の世界や極大の世界、または抽象的な世界を直感的に理解するには写真や絵が、多くの情報をコンパクトにまとめようとしたら図が、強力なツールとなります。特に数学では、画像が見るものに感動さえを与えます。画像は、科学の誕生時から重要な役割を帯びてきたのです。

そんな、科学に変革をもたらし続けた図や絵が一堂に会したらどうなるか。それは美しい絵画でいっぱいの、どこから見たらいいか迷うくらいの第1級の美術館の体をなすでしょう。それが本になったとしたら?

私がこの数日間読んでいた本は、そんな願いを叶えてくれるボリュームたっぷりの見事な図集です。邦訳は全2巻、原書は辞典かと思うような大きさと厚さを誇り、100近いトピックにそれぞれ、数枚の大きくて高画質な図と、数ページの解説が付いています。

美しい科学1 コズミック・イメージ [単行本] / ジョン・D・バロウ (著); 桃井緑美子 (翻訳); 青土社 (刊)



美しい科学2 サイエンス・イメージ [単行本] / ジョン・D・バロウ (著); 桃井緑美子 (翻訳); 青土社 (刊)



原書はCosmic Imagery: Key Images in the History of Science [ハードカバー] / John D. Barrow (著); W W Norton & Co Inc (刊)



上巻は天文学を中心に、生物学や高校でいう地学、下巻は数学を中心に、化学や物理学の図が収められています。科学の中でも天文学より数学の方がずっと好きな私は、下巻の方をお勧めします。

数学が発展途上だった中世の、数々の文書や、目が回るほどの不思議な図形:フラクタル、目を見張るほどに美しい図形:マンデルブロ集合(下巻の表紙も飾る。)など、印象的な画像に歴史の重みを感じます。

解説を読まないで、画像を見ているだけでも、きっと本書の目的は達成されると思います。(その理由の1つは、文章がとりわけうまいわけではないし、いまいち論理性に欠けるt)

実は、私は本書を書評で見つけてから、今年の3月末に上巻を少しだけ読んでいました。でもいつかは全部読む気でいたので、ICU図書館で借りてきました。

冒頭の意見に賛同するところのある方々、ぜひ本書を手に取って眺めてみて下さい。楽しいと思いますよ。これは残すべき貴重な記録です。

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追記:とんでもなく暑いですね。