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大晦日

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玄関先にあった硯形の亀 クリスマスにはいまいちのれないが、年末から正月の雰囲気が大好きだ。いつも存分に満喫している。特に大晦日の夜から元日は、すごく幸せな気分になる。家族とコタツにあたって食べる年越しのご馳走から元旦のブリ、そして元日の大量の新聞を眺めるときなどは、言いしれない幸福感に包まれている。 カウントダウンの仕方は毎年戸惑うけれども 。 先ほど年越しそばを食べた。ソバはうちで作ったのを粉にしてもらって手打ち、薬味にはうちで採れたネギを切り、もらったものだけれども近隣の地域で採れたネズミダイコンのおろし、そして砕いたクルミ。つゆ以外、ほぼすべて地産地消だった。 クルミは初めてだった。私が金づちでたたいて割ってほじくり出して、母がフードプロセッサーで粉々にしたが、しょっぱいつゆに、木の実の風味とほんのりした甘みが効いてとてもおいしかった。 明日の元旦は、友達と近所に初日の出を見に行く。

冬至を迎える

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12月初め、近所で、目を見はるようなきれいなイチョウの絨毯を見つけた。思わずカメラを持ちだして撮りに行った。これはローカルに死蔵させておくまいとて、1枚。 3枚ほど持ち帰って、押し葉にしてある。 最近は夜がめっぽう寒くて、何もできない。本を読もうにも集中できない(PCに向かってばかり・・・)。しばれる寒さに耐えかねて、ここ1週間で2回ほど、こういうときは「石鼓文」でも書くのがよろしいという心理的ジャンプを引き起こした。 篆書は紙と墨の相性に特に敏感である。何種類かの紙を試したが、あまりうまくいかない。写真は反古紙に臨模したものだが、これはその相性がうんと良かった。孫過庭が「書譜」で論じているところの、「紙墨相発す」である。 またまた話は変わって、つい先日、22日には冬至を迎えた。冬至は1年で最も日が短いので、もうあとは日がのびていくのみである。そう思うと毎年うれしくて、冬至は1年のうちでも大好きな日のひとつだ。この喜びを書で表したいという感興に駆られ、書いた。 「冬至 綿邈冬夕永」 235x345mm 夕食前に発心し、深夜、日が変わる前に数十分で書き上げた。「書譜」のいうところの、「偶然書せんと欲す」である。

メリー・クリスマス――自己顕示欲と自己満足

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メリー・クリスマス。 日本人は、師走末から正月初めのわずか1週間足らずの間に、キリスト教(クリスマス)→仏教(除夜の鐘)→神道(初詣)と、モンゴル遊牧民の乗馬のごとく素早く華麗に宗教を乗り換える。キリスト教徒でなくても、時期が来ると、いや、ところによっては11月もはよから、どこもかしこも念仏のように唱える。商業主義の勝利である。 Merry Christmas! 日本ではクリスマスは恋人と過ごす日として定着している。しかしアメリカの友達によると、向こうではクリスマスはむしろ家族が集まる日であって、対して1月1日が恋人と過ごす日なのだそうだ。日本と逆である。だからどうと言うわけではないけども。 Mele Kalikimaka! ところでハワイ語は子音が少なく、日本語で/θ/(英語のth)が/s/になるように、ハワイ語話者の耳には/r/(英語のr)は/l/に聞こえ、/s/はなんと/k/になってしまう。ハワイ語に/s/は無い。だから「メリー・クリスマス」は、なんやかんやで「メレ・カリキマカ」になる(詳しくは こちらを参照 )。 以上、季節の話題であった。 さて、ついたち以降、久しぶりの更新だ。いつもなら読んだ本など書き留めているが、億劫で書いていない。書くのが億劫なだけで、本は読んでいる。最近は平行して3、4冊くらいだ。おかげで効率が悪い。でも実は、読んでいる以上に買っている。次第に積ん読が増えているが、それが楽しい。近況のひとつを挙げるとすると、最近本に使うお金がぐんと増えた。 更新が停滞気味なのはまた、自らの内面を公衆の面前にさらけ出したり、駄文を書き散らしたりすることに、最近疑問を感じないではないということもあるかもしれない。このブログの内容は、あまり人の役に立つものではない。特に個人の雑多な読書記録は、自分のためになりこそすれ、話題の本のレビューでもない限りあまり人の役には立たない(実際PV数は無いに等しい)。書くのに時間がかかる割に(これでも文章は毎回かなり練っている)、書いたものは往々にして自己満足に終わっているのではないか。 反省してみると、私をしてブログを書かしめている原動力は、「ほらほら僕のこと知って!」という自己顕示欲と、「始めたからには続けなければ」という根っからのコツコツ初志貫徹

『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』

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ガイ・ドイッチャー(椋田直子訳)(2012)『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』インターシフト Guy Deutscher. (2010). Through the Language Glass . 言語学には、検証がとても難しいために、全くと言っていいほど手付かずのまま放ったらかしにされている疑問がいくつかある。 本書では、2つの大きな問題を扱っている。1つは、言語は思考に影響を与えるのだろうか(もしくは制限しているか)という問い、もう1つは逆に、文化は言語に影響を及ぼすのだろうか、という問いである。前者はいわゆる「サピア・ウォーフの仮説」として知られているものだが、現在では彼らの元々の説には懐疑的な向きが一般的である。ある言語で表現されない物や概念は、その話者は思考することができないという強い仮説は現在では否定され、それをまともに信じている言語学者はいない。 しかし、言語から思考という方向にせよ、文化から言語という方向にせよ、何らかの決定は少しあるかもしれないというふうには、おぼろげながら考えられていて、ただ、それが果たして「どのような」ものであって、「どの程度」までの作用であるかは、何の議論もする術がないのである。 それに関連してもう1つ、言語学者があまり深く語ってこなかった、というよりも正確には、理論的に深入りしようがなかった、いわば公理のようなものがあって、それは、「すべて言語は同じ程度に複雑である」というものである(もちろん他にもあるけど、本書で扱うのはこれだけ)。ある言語がある言語より難しい、というのは、ただの神話なのである。これは、言語学では申し合わせたようにあまねく受け入れられていて、この大前提を侵すことは、いわばタブーとされている。反論らしい反論もできないから、タブーと言うより、触れる必要がなかったのであるが。 ただし、言語の難しさを数値化することは不可能である。だから、すべての言語が同程度の複雑さを備えているという前提は、あくまで、良く言えば、そうであるはずだという経験的な信念、悪く言えば、希望的観測に過ぎない。 とりあえず、言語学では一般に、ある2人の母語が違ったとしても、その2人の見える世界はまったく同じで、思考のしかたも変わらない、もしくは表面的なものにすぎないとされている。ところが本書は、「言語が違え

刻字 「氣」

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ICU祭に合わせて作った刻字です。合氣道部(氣は旧字体じゃないといけないらしい)の友達に頼まれたものです。高さは45cm。近所の材木屋さんでヒノキの端材を切ってもらった。 4画目が途切れてしまっているのが惜しい。実線が途切れるのはご法度とされている。が、目をつぶっていただきたい。 実はこの字、普通の筆ではなくちょっと変わったもので書かれている。推測してみてください。 彫り終わって紙をはがそうとしているところ 刻字もちゃんとやろうとしたら、ノミや彫刻刀に始まって、いい材木、いい顔料を使わなければならない。どれもあまり売っていないし、第一安くもない。将来お金が貯まったら、かな、と思っている。

臨書 「石門頌」・「書譜」・「松風閣詩巻」

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大学の学園祭、ICU祭が11月はじめに行われ、書道部も3度目の展覧会を開いた。規模はとても小さかったが、一応の代表として、達成感はひとしお。来年の目標は、みんな計画的に書き進めて、半切くらいの大きな作品をもっと増やしたいといったところ。書道の基本として、古典作品への尊敬と理解を深めていただくべく、私も努力します。 あと後輩を増やす、ね。 さてさて、私は、臨書3点、刻字1点の合わせて4点展示した。ここでは臨書を紹介させていただきたい。次の記事で刻字を紹介する。 石門頌(2世紀) 半折 高2のときから好きな古隷「石門頌」だ。そんなことよりおそらく、表装がないのを不審に思われたと思う。まったくその通りでございます。このような裸の状態で飾ってしまったことをお詫び申し上げます。 一部 原碑の摩耗の趣をなんとか再現したくて、紙をわざとくしゃくしゃに丸めたあとで書いている。これが邪道であろうことは、百も承知であるけれど。でも気にいっている。 書譜(7世紀) 半折 次は草書の王道、「書譜」だ。「書譜」は高校で始めの十数文字を書いたのみだった。草書はいままであまりやってこなかったこともあり、 原寸で、長めに臨模した。今後さらに勉強したい作品だ。 冒頭部 松風閣詩巻(12世紀) 半折(一部切断)×2 去年 も「松風閣詩巻」は書いたが、今年は全臨に挑戦した。これをもって、ひとまずこの作品は一区切りにする。 一部 書道においては古典作品の理解は絶対に疎かにしてはいけないと思う。もちろん真似事しか出来ないのも困りものだが、今の私には相応の創作ができるほどの力量がないから、まだまだ臨書によって文字や筆法を勉強しなきゃいけない。あと知識も。 今後の目標は、草書では「書譜」も続けたいし、原点に立ち戻って、楷書は「雁塔聖教序」(実はやったこと無し)や「九成宮醴泉銘」など。篆書ももっと深めたくて、「石鼓文」をやりたい。

『日本の方言』・『中学生』

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柴田武(1958)『日本の方言』岩波新書 すごく大雑把に言って、日本語にとっての20世紀は、標準化もしくは画一化の世紀であったが、本書が書かれた50年代は、まだ方言が非常に強かった。地方からのお上りさんが、東京で方言を笑われて、劣等感と恥ずかしさからしゃべれなくなってしまうという「方言コンプレックス」が、問題になっていた時代である。 新書だから、広く浅く易しく書いてある。現代の言語学の理論から見たら、やや未熟なところが全くないわけではない(し、それに統計手法も一部あやしい)が、日本語の地理言語学を学ぶにあたっては、まず読みたい書。 佐山喜作(1963)『中学生』岩波新書 現役教師による、そのものずばりの新書。古い時代の中学校のことなので、現代には参考にならないこともあるが、勉強になることもあった。例のいわゆる「中二病」という、あの得体のしれない発達心理的大イベントについて知れるかと少し期待していたが、そこまで派手ではなかったにせよ、思春期の多情多感で「大人の階段登る」な中学生の心理的不安定が、新書で読める。中学校における教育論。 それにしても先生、強い正義感に駆られてか、学者や役人、政治家やマスメディアにむやみやたらに歯向かっていて、「民主主義」、「民主教育」などの言葉遣いだけ見ても、戦後間もない働き盛りの教師の、進取、新進気鋭の気位がにじみ出ている。 内容とは関係ないが、読んでいて目をみはったのは、当時の中学生の作文の巧さである。巧いなんてものではない。年齢を隠せば、短編小説と見まごうものが1、2あった。お世辞ではない。断じていいと思うが、こんな文章、今の中学生は書けない。大学生ですら、もし自分の日常生活をもとに原稿用紙2、3枚で小説を書けと言われたら、できるものかあやしい。僕は書けない。悔しい。そういう点においては、当時の教育が羨ましいのである。 滝平二郎のカット入り。 田代三良(1970)『高校生』岩波新書 それに関連して、『高校生』をいうのも読んでみたが、こちらは、生徒一人一人の内面とか生き様とかを取り上げているというよりは、主に高校の教育制度にかかわる政治的な話であったので、30ページほどでやめにしてしまった。だが、高校のテスト中心主義、競争、序列化のシステムが、いかに生徒の意欲低下、失望に結びついているかを

『あめりか物語』と「ミケランジェロ」・「京都」・「W・モリス」

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永井荷風(2002)『あめりか物語』岩波書店 初めての永井荷風。自身のアメリカでの数年の体験をもとにした短編集であり、紀行というより文学作品なのだが、私に文学批評なぞできやしないので、紀行として読ませていただいた。時代は、この前に読んだ『英国人写真家の見た明治日本』と同じく、1900年代のことで、当時のアメリカの様子がわかって面白い。特に、右も左も言葉も分からない日本人移民の、格好のカモのなりっぷりがが切ない。昨今の世に聞こゆる日本人の名など、なかった時代である。彼ら先駆者の粒々辛苦、天造草昧、フロンティア・スピリットがあるのみであった。 『あめりか物語』以降の2週間、読書らしい読書ができていないので、以下、先週と先々週に行った博物館のことを覚え書きしておく。 国立西洋美術館 に「ミケランジェロ展」を見に行った。知識は全くないのだが、沢木耕太郎をして感激せしめたところのミケランジェロというものを見てみたいと思った。ミケランジェロは彫刻家だと思っていたのだが、本展は絵画が中心だった。さすがに超有名な作品は持って来られなかったのだろう。私の力不足で、感激どころか理解もままならず、30分足らずで出てきてしまった。行動しなかったことを後悔するより、行動したことを後悔したほうがよいと、昔何かの本で読んだことだと、自ら慰めるのだった。いつか本場イタリアで見るべきだろう。 その足で向かいの東京都美術館に「ターナー展」を見ようと思ったが、予定を変更して 東博 に「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を見に行った。すごく見たかったやつで、すいていたからだ。知らなかったが、会期2日目だったのだ。前日に始まったばかりだったのだ。平日ということもあって、がらがらで、「洛中洛外図屏風」をじっくりと見られた。 素晴らしかった。荘厳である。壮観である。屏風や襖絵は言うに及ばず、心憎いほどの空間演出に、酔った。胸がすくほどに心地よく歴史の重みがのしかかってきた。圧倒的である。歴史の厚みの中に、呑み込まれるようであった。今までに見たもので5本の指に入る展示である。ために現実世界に戻ったときの落差は大きかった。博物館を出てからの帰りの雑踏を、まったくもって呪った。くそ、山手線は余韻に浸る間さえも許さないのか! あの建物の中では事件が起こっているというのに! 瞬間移動のできましものを。

『和紙の里 探訪記』・『インドで考えたこと』・『明治日本』

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菊池正浩(2012)『和紙の里 探訪記』草思社 和紙工房は日本全国おしなべて廃業が相次ぎ、把握が難しい。手漉きがいまなお続いている工房は、ほとんどの場合、把握されている数より少ない。全国津々浦々を著者が訪れ、自身の目でこんにちの伝承の実際を確かめられたところに、この本の価値がある。 地理的、歴史的な記述ばかりが目立つためだろうか、それとも、著者が和紙の専門家ではないゆえの私の先入観が邪魔したためなのだろうか、文章がどこか味気なく、心揺さぶるようなものがなかった。もっとこう、たとえば柳宗悦の「和紙の教へ」みたいにこまやかな観察眼でもって、紙そのものに対する尊敬を、感動を、伝えて欲しかった。 堀田善衞(1957)『インドで考えたこと』岩波書店 この本は前回の記事で書いた『何でも見てやろう』などで言及されていて知った。自然にこの本にたどり着いた感じだ。 この本も古い。だから、まだ中央アジア諸国はソ連に取り込まれているし、ベトナムは南北に分裂しているし、冷戦は続いているし、ネルーは生きている。ICU図書館で借りたが、岩波新書のはずなのにハードカバーであった。推察するに、元々の青表紙がボロボロになってしまったために、製本しなおしたのかもしれない。そのハードカバーでさえ、すでに角が丸まって、背表紙の手書きの文字は読めなくなっているのだが。 ICU図書館の最初期に入れられた本だと思う。この本を読むと、この本を手に取ってきた幾十人の先輩、ひいてはICUの歴史に参加できたようで、ちょっと嬉しくなるのであった。 内容はというと、タイトル通りインドで「考えたこと」であって、「アジア」と「西洋」、日本とインド、多分に文学的、哲学的、政治的な考察が繰り広げられており、本書を一言でまとめることができないでいる。その方面に明るくない私には、批評する言葉がない。之を逃げと謂ふ。 ハーバート・G・ポンティング(長岡祥三訳)(2005)『英国人写真家の見た明治日本』講談社 Herbert G. Ponting. (1910). In Lotus-Land Japan . Macmillan. またまた紀行だ。しかし今回は外国人による日本滞在記である。そして時代は、一気に1900年代、日露戦争の時代にまで遡る。 ポンティング氏、日本の風景、工芸、人間に

『何でも見てやろう』・『江戸川乱歩』

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小田実(1961)『何でも見てやろう』河出書房新社 (画像リンクは文庫版) 先日読み終わった『深夜特急』で、著者が触れていたので、読んだ。 いったいこの本、過去何十年の、何十人のICU生の手で磨かれてきたのだろう。この本を手にとって、ビックリした。ハードカバーの、ひらく側の2隅はすっかり丸まり、その丸まりに合わせて、中身のページも角が取れて気持ちのよい曲線を描いている。ハードカバーも、ICU生の過酷の使用のもとには、中身を保護する役目を果たしえなかったと見える。背表紙も破れており、テープで補強してある。かつての司書によるものと思われる手描きのタイトルが、この本の歴史を物語っている。 この本はよほど人気だったと見える。それにしてもボロすぎて、誰かがこの本を座右の書よろしくかばんに詰めて、世界一周旅行にでも出かけたのではないかという妄想までしてしまった。 本書は、著者がハーバードへ留学したのち、日本への帰途として、ヨーロッパ、中東、アジアを、1日1ドルの、乞食さながらの生活で生きながらえながら、見て歩いた、その紀行である。面白おかしく読み手をつかんだと思えば、一転、えらく真剣に論を立てて、沈思させられた。それゆえ、単純な紀行ではない。また、何らかの形で海外に出ていく人に、この本を薦めたいと思った。 紀行にはまりつつある。『深夜特急』とこれを立て続けに読み、それと同時に、ユーラシア大陸を横断中の 友人のブログ を一つ読んでいるので、頭の中が少しこんがらかっている。ただしこの状況は満更でもない。自分の中でひとつの統合が出来上がるからである。ふむふむ、1960年ころのイランはああで、1980年ころはそうで、2013年はこうなんだな、ということが分かる。インドはイランほど変わっていない気がするな、とかも分かる。そして、旅行に出たくなる。 江戸川乱歩(2008)『江戸川乱歩』筑摩書房 ちくま日本文学の短篇集。興味はなかったが、日本文学の先生が薦めていたので読んでみた。文学とは本当にごぶさただな、と思ってこのブログを調べたら、なんと最後に読んだフィクションはジョルジュ・ペレックの『煙滅』で、去年の7月だった。1年2ヶ月ぶりだった!

レジ袋でできた縄を色々に使う

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前回の記事 で作ったレジ縄を、実際に使ってみた。 まずはしめ縄にしたい この縄、材料こそ違え、手で綯った縄である。形は、どこをどう見ても、しめ縄に使われる荒縄のそれである。まずはしめ縄として使ってみるのが穏当だろう。紙垂(しで)を用意しよう。 紙垂を切る 僕の地元はこの形 ちなみにこの紙垂、私の地元(長野県)の切り方でやっているが、ネットでちょっと調べても、こうはっきりとした非対称形のものは出ない。紙垂の形にも地域差があるみたいだ。 紙垂を、縄に噛ませる それはさておき、やってきたのは都内某所。紙垂を縄にセットした。 *しめ縄を色々なところに付けるというのは、デイリーポータルZの西村まさゆきさんの着想です。「 ポータブルしめ縄でお前を神社っぽくしてやろうか 」を参照。西村さんには許可をとって行いました。 しめ縄と言ったら、僕は正月の飾りを思い浮かべるのだが、神聖なものの前には張り巡らされていることが多い。神社にも掛かっているし、横綱も付ける。神道のアニミズムでもって、巨石や巨木にも巡らせる。 大きい木ならたくさん生えているので、そこら辺の大木を勝手にご神木にしてみたい。 ご神木が生まれた 神が宿った 縄の色が不自然なので、偽物だというのはかろうじてわかる。しかし、そこら辺の平々凡々の木が、一気に神秘性を帯びた。しめ縄の効果は絶大であった。 ちなみに2枚目は、後日私が個人的に撮影したものだ。背景の建物は、泰山荘の待合という建物だ。加工するとさらに神々しさが増す。 白黒にし、ノイズを入れ、背景を適当にぼかしたら、まるで戦前の写真。 しめ縄と適当なレタッチによって、由緒正しい神社の一角みたいになった。 洗濯ロープにしたい 聖の領域から、一気に俗の領域に転落する。縄なのだから、洗濯ロープにだって使える。 両端は木とアンチェコで支えています わらの縄と違って、レジ袋の縄は腐らない。 縄跳びがしたい 手頃な縄があったら、縄跳びがしたくなる人もいるだろう。縄跳びでは飽き足らず、ダブルダッチをしたくなる人もいるであろう。 もちろん問題ない。飛ぶ人はいないけど。(猫でお送りしています) 本を運びたい どんどん行かせてもらう。私はこの目で見

大量のレジ袋で荒縄をつくる

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これ全部、レジ袋だけでできている 荒縄とは、わらで作った縄である。現代ではあまり使わないが、正月のしめ縄飾りなどで、見る機会はたまにある。私は地元で農作業をよく手伝っていたので、荒縄はかなり身近で、人よりは慣れ親しんでいると思っている。そういうこともあって、私は実は縄が作れる。 いきなり話は変わるが、私の部屋にはスーパーなどでもらったビニール袋がたくさんたまってしまっていて、邪魔だ。 ある日閃いた。そのレジ袋で荒縄を作ってしまえばいいのではないか。 *この記事は、デイリーポータルZの西村まさゆきさんの記事「 ポータブルしめ縄でお前を神社っぽくしてやろうか 」から着想を得た。 *** ビニール袋は、スーパー、コンビニ、本屋などで、毎日のようにもらえる。私は極力もらわないようにしているのだが、上京してからの約2年半、捨てずにとっておいたら、100は裕にたまってしまった。いい加減邪魔になってきた。使い道はないが、捨てるのははばかられた。 そして、いつだったか、そのレジ袋を細く切って藁筋に見立てれば、縄が作れるのではないかと思いついた。レジ袋で作る荒縄、略してレジ縄。リサイクルにもなって、いい。キザな言い方をすれば、現代の消費社会と、過去の農業社会の邂逅である。 私の地元では、正月前に公民館でしめ縄講習会というのがあった。私は父に連れて行かれた際に教わっていて、縄とゴボウ締めくらいは作れる。だから毎年しめ縄を買わずにすんでいる。縄を作れる人は今どきそうはいないと思っているので、私のささやかな誇りである。 ちなみに、縄を作るのには「綯う(なう)」という動詞があり、私はそっちをよく使ってきたので、以下では「縄を綯う」と表現したい。 *** この企画を行うにあたって、中学生のころから一緒に数々の企画をしてきた友人のアンチェコ( @botti184 )に、レジ袋で縄を綯わないかと誘ってみたら、一瞬で乗ってきてくれた。こんな酔狂な打診に、彼は聞き返しすらしなかった。さすが彼、持つべきものは友である。 アンチェコ(左)とももせ(右)です。 彼と縄を綯うのは実はこれで3回目である。1回目は中学3年の2学期の終業式の日(2007年)で、2回目は高1の天皇誕生日(2008年)だった。 この2つは