2015年12月2日水曜日

旧ブログを全面非公開しました

2012年3月まで「seesaa ブログ」でやっていた旧ブログを全面非公開にした。お知らせまで。

言うまでもなく、昔の私が書き散らした箸にも棒にもかからないような拙文を、いつまでも公衆の面前に晒しておくことはないと思ったためである。ただし、旧ブログの記事は2012年3月にインポートしてあるので、ほぼすべてこのブログで見ることは出来る。

でも、今の自分が見ても恥ずかしい幼稚な記事なので、読まないで下さい。

また、seesaaにある写真データを保持するため、ブログの削除をすることはできず、トップページだけ残さざるを得なかった。seesaaからGoogleに写真を移動できなさそうなのだ。削除してしまうと、インポートした古い記事の写真が表示されなくなってしまう。

ちなみにこちらが2007年2月の開設当初から、2015年11月末までの月間訪問者数(青い線)と月間閲覧数(赤い線)の推移。一番とんがっているところが、Bloggerに移行した2012年3月だと思われる。更新を停止してからも、一定数のアクセスがあったことが分かる。


2015年11月3日火曜日

私はここで働いています(動画)

アメリカ人の撮影した「January in Japan」という動画に、築地、伏見稲荷などと並んで、湯田中と地獄谷野猿公苑が映っている。湯田中は私の職場である。


January in Japan from Scott Gold on Vimeo.

3:08 長電タクシーで夜間瀬川沿いを走る。(たぶんこのメガネをかけた運転手も知っている。)
3:13 野猿公苑の遊歩道。
3:22 野猿公苑のサル。
3:43 野猿公苑入口のすぐ前の地点。
3:46 湯田中駅前のローソン(左)。
3:49 湯田中駅から徒歩2分ほどの旅館、山水閣(右奥の看板)

長野県の地獄谷野猿公苑は、外国人に人気の観光スポットになっている。

2015年10月4日日曜日

六つ目の四角い籠を編みました

8月27日の記事に、六つ目編みでは四角い籠は編めないと書いた。六角形を一回りずつ大きくしていくのが六つ目編みなのだから、底の編み上がりは六角形にしかならないということである。

正六角形の底の小籠

しかしそれを書いたすぐ数日後、小布施町に観光に行った際、六つ目で編んだ四角い籠を見つけてしまった。土産物を入れる容器として、使われていたのである。よくよく観察してみると、腰上げ(底から側面に連なる部分)の一部に、五角形を七角形を連続して作ることで四角い籠が編めるようだ。

後日私の先生に、六つ目の四角い籠を編んだことがあるかどうか尋ねてみると、ある、とおっしゃる。須賀川竹細工では四角い籠は普通編まないけれども、どうやら一般的にはそれほど珍しいことでもないようだ。先日の記述は私の勉強不足でした。ごめんなさい・・・。


商品、本、机などなど、四角いモノが溢れ、なおかつ合理性が求められる現代にあっては、四角い籠は何かと便利なのである。モノを入れるのにも、その籠を置いておくのにも、無駄なく収まって都合がいい。

試しに私も作ってみた。上の写真の通り。本体の材料は根曲竹ではなく、近所のホームセンターで篠竹として売られていたものである(少々硬くて薄汚れていたが)。

編み方は大して難しくなく、8月に苦労して八つ目編みをしたのは一体何だったのだという気持ちになった。ただし縁の芯竹を本体に合わせて上手く曲げることができず、そこはまだまだ課題である。

2015年10月3日土曜日

武蔵野美術大学の竹工コレクション

東京都小平市にある武蔵野美術大学は、日本を代表する民俗学者・宮本常一が過去に教授を務めていたということもあり、膨大な数の民俗資料を収蔵している。ポップで垢抜けた印象の強いムサビだが、実は民俗学という渋い方面でもかなり強いのだ。竹工品の収蔵品も、約3,000点と、極めて多い。

ムサビは、私のいた大学からそう遠くないこともあり、2度ほど見学に行ったことがある。(先輩の友達がムサビ生だった。)けれども、当時は宮本常一を知らず、竹細工にもそれほど興味がなかったので、民具コレクションのことは知らなかった。今となっては、遠くてなかなか行けなくなってしまったことが悔やまれる。

ムサビの民俗資料室のデータベースで、長野県の竹細工を調べてみると、90件以上ヒットする。戸隠の根曲竹細工と、松本のみすず細工が中心だ。長野県に限らずとも、多様な形の竹工品があり、勉強になる

いつかムサビにお邪魔して、竹細工コレクションをこの目で拝見したい。

2015年10月2日金曜日

新竹の季節になりました

春に生えたタケノコが、一人前の竹に成長すると、繊維がしっかりして竹細工に使うことができるようになる。1年生の新竹は、ここ須賀川では「一年コ」、戸隠では「ワカ」などとよばれ、緑が美しく、しなやかな性質を持つ。

その一年コを取るのに最適の時期が、昔から、9月中旬から2週間程度だと言われている。9月11日が竹切りの解禁日という地域もあれば、彼岸(秋分)を過ぎてからがいいと言う人もいる。というのも、早過ぎると竹が水分を多く含むために後々カビやすく、かつ虫食いにも会いやすい。逆に遅すぎると、繊維が固くなってしまうのだ。一昔前は、その時期を外して竹を切りに行くことは御法度だったという。

ちなみに現在の須賀川では、その決まりを厳密には守ってはいず、9月中旬から翌年の春くらいまでは、一年コを取りに行くのだが。

この採取の適期は、根曲竹に限ったことではなく、およそどの竹に当てはまる。

松本の私の実家の近くに、篠竹というこれまた細い竹が生えており、先日帰省したときに、1年生の篠竹を切りに行った。(地域の土地に生えているので、切っても大丈夫。)篠竹の竹細工は、特に岩手県が有名である。

篠竹の林

軽トラに積んだ篠竹

クローズアップ

全く手入れされていない竹林なので、古い竹が密集して生えていた。虫に食われているものも多い。新竹を探して、40本ほど採ってきたが、短い松本滞在中には割り切れなかったので、一部だけ持ってきた。さしあたっては、バッグ形のかごを編む予定である。

2015年9月1日火曜日

ありがとうOliver Sacks

フェイスブック経由で、オリバー・サックスが癌のために亡くなったことを昨日の早朝、知った。


Oliver Sacks died early this morning at his home in Greenwich Village, surrounded by his close friends and family. He...
Posted by Oliver Sacks Foundation on 2015年8月30日


彼は、私に最も影響を与えた作家の一人だ。

神経科医であり、ベストセラー作家でもあるオリバー・サックスの著書は、私の読んだものだけでも、『妻を帽子と間違えた男』、『火星の人類学者』、『手話の世界へ』、『心の視力』、『音楽嗜好性』がある。本は読んでいないが、「レナードの朝」は映画で見た。まだ読んではいないが、『Hallucinations』(邦訳:「見てしまう人びと」)という本がおととし出版されたばかりで、彼は、最後の最後まで現役であり続けた人だった。

彼ほど、人間の脳の可能性・可塑性を、魅力的かつ愛情深く語れた者はいまい。私は彼の本を読み、人間の記憶力の不思議、手話という言語の魅力、アスペルガー症候群の神秘さなどを知った。彼は、いつも私の知的好奇心をくすぐってくれた。

ご冥福をお祈りいたします。

2015年8月31日月曜日

《ドキュメント手工藝》 3.ハサミ職人

「たとえば、こんな鋏を親の形見としてもらった子供は、今のスマートな大量生産品にはない、たいせつな命というものが感じられ、ただ単に、物であるとか、道具だけとのみは考えきれないものがあって、一生座右に置くことになるであろうと思うのである。」(池田三四郎(1977)『金の民芸』文化出版局 86頁)


The Putter from shaun bloodworth on Vimeo.

2015年8月27日木曜日

明治の籠売り

長崎大学附属図書館の「幕末・明治期日本古写真コレクション」にて、当時の籠職人や、籠売りの写真をいくつか見つけることができた。(著作権により掲載はできないので、リンク先で見て下さい。)

職人の方は、見たところまだかなり若そうだ。20歳前後に見える。スッキリした背景と、遊び心のある籠の積み方からして、簡易なスタジオをこしらえて撮影したものと思われる。

行商人の方は、六つ目、四つ目、笊編みの籠や、編みかけの籠が大八車か何かに山積みになっている。店頭に並べるのではなくて、こんな売り方をしてみたいものだ。

八角形をつくる 八つ目編み

私が今のところ習った編み方は、六つ目編みと、その応用(この地方でかえしと呼んでいる編み方)だけ。この編み方だと、六角形(正のもの、長いもの、三角形に近いもの)しか編めない。四角形を編むのは難しい。

四角い籠を作る必要があったので、私にも出来そうな八つ目編みに挑戦した。八角形を作る編み方である。八つ目編みは、信州竹細工(戸隠と須賀川)では行わない編み方なので、本を参照しながら編んだ。先生からお借りした『竹かご編みの技法書』を参考にした。



見よう見まねで、底はなんとかできたが、腰上げ(側面を作る)と縁の処理には参った。難しい。出来上がったものは不格好で全く満足できないが、とりあえず、実用には耐える。一応の完成品は、こちら。




何を隠そう、書道で使う半紙を入れる籠を作りたかったのだった。


2015年8月24日月曜日

《ドキュメント手工藝》 2.高知の和紙・典具帖(てんぐじょう)

「しばしばごく小さな箱舟で、みすぼらしい道具を使いながら細々と紙を漉いている光景に接しますが、出来る品物を見ますと、清くて張りがあって誠に立派な品であります。」(柳宗悦(1985)『手仕事の日本』岩波文庫 187頁)


2015年8月22日土曜日

虫食いだらけの古い竹がカゴに変身(2)

松本の実家に放置されていた竹で、新たにもう一つかごを作った。同じ形だが、一回り大きい物を作った。

加工前の竹

洗い、竹割り、皮剥ぎが終わった状態


前回と同じく、胴部分の横ひごと、縁の巻き竹には、根曲竹を使った。前回は竹ひごの幅が4ミリだったが、これは5ミリにした。4ミリだと、なんとなく線が細くて竹の趣きがあまり出てこないが、5ミリ以上の幅になると、竹の風合いがよく分かっていい。

2015年8月18日火曜日

虫食いだらけの古い竹がカゴに変身

松本の実家に長年放置されていた竹で、細工をしてみた。

自宅の畑で支柱などに使ったニガタケだと思われる。雨の当たらない場所にあったものの、乾燥と虫食いが激しく、しなやかさはかなりなくなっている。使ったのは、直径がどれも太めの5、6センチだった。あまりボロボロになっていないものを選んだ。


竹をノコギリで1.5メートルくらいに適当に切り、土ホコリを拭き取ったあと、ナタで割る。割ってみると、内部は大部分が虫に食い荒らされており、粉が大量に出てきた。


皮を剥ぐ前に、柔らかくするために水に浸けておく。昼飯を食べている間、近所の灌漑に浸けておいた。上の写真は水から上げた直後なので、色が濃くなっている。


剥いだ皮。量が多かったので数時間かかり、くたくたになった。肉の部分は虫に食われていても、皮まではほとんど影響していなかった。しかし虫が入った穴は所々にあるので、気をつけないと、すぐに折れる。


これを先生のご自宅で道具を使い、幅決めをする。写真の竹ひごは幅4ミリに揃えた。これで材料の出来上がり。


出来た竹ひごを六つ目に編み、小さい籠を作った。ただし胴部分の横竹と、縁巻には、根曲竹を使った。竹はやはり数ヶ所で折れたが、よっぽど重いものさえ入れなければ十分実用に耐える。

小さいビニール袋を入れるのに使っている。ホコリをかぶった竹が、しゃれた生活の道具に変身した。

2015年8月17日月曜日

《ドキュメント手工藝》 1.オランダのガラス吹き職人

Bert Haanstraによるショートドキュメンタリー「Glas」(1958)。

「旧市街ハンハーリには、店内いっぱいに積上げならべられている店があった。水差し、注子、皿、鉢の大小。深緑、淡緑、淡青、それに茶色のものなどがあり、値は安い。」(浜田庄司、芹沢銈介、外村吉之介(1972)『世界の民芸』 36頁)

2015年7月23日木曜日

竹のある暮らし

ここ山ノ内町に3月にやってきて、竹細工がきっかけで独特の交友関係が生まれている。同年代の知り合いというのが、職場以外では全くいなくて、知人は皆竹細工をやっているおじ(い)さん、おば(あ)さんである。

先週、同じく県の伝統工芸品である「信州打刃物」の鍛冶屋さんたちとの、15名ほどの宴会が開かれた。僕も参加させてもらったが、60歳より下の人は僕以外にいなかったように見えた。

さて、新しい編み方を教えていただいた。基本の六つ目編みの応用で、私の先生が「かえし」と呼んでいる編み方だ。上に向かって六つ目に編んだ竹ひごを、180度ねじり、再び下へと編みこんでいく。網み目が六つ目編みより密で、ひし形を基調とした上品な模様だ。

180度竹をねじって折り曲げるので、繊維に弾力のある若い根曲竹を使わないと、この編み方は難しい。苦竹などでこの編み方をすると、裂けたり折れたりしてしまう。

下の写真が私の作った「かえし」の籠だが、未熟で直したい点がいくつもある。ちなみに後で持ち手を付けようと思っている。


創作意欲に駆られ、近所のホームセンターで買った竹(おそらく苦竹)でも籠を作ってみた。太さ3、4センチの竹が、1mで50円、1.5mで60円で売っている。ナタで12等分に割り、同じように皮を剥ぎ、水につけて柔らかくしてから編む。

「かえし」の籠を作ろうとしたら、ものの見事に裂けたり折れたりしたので、諦めた。大きめのシンプルな籠になった。


この記事のタイトルは「竹のある暮らし」にした。家に帰ると、部屋には竹ひご、作りかけの籠、作り終えた籠、そして購入したアンティークの竹細工(もちろん物を入れて使っている)が並んでいる。大量生産品ばかりの無機質な家具が並ぶ空間では、やはり趣きに欠ける。竹の容れ物のある空間は、とても居心地がいい。

2015年7月10日金曜日

「み」の由来は「升」?――今までで一番バカバカしかった本

ある日のとある大学図書館にて、いつものように書架の間をブラブラしながら、何の気なしに本を眺めていたときのこと。ふと手にとったハードカバーの洋書を開いてみて、自分の目を疑った。

その本は日本の文字、主に平仮名と片仮名の入門書で、1ページに1つの仮名が割り当てられていた。それぞれの仮名には、書き順などとともに、ページの下部に「その仮名の元となった漢字」も添えて載せられていた。しかし、びっくりしたことに、その漢字がどうしようもないほどに見当外れだったのだ。ギャグではない、大まじめに書かれた立派な作りの本なのにである。

なんと、「あ」の由来は「却」!? 「イ」の由来は「丁」!? いやいや、「あ」は草書の「安」、「イ」は「伊」のにんべんが由来ですから。

下に、その本に掲載された滅茶苦茶な「仮名の字源」を一覧にしたので、ご覧頂きたい。


平仮名















廿


































片仮名


















































本書に従うと、「ケ」と「ラ」は両方「万」から、平仮名の「へ」と片仮名の「ヘ」は両方「入」から、「ユ」と「ヱ」は両方「互」から、「ら」と「ヲ」は両方「弓」から派生したことになってしまう。「々(マ)」、「〆(メ)」に至っては、漢字ではない。さらに、「ノ」が、同じ片仮名の「メ」に由来すると主張するのもおかしい。「メ」が発生する前は「ノ」が無かったと言うのか?

「か」に対する「加」など、太字の漢字は、正しい字源を示しているものである。しかしその数はわずか6個。まぐれ当たりと言わざるをえないだろう。

漢字のチョイスが全くもってでたらめなので、ひょっとしたら、仮名の字源を示すという意識なんてなかったのかもしれないとさえ思ってしまう。つまり、各々の仮名に付された漢字は、「この仮名と形が似ていますね」という程度の意味しかないのではないか。しかしこの本の凡例を見てみると、その目算が違うことが分かる。下に引用するように、それぞれの漢字は、その仮名の由来となったと思われる漢字である、とはっきり書いてあるのである。

Kanji of derivation
For each kana, the Chinese ideogram (kanji) from which the character was probably derived is indicated.(47頁)

「probably(おそらく)」という表現を使ってあるあたり、著者が確かな文献にあたった上での掲載でないことがうかがわれる。推測だけれども、著者が何らかの漢字一覧表と突き合わせながら、それぞれの仮名と形が近いものをその「字源」と判断したのではなかろうか。なるほど、「ひ」と「廿」、「エ」と「工」、「オ」と「才」など、形がそっくりだと私たちも認めざるをえないものは多い。「ゆ」と「功」、「ネ」と「永」など、日本語話者には思いもよらないペアも、漢字を見慣れない人にとっては似ているように見えるのだろう。

平仮名と片仮名、合わせて96文字のひとつひとつに、似た形の漢字を探し出していったのだとしたら、それはとんでもない徒労だった。この本の原書(イタリア語)が出版された2007年には、Wikipediaだってもう存在していたのだから、なんなら一瞬で調べることだってできた(現時点の英語版、イタリア語版ウィキペディアでは、「Hiragana」と「Katakana」の字源は共に正しく示されている)。

もちろん、情報が間違っているかもしれないネットの情報を鵜呑みにするのは避けるとしても、然るべき文献にあたれば平仮名の字源を探すのは難しいことではないだろう。著者がすでに漢字一覧表を入手しているくらいだから、仮名の起源を調べるくらいたやすいと思うのだが・・・・・・。

* * * * *

というわけなのだが、この本のずさんさをただ批判するだけでは生産的ではない。私たちはこのことから何かを学び取れるだろうか。

目新しくもなんともないが、少なくとも二つあるだろう。一つは、情報を発信する者として。もう一つは、情報を受け取る者として。

まず、本であれブログであれ、はたまたスピーチであれ、大勢の人に何かの事実を伝えようとするとき、独りよがりになってはいけないということ。この「仮名の字源」の件で言えば、字源を著者自身が勝手に決めつけてしまったところに非がある。言い換えれば、主観によるバイアスをなるべくなくすということ。ある事実に関して、権威ある、それも複数の文献に当たることが大事である。

例えば、これが賛否両論あるようなデリケートな話題(極端な例だと、「福島の原発事故で病気が増えている?」とか)の場合には、相反する意見の両方を鑑みる必要がある。自分の主観だけで事を伝えようとすると、どうしても視野が狭くなってしまう。バイアスのかかった情報、ましてや嘘の情報を教えることは、伝えられる側にとって不公平だ。


もう一つ、情報を受け取る者は、その情報が確かな裏付けのあるものかどうかを、見極めること。上記の「仮名の字源」の件で言うと、読者に平仮名・片仮名の起源についてのちょっとした知識があれば、情報のデタラメさを一目で見破れるし、そうでなくとも、参考文献の有無や質でも判断できる。そもそも、外国人が日本の事を書いているという時点で、何らかのバイアスが掛かっていると思ったほうがいいかもしれない。(文献が手に入りにくい、日本語の歴史に詳しくない、という点など。)

参考文献というものは学術論文以外では付けないのが普通だが、一般的な本や新聞、ブログであれば本文中、スピーチであれば話の中に、情報の出どころが言及されているか否かで判断できる。

つまり、書き手や話し手が、一人よがりで情報を作り出していないかを判断することが大事だ。メディアは、往々にして、受け取る側にバイアスを掛けようとすることもある。それを見破らないと、偏った情報を植え付けられてしまうのだ。

陳腐なことだが、情報が氾濫する今日では大事なスキルだ。

参考
Mandel, G. 2008. Japanese Alphabet (Jay Hyams, Trans.). Abbeville Press.

2015年7月3日金曜日

アレックス・カー『美しき日本の残像』

アレックス・カー(2000)『美しき日本の残像』朝日文庫


おすすめ!

特に、著者の幼少期の日本への憧れ、日本留学、そして徳島県祖谷(いや)での民家再生譚が綴られる最初の2章では、私は興奮しながらページを繰った。これほどまでに日本を愛し、これほどまでに日本を憎む外国人は少なかろう。日本文化を再考させる良エッセイ。

2015年6月30日火曜日

ひたすら竹割りの練習

3月末に長野駅山ノ内町に引っ越してきて、3ヶ月が経った。

竹細工を習い始めて3ヶ月、竹割りは思うように出来るようになってきた。ナタで竹を4等分に割り、皮を剥ぐ。剥いだ皮が薄くなりすぎ、途中でちぎれてしまうことは格段に少なくなり、スピードも格段に上がった。ナタの刃が走って、左手親指を深く切ったこともあったが、親指に指サックをはめ、右手人差し指にはテーピングをし、怪我や擦れを予防する術も見つけた。

先週割った竹。ちなみにこれ、4時間ぶっ通しで割り続けてヘトヘトになった。

とは言え、繊維の強い1年物の根曲竹となると、先生方の10分の1くらいの速さでしか割れないのだが。戸隠にある井上竹細工店の井上さんは、お父様に「竹割り10年」と言われたという。私はまだ半人前の半人前くらいだ。

今月16日に、近所の小学校で竹細工教室が開かれた。職人4人が小学校に出向いて、高学年の児童が小さいかご作りを体験した。こちらで9割方作ったものを、子供が完成させるのだが、どういう風の吹き回しかそこに私も助手として参加することになった。しかも職人がひとり急遽参加できなくなったので、私も子供を教える役になった。

5年生4人(と先生1人)を教えさせてもらったが、ちゃんと教えれば思った以上に素直に上手に作っていた。ここから、将来の須賀川竹細工を受け継ぐ人が現れればいいなと思った。

また、私個人が先生のご自宅に訪問するのではなく、竹細工振興会の主催する竹細工教室も今月から始まっている。参加者30数名の内、おばさんとおじさんがほとんどで、若者は僕と中学生の女の子2人だけ。とにかく、竹細工を愛好する人の集まりということで、なかなか面白い親交がある。

竹はいつも職場の従業員駐車場の端っこで割っているのだが、竹を割っている脇を、近所のおじさんやおばさんが通る。物騒な刃物で何か小細工している私は、やはり物珍しいので、かなりの高頻度で「何やってるんですか」と聞かれる。2度目以降に会ったときは、「何かできたかい」とか「編めたら見してね」と言われる。

聞かれる度に、竹をこう割って籠とかザルとか作るんです、と説明するが、竹ひごばかり見せても、知らない人には完成品のイメージが湧かないかなと思った。今度から、自分で編んだ籠も近くに置いておこうか。

2015年6月9日火曜日

処女作 小さい手籠を作りました

ひと月も前のことになるが、去る5月11日に初めて竹で品物を作った。

竹を割るのさえまだまだ下手くそなのだが、基本的なことは教えたので、編むこともやってみようと先生の提案である。それまで私がやってきた「竹割り」が、ようやく「竹細工」になったというわけだ。

初めての竹細工。作った当日にケイタイで撮った。

六つ目編み(かご目編み)という一番基本的な編み方で、自分が作った竹ひごを使って(足りなかった分は先生の作ってくれたものも加えて)、小さい手籠を作った。2時間くらいかかっただろうか。未熟な点が多々あるにせよ、半分くらいは先生の手がかかっているにせよ、竹ひごが初めて形になったことが、大変うれしかった。これから一生やっていくであろう竹細工の、処女作である。興奮を覚えた。

時は飛んで5月30日には、山に入り根曲竹を切りに行った。切って葉を落とした根曲竹しかそれまで見たことがなく、この日初めて生えているのを見た。葉は少ないが大きく、学樹的にササに分類されるのも合点がいった。

今回は生えて1年のものだけを切ってきた。つまり去年タケノコだったものである。前の記事でも書いたように、生えて3か月~1年の根曲竹は繊維に粘りがあり、細かく巻いても割れることがない。そのため縁巻きなどに適している。

現在の車内の様子。中央が1年ものの根曲竹で、右側の細いのが割り終わった竹。

ホコリだらけになりながら先生と2人で一抱えほどの竹を採ってきて、そのうち一掴みを頂いてきた。置き場所がないのでそのまま車に入れてあるが、乾燥すると割れなくなってしまうので、本当は数日中に割ってしまわないといけない。仕事の昼休みに、少しずつ割っているが、まだ半分も割れていない。まだまだ竹割りが下手である。

今日9日もまた先生のお宅にお邪魔して、2つ目の籠を完成させた。その写真はまたの機会に。

2015年4月30日木曜日

竹細工を教えてもらっています

仕事のかたわら、須賀川の竹細工を習い始めて1か月。先生のお宅に今まで3回お邪魔して、竹の割り方と削り方を教わっているが、悪戦苦闘。

ザルやかごを編むための竹ひごを作るには、竹を4等分に割ったあと、皮の部分を幅5ミリ、厚さ1ミリ程度に剥ぐ。その薄く削った皮の部分を細工に使うのである。

先生のおっしゃることが理屈では分かっていても、手が動かない。竹を割るのは一応はできるようになって来ているとしても、削るのが全然だめ。厚すぎるのはまだいいけれど、どうしても薄くなって、途中でちぎれてしまうことが多い。

竹の切れ端で手を切るし、鋭利なナタでも手を切るし、現在、傷だらけの手である。相当の力で竹を押さえつけるもんだから、特に左手の親指は真っ赤になり、その日じゅう知覚過敏のような状態が続く。このごろ、親指の皮が厚くなったのが分かる。指の腹を触ってみた感覚が違うし、触覚も少し鈍った。竹細工用に手が変わってきている。


須賀川の竹細工には、根曲がり竹という、人差し指くらいの細さの竹(学術的にはチシマザサ)を使う。

竹なんて全部同じだと思っていたが、竹割りを習ってみると、種類ごとの性質の違いがまざまざと分かる。

根曲がり竹は、切ってまだ青い状態で割る。繊維に粘りがあって、割るのが難儀だが、途中で折れることもないし、細かい細工もできる。一方、ペットボトルの蓋くらいの太さになる真竹や苦竹は、中途半端な乾燥で割ろうとすると節のところで突っかかって、折れてしまう。しっかり乾燥させれば、パキパキと簡単に割れるのだが、粘りがないので細かい細工は難しい。

種類によって節の形も全然違うし、皮のツヤも違う。根曲がり竹の節はすべらかで、皮のツヤがとてもいい。真竹・苦竹の節は、水墨画で描かれるいわゆる竹節らしい竹節で、またツヤは多少劣る。

根曲がり竹のひご

ホームセンターで買ってきた苦竹(?)のひご

割り方はひと通り教わったので、ホームセンターで50円の竹の棒を買ってきて自習をした。根曲がり竹と違いパキパキと簡単にきれいに割れるので、ペットボトルの蓋の太さのものが16等分になった。割りも削りも、まずまずの出来。これと同じくらい上手に根曲がり竹も割れたらいいんだけど・・・。

2015年4月16日木曜日

長野県小布施の岩松院にて

4月3日、長野県小布施町の岩松院にて、葛飾北斎の天井画「八方睨み鳳凰図」を見に。

歴史のある町では、いい字を見つけることができる。

巨大な円相(?)の左に篆書で「無欠无餘」

入口で見つけた「脚下照顧」

「無欠无餘」は「欠けること無く、余ること無く」。「脚下照顧」は「足元をよく見よ」。ともに禅宗の言葉だそうである。

2015年4月6日月曜日

疑問詞のなかで「なぜ」だけが異質な理由

「なに、どれ、だれ、どこ、いつ、どう」など、いくつかある疑問詞のなかでも、「なぜ」だけは仲間外れな感じがする。

一言で説明するのが難しいのだが、感覚的に言うと、ほかの疑問詞を使った疑問文に比べて「なぜ」で聞かれる疑問文は「答えにくい」のである。例えばの話、

なにを見たいの?
どれを見たいの?
だれを見たいの?
どこで見たいの?
いつ見たいの?
どう見たいの?

と聞かれたら、それぞれ、

ショーを見たい。
「マイ・フレンド・ダッフィー」を見たい。
ダッフィーを見たい。
最前列で見たい。
誕生日に見たい。
食事をしながら見たい。

などと答えればいい。簡単である。しかし、

なぜ見たいの?

と聞かれたら、答えるのに多少頭の中で準備をしなければならないと思う。人によっては、「そんな野暮なことを聞くな」と思ってしまうかもしれない。


本のタイトル

『なぜ◯◯なのか』というタイトルの本は非常に多い。けれども『誰が◯◯なのか』というような本はあまり聞かない。試しに、アマゾンの詳細検索で、本・漫画・雑誌のタイトルに「なぜ のか」や「誰 のか」というキーワードを含むものを検索してみた。結果は以下のようだった。実際に検索キーワードをタイトルに含んでいない本もたくさんヒットするが、ヒット数には何の操作もしていない。そのため大変荒っぽい統計ではあるが、割合を見る目安にはなる。


明らかに、『なぜ◯◯なのか』というタイトルの本が抜きん出て多いことが分かる。

『なぜ、この人と話すと楽になるのか』1

という本は、手にとってみたくもなるが、タイトルをちょっと変えて、

と話すと楽になるのか』
『この人とどこで話すと楽になるのか』
『この人といつ話すと楽になるのか』
『この人とを話すと楽になるのか』
『この人と話すとどうなるのか』

としたら、大した事が書かれてなさそうな気がする。

「なぜ」が、なぜこうも特殊なのかというに、ひとつ言えるのは、聞いていることが違うのである。「なぜ」以外の質問は、ある出来事のある一部分を知りたくて聞いているのである。例えば、「だれ」という問いは出来事の主体や相手を、「どこ」という問いは出来事の場所を、「どう」という問いは出来事の状態や様子を聞いているというのだ。対して、「なぜ」という問いは、その出来事に至った原因や理由を聞いているのである。そこに因果関係が絡んでくるという点で、質問の性質が全く違うのだ。


「なぜ」は答えにくい

「なぜ」という問いに答えるのが難しい分、それに上手く答えることが時として大きな意義を持つ。

苅谷剛彦は、その著書『知的複眼思考法』の中で、ある事柄の「なぜ」を突き詰めることが、ものごとを多面的・批判的に捉えるためには必須のプロセスであると言っている。(本が手許にないので記憶が曖昧であるが。)

カルペッパーの『英語史』には、言語の変化についての「事実」(=なに)を知ることは比較的易しいが、その「理由」(=なぜ)を知ることは難しいとある。

What happened in the history of English is becoming relatively well understood, though there is still much research to be done. Why English changed the way it did and the implications of those changes are much more disputable, because they are less observable.(10頁)
まだ分からないこともあるにせよ、歴史上英語に何が起こったかは比較的明らかにされつつある。だが、なぜ英語がその姿を変えてきたのか、及びその変化の意義については、観測が難しいために、まだ議論が続いている。


言語学的な証拠

疑問詞「なぜ」がこのように異質なのはどうしてなのだろうと、ここ何年か気になっていたのだが、そのことを言語学的に確認する方法を2つひらめいた。簡単に紹介したい。

其の一 「なぜ」で聞かれた疑問文に対する返答には、特定の表現を付けることが要求される。

単純な話である。上で挙げた例でもうお気づきかも知れないが、「なぜ…」と聞かれたら、普通「…から」という答え方をしなければいけない。もちろん場合により、「…ので」や「…なんですよ」などと言うこともある。書き言葉ならば、「なぜならば…」とか「…のである」、「…ため」と書く場合もある。いずれにしろ大事なのは、他の疑問詞に対する返答には何も付けなくてもいいのに対し、「なぜ」のときだけは特定の表現を付け足さなければならないのである。

「どうしてスイカが嫌いなの?」と聞かれたら、「子供のときに食べ過ぎてお腹を壊したんだ」などと答えるのが通常であって、「子供のときに食べ過ぎてお腹を壊した」と答えただけでは、質問に答えたことにならず、会話が成立しない。

私の知る限り、同じことは他の言語にも当てはまる。英語ならば「Why...」に対して「Because...」。中国語なら「为什么...」に対して「因为...」と答える必要がある。「なぜ」が特殊なのは、言語を問わないようだ。

其の二 英語に限った話だが、他の疑問詞(疑問形容詞の働きしか持たない whose を除く)には可能な統語的規則が、疑問詞 why では禁止される。

中学校で習う文法で、「I didn't know what to say(私はなんて言ったらいいのか分からなかった)」といった例文にあるように、いわゆる「疑問詞+to 不定詞」というのがある。それは種々の疑問詞に使えて、

what to do(なにをするか)
which to do(どれをするか)
who to do(だれに/を/とするか)
where to do(どこでするか)
when to do(いつするか)
how to do(どうするか)

が可能である。しかし、

why to do

という表現は普通しないのだ。使っても、非常に稀である。これは why の持つ意味の特殊性に因るのだろう。その「意味の特殊性」とは、具体的には何なのだろうか。今後も考えていきたい。

以上、「なぜ」という語の特殊性とその特異な振る舞いについての所感だったが、これについてはもう誰かが研究している可能性は十分ある。どなたかご存じの方がいましたら、お教え下さい。

――
1 この本は実在するが、内容は知らない。「なぜ」と入力したら入力候補に出てきたから挙げたまで。

参考
苅谷剛彦(1996)『知的複眼思考法』講談社
Culpeper, J. 2005. History of English (2nd ed.). Routledge.

2015年3月31日火曜日

ICU図書館で借りた400冊から選ぶオススメの9冊

国際基督教大学(ICU)を卒業した。

私が入学した2011年4月から2015年2月までのほぼ4年間にICU図書館で借りた本は、述べ407冊だった。異なり冊数、つまり複数回借りた本を1冊と数えた場合の数は、298冊だった。

日本十進分類法にしたがって述べ冊数を分別すると、やはり私の専攻である言語学(800番台)の本を断トツに多く借りていた。


407冊のうち、レポートや卒業論文など学業のために借りた本は158冊。個人的な読書を楽しむために借りたのが239冊だった。(その他の目的が10冊。)私は、ICU図書館を学術よりも趣味の読書のために多く使っていたことになる。

この記事では、個人的に借りた本の中からおすすめの9冊を厳選してご紹介したい。

紹介の順番は、私が大きく影響を受けた『手仕事の日本』を筆頭に、それとテーマが近いものを2と3に。私の専攻である言語学のまつわるものを4と5に。その他の良書を6、7、8、9に挙げた。それぞれの説明の最後の「初出」に続く年月は、その本をブログで紹介した年月である。

 柳宗悦(1985)『手仕事の日本』岩波書店

あなたに影響を与えた本を1つ教えてくださいと言われたら、迷わずこれを挙げる。本書の初版は戦後すぐの1948年。「民藝」という言葉の生みの親(の一人)であり、調査のため20年の歳月をかけて全国津々浦々を歩きまわった思想家、柳宗悦が、各地に残る手仕事の数々を易しい言葉で書き記す。その後の私の進路を方向づけた書。カットは芹沢銈介。初出:2013年5月。

 寿岳文章(1973)『書物の世界』出版ニュース社
  
『手仕事の日本』に出会う少し前に読んだのがこの『書物の世界』だ。この2冊は全く独立に見つけたのだが、寿岳文章は柳宗悦の民藝運動に参加した人だと後になって知った。寿岳文章はブレイクやダンテの翻訳でも知られるが、書誌学や和紙研究でも多くの著作を残している。本書では、書物はどう変遷してきたのか、書物とはどうあるべきかを語る。本の装丁という世界に目を開かれた本。初出:2013年4月。

 西岡常一(1988)『木に学べ』小学館

記憶が定かではないが、中学校の国語でこの文章を読んだことがあった。大学1年のとき、記憶を頼りに本書を見つけて読んでみたが、寺院建築の強さと宮大工という仕事の底知れなさには恐れ入った。法隆寺解体修理や薬師寺西棟再建などを手がけた20世紀を代表する宮大工、西岡常一のことばひとつひとつが、重く響く。そして、その生粋の奈良弁に引き込まれた。初出:2011年11月。

4 渡辺純男(2010)『言語学入門』三省堂

言語学を学ぶという心づもりがある程度できていて、どんなことを学ぶのかを窺い知ってみたいと思ったら、この本を読むのがいいと思う。この本は言語学の諸分野の基本的な用語を短く分かりやすく解説している。興味がある人には有用かつ面白い。ただし本文は用語の羅列なので、言語(学)の魅力を知りたいと思って読むと、退屈な可能性あり。余談だが、装丁や組版が垢抜けていて好印象。初出:2012年12月。

5 L. Bauer & P. Trudgill. 1998. Language Myth. Penguin Books.

タイトルを文字通り訳せば、「言語の神話」。「ある言語は他の言語より難しい」、「マスコミは言葉を乱している」など、巷でささやかれる言語に関する噂や誤認を、言語学者たちがたたっ斬る。言語学を学んでみたい高校生や大学新入生、知識はないがことばに関心ががある人におすすめ。大学入試レベルの英語があれば、原書も難しくない。入手は難しいが、邦訳は『言語学的にいえば…』。初出:2014年4月。

6 小田実(1961)『何でも見てやろう』河出書房新社

この9冊の中では、おそらくいちばん一般受けしそうな本。本書は、著者がアメリカ留学を終えたのち、日本への帰る道すがら訪れた、欧州、中東、アジアを、1日1ドルという生活で生きながらえつつ見て歩いた紀行。まだ海外旅行が一般的でなかった時代の世界一周だけあり、いちいち興味深い。海外旅行に行きたい人に特におすすめ。著者のユーモアあふれる文体もおすすめ。見習いたい。初出:2013年10月。

7 藤枝晃(1999)『文字の文化史』講談社学術文庫

甲骨文字以来の中国3000年の漢字の歴史をおさらいするには、最適の本。書道をするのなら、実践で字を書く練習をするだけでなく、知識として漢字の歴史をひと通り知っておいたほうがいい。著者は文字学の盛んな京都大学の先生で、自身も書道に造詣が深い。文章は分かりやすく、文量も適度。1971年初版。記事にはしていないが、2014年の夏に読んだ。

8 渡辺保史(2001)『情報デザイン入門』平凡社新書

どういう風の吹き回しか、デザイン、特に情報デザインに凝った時期があった。この新書がきっかけで、TEDを始めたR・S・ワーマンを始め、アルビン・トフラー、ヤコブ・ニールセン、すぐ後に紹介するD・A・ノーマンといった大家を知った。今ではデザイン熱は下がったものの、彼らの本を読んだことが今日の自分の情報デザイン(ブログ、チラシ、文書など)における実践と評価に活きていることは間違いない。初出:2011年11月。

9 D・A・ノーマン(1990)『誰のためのデザイン?』新曜社

私にとって、その後の情報表現に関する考えの根底となった良書。あるプロダクトが使いづらかったら? あるウェブサイトで知りたい情報が見つからなかったら? それは自分のせいではなく、作った側の問題なのだ・・・。本書の内容はデザイナー必知のことなのだろうが、ハード/ソフトを問わず何かモノを作り出す人であるならば(つまり基本的にあらゆる人が)知っておくべきことではないか。初出:2012年6月。


以上。

ICU図書館には、私は借りていないけれども素晴らしい本がたくさんある。当然ながら、ICU図書館以外の図書館で借りた本にも、ぜひおすすめしたい物がたくさんあった。もちろん買った本にも。だが敢えて、私が「ICU図書館」で「借りた」本から選ぶという制限を設けた。あまり意味のない制限であった。

2015年3月30日月曜日

中国旅行 写真編 後半

中国旅行6日目から12日目までの写真をご紹介。

6日目(3月10日)

旅の最大の目的だった碑林博物館
平日なのでがらがら

7世紀(初唐)の楷書の傑作「孔子廟堂碑」

孔子廟堂碑の碑面

7日目(3月11日)

ムスリム街にて
西安名物の凉粉(左)と凉皮(右)
右のほうが好み

同じくムスリム街にて
行列のできる有名店の肉夹馍(ロウジアモー 牛肉サンドイッチ)

8日目(3月12日)

だだっ広い大雁塔
奥は明代に立てられた塔
手前は玄奘の銅像

西安を囲む城壁に登った

城壁から臨む夕焼け
この日で西安とはお別れ

9日目(3月13日)の写真はなし。

10日目(3月14日)

杭州日帰り旅行
雨の西胡
11日目(3月15日)の写真はなし。

12日目(3月16日)

豫園

豫園の有名店「南翔小籠」の小籠包

霧にかすむ上海ワールドファイナンシャルセンター(上海环球金融中心)

霧にかすむ東方明珠電視塔

この旅行で買った本のすべて
述べ26冊 厚さにして40cm