2011年11月21日月曜日

「自然界にひそむ「5」の謎」は未解決である

がっかりした。このがっかりを表すには、いつものようなですます調ではだめだ。

先日読んだ本は、4、5年探していたものだ。

自然界にひそむ「5」の謎 (ちくまプリマーブックス) [単行本] / 西山 豊 (著); 筑摩書房 (刊)



著者が本書を書いたのは、シンプルかつ魅力的な疑問からである。すなわち「正5角形を作図するのは難しいのに、ヒトデのごとき下等生物がなぜきれいな5角形を作っているのか。」(分度器で72度ずつ測るのは禁止だ。数学における「作図」とは、目盛りのない定規とコンパスのみを用いて図形を描くことをいう。)そう、確かに不思議である。5角形の作図が難しいだけでなく、5は数学的に不安定である。他の数字はというと、1はすべての単位であり、2は対称形を作ったり直線を定めたりし、3は平面を定め、正3、4、6角形は平面を充填する。特に1、2、4、6は、自然界にもいくらでも見つけられる。(頭や口は1個、目や羽や触角は2個、犬の足は4本、昆虫の足は6本、蜂の巣穴は6角形。)このように5は自然に存在しにくい数なのに、なぜかヒトデは5本の腕を持ち、多くの花弁は5枚である。その謎を解くことは、とても意義があるはずだ。

実は本書の3分の1か半分は、中学生のときに読んでいた。本書のテーマに当時から興味をひかれていたが、続きを読もうとしたら、どういうわけかいつの間にか中学校の図書館から無くなっていた。高校生のときにこの本の存在を思い出して、近所の図書館を探してみたが、見つけられなかった。東京に引っ越してきて、ようやく近くの図書館で見つけた次第である。先ほど4、5年探していたと書いたのは、こういうわけだ。

数年越しに出会えた、良書だと思っていたのだが……。

がっかりした。

こじつけもいい加減にしてほしい。論理の飛躍も甚だしい。

本書は「ヒトデはなぜ5本腕か」と「花びらはなぜ5枚か」の2部に分かれているので、まず前者から見てみよう。突っ込みどころはたくさんあるが、逐一書いていく時間も気力もないので、決定的なところだけを例に挙げよう。

著者は、ヒトデの5本腕は、その発生初期の32細胞期の割球の配置と、準正32面体(または切頂20面体)という、サッカーボールでおなじみの正5角形と正6角形でできた立体で説明できるのではないかと(何の根拠も無く)仮定した。著者によれば、準正32面体において6角形の周りは5角形と6角形が混ざっていて不安定だが、5角形の周りはすべて6角形だから安定だという(図参照)。そして結論において、著者は思考実験ですらない、ある種の妄想を行う。彼は、ヒトデの割球に聞いてみたそうだ。「5角形に座るのと、6角形に座るのとではどちらがいいか」と。そしたら割球は5角形に座りたいと答えたそうだ。かくして、ヒトデは以降、中心の5角形を基に組織を作っていくので、5本足になるのだとさ。

非科学的すぎて笑いも出ない。本書を読むのを長らく楽しみにしていたことを後悔した。

また私は、著者が5本足の概略設計ができる時期を32細胞期としたのは、準正32面体がちょうど正5角形を含んでいたからだとしか思えない。つまり、結論ありきなのだ。

次に、第2部「花の5弁の謎」であるが、簡潔に述べておくと、著者は茎頂(茎の先端)のドーム状の組織と、そこでの細胞配置に注目した。正5角形の周りに正6角形をくっつけるとお椀状になる(つまり準正32面体の一部である)が、それを茎頂のドーム形に当てはめ、5つの細胞群が茎頂に配置されているに違いないと結論付けた。それら細胞群が、花びらや萼(がく)になっていくので、5弁の花びらが多いというわけだ。

これまた根拠のないこじつけだ。著者は、文献で茎頂がドーム状であることを確認しただけで、茎頂の組織の細胞配置を自分で確かめなどはしていない

もう2点言わせていただきたいことがある。本書は、雑誌「数学教室」(国土社)の連載に加筆修正してまとめたものであるが、字数稼ぎのためか全く不要な記述が多い。例えば、オクラの5角形に関する第17章は、章ごと無くても本書の大筋に全く影響が無い。もちろん、決まった記事数と文字数を書かねばならない連載記事の制約上仕方ないところもある。また物事は要点だけにしぼって伝えてほしいという私個人の好みもある。が、本書の記述は冗長だった。

最後の1点。著者がDNAによる生物の決定論を否定しているのも頂けない。著者によると、生物は遺伝的な決定の他に、外界からの後天的な環境が影響するということだそうだ。それゆえ著者は、ヒトデの5本足決定を卵割もだいぶ進んだ32細胞期とし、5弁花決定を茎頂における細胞配列時だとした。私は、生物の進化や変異や移動を解明するのにDNA以上に優れたものは無いだろうというDNA至上主義的な考えだったので、著者のこの考えには同意できない。もちろん、後天的な要因による影響も無視はできない。例えば、紫外線に長時間さらされれば肌は黒くなるし、妊婦の喫煙は未熟児を生みやすくするという。だが、DNA懐疑論に対する明らかな反論がある。生物学的な異常が無い限り、どうしてすべての細胞は核やリボソームやミトコンドリアを持ち、すべての人間は2本ずつの手足を持ち、心臓を持ち、言葉を操るようになり、すべてのバッタは足に強力な筋肉を持ち、桜はピンク色の花を咲かすのだろうか。後天的な偶然が影響したにしては、種での一致があまりに多くないだろうか。これは先天的な決定無しでは説明できない。私は自然界にひそむ5の謎も、DNAを調べたほうがよいのではないかと思った。

要約すると、本書の問題点は、根拠の乏しいこじつけ、過度な思考実験、不要な記述、DNAによる決定の否定(など)である。

それでも著者は自信たっぷりだ。Amazonでの評価も低くない。レビューでは、C60フラーレンにまで話が発展するとある。だがこれは話の発展ではなく論理の飛躍というものだ。

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私は論理というものに関しては敏感なので、つい小言を言ってしまいました。こんな耳の痛い記事にこれだけ長口上を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

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