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秩序に偶然性の入り込んだもの

前にいとこが、スキのあるモノが好きだと言っていた。混じりけのない、整いすぎたモノじゃなくて、どこか不完全なところがあったほうがいい、ということだと思う。 僕もそういうのが好きだ。僕なりに言い換えるなら、秩序に偶然性の介入したもの。 この木の皿は決定的だ。耳付き、スポルテッドの木材からキレイに刳り出された皿。 View this post on Instagram A post shared by SML 【4/6-4/14 瀬戸本業窯 個展】 (@sml_nakameguro) on Feb 15, 2019 at 6:31pm PST 芸術の好みにもそれがある。 Aliza Razell や Stev’nn Hall に心動かされた。写真(写実)と絵画(書き手の恣意)が同居している。 自然作用というのは最高の介入のひとつだと思う。 拓本がそうだ。柳宗悦が「拓本の效果に就いて」という文章で書いていた。千年、二千年の時の間に摩耗した碑文を写し取った拓本には、肉筆の書にはあり得ない趣がある。風化という自然の作用が働いたからである。 竹の網み組みでも、傷や変色の部位をあえて使うことがある。作り手によっては捨ててしまうところである。自然に生じた傷のある竹をきれいにヒゴにこしらえ意味ある形に編んでいく。

脱「筆文字ロゴ」論

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久しぶりに行った(古書店でない)普通の書店で大発見をした。 手にとってまず適当に開けたページが芹沢銈介の作品群! これはもしや、と思ったら案の定、つい先月感動とともに紹介した綿貫宏介も載ってる。ハイ、このふたりが同一の本に載ってる時点で第一級資料決定。 さらに私の好きな書家のひとり、中村不折も載ってるし。そればかりかこの本、沢木耕太郎の『深夜特急』の表紙とか、小布施町の桜井甘精堂とか私もちょう知ってるロゴを手掛けた方々も出てくる。 しかし私が感激したのは掲載の面々だけではない。 この本の紹介するあまたの「描き文字」は、毛筆の書でも、規格化されたタイポグラフィでもない。書道の本も、タイポグラフィの本もゴマンとあれど、こういう「人の手によるアナログなロゴデザイン」をまとめた本というのは丸ッきしないのだ。少なくとも私は見たことがなかった。だから、こんな素晴らしい、写真豊富、装丁瀟洒な、ニッチな本を出してくれた著者と監修者に感謝感激なのである。こういう本を求めていたぞ。 さらに、もうひとつは、手書きによるロゴデザインは「描き文字」と言うのか!というちょっとした知的感動である。この「描き文字」に相当すると思われるものに、欧米に「(hand) lettering」というものがあって、私は日本でもそれがもっと普及してほしいと常日ごろ願っているのだが、その訳語に考えあぐねていた。それまではそのままカタカナの「レタリング」とか「ハンド・レタリング」くらいしか思い浮かばず、しかも「レタリング」だと、日本語では単に「文字の装飾」という意味に捉えられがちなのだ。そこへ来て「描き文字」なる言葉がきた。 ただ、「描き文字」はマンガの効果音の文字を指すのにも使われるようだし、「(hand) lettering」とまったく同じものだと言うこともできないだろう。それぞれの使われる範疇は、少し違っていそうである。それに、はたして「描き文字」なる言葉がこの本でのみ使われているだけなのか、あるいは業界で一般に使われる用語なのかは、よく調べていないのではっきりしない。(後者に思えるけども。) 個人的には、一般名詞として「描き文字」というやや安直な言葉を使うのは、あまり好きになれないので、さしあたって、「(hand) lettering」は「レタリング」と訳すことにしておく。 ...

綿貫宏介という巨人

ある日ネットで知った御所坊という有馬温泉の宿の、ロゴを始め、暖簾や避難経路図に至るまで館内のそこここにあると思われる、不思議な篆書じみた文字に釘付けになった。 この垢抜けた文字はそんじょそこらのデザイナーによる仕事ではないのは、ひと目見て明らかだった。しかしロゴデザインの主を調べようにも、御所坊のサイトには説明がない。御所坊の文字という以上に手がかりもないので調べようがなかった。 そのロゴは、篆書はもちろん書を熟知している人でないと出来ない仕事だった。安っぽい言い方はあまりしたくないが、端的に言って、上手いのである。あまりに完成しているので、朝日新聞の題字における欧陽詢「宗聖観記」のように何か古典から集字したのか、もしくはアレンジしたという可能性もほんの一瞬頭をよぎった。しかし、御所坊の文字は、私の知るかぎりどの古典にも似ておらず、独特で、何より、きわめてモダンであった。 ある匿名のデザイナーによる、モダンな篆書じみた文字。私は不思議な感覚に陥った。 そんな感覚も忘れかけていたつい昨日、Facebookで流れてきた写真が目に止まった。友達の友達のあげていた小鼓という酒で、小さくてよくわからないが、ラベルのロゴがどことなく垢抜けていた。 すぐさま検索してみて、心臓が高鳴った。ラベルの文字が、あの御所坊の文字と同じだったからである。小鼓は西山酒造場という兵庫の会社の酒で、そのデザインに関して、親切にも1ページを割いてくれていた。西山酒造場のロゴデザインを手掛けたのは、1925年生まれの綿貫宏介という芸術家であったのだ! 話は寄り道するが、白状すると、ある素晴らしいクリエイターやその作品に出会ったとき、恥知らずな私は「他の面では無理でも、頑張れば、この人のこの部分には勝ち目があるかな」と、しばしば思うことがある。 例えばの話、文字を扱うクリエイターに対して「墨書についての知識は僕のほうが持っているんじゃないかな」なんて思ったり。( 超有名デザイナー佐藤さんのとあるロゴデザインとかを見たりなんかするとね・・・ボソッ )。またある人には「オレのほうが英語うまいんじゃね」とかね。言うまでもないことだけど、有名人に対する揚げ足取りである。 しかし、綿貫宏介はそんなちっぽけなやっかみの入る隙すらない、桁外れの芸術家ではないか。 戦後、ポルトガルと...

あつめること には2種類ある

何かを熱心に「あつめる」人がいる。コレクターである。 その「あつめる」ことには2種類ある。網羅すること、と、精選することだ。 あるテーマ、団体、人物に関してすべてのものを集め尽くそうとするのが、網羅すること。コンプリートすることだ。 好きなアーティストの音楽を全部買う、好きなキャラクターのグッズをとことん集める、などがそうだ。網羅することには、それを楽しむということの他に、全てを集め尽くすこと自体が目的となる。個々のモノの好き、嫌いは何であれ、全てをコンプリートしたあかつきには、何とも言えない達成感が待っている。 一方で、あるテーマ、団体、人物に関して自分の気に入ったものだけを集めるのが、精選すること。セレクトすることだ。 コンプリートすることの達成感は得られないものの、自分のあまり気に入らないもの、必要ないものを集める必要がなくなる。つまり、自分の好きなものだけが手元に集まる。 私は柳宗悦が好きで、民藝運動に関して柳自身が著したものも、第三者が著したものも、書籍はたくさん持っている。しかしながら、正直なところ、数十万という高値で取り引きされることもある柳の書(墨書のことです)は、バーゲンセールで大安売りされていたとしても、あまり欲しいとは思わない。魯山人もどこかで評したそうだが、私は柳の字を美しいとは思わないからである。 マイリー・サイラスが好きだとしても、一部の曲ばかりを繰り返し聞いていて、他のは一度も通して聞いたことが無い、とか。「あつめる」とは少し違うが。 網羅することと、精選することは、目的が違うのであって、どちらが良いというのはない。しかし私は、精選することの方が好きである。私はそうやって、あつめてきた。 網羅することは、すなわちそれに没入すること、という可能性をはらんでいるのではないか。あることやものが好きでたまらないと、その悪い面が見えづらくなってしまうような気がするのだ。 ・・・もちろん、セレクトしようにも全部好きなんだ、という場合も少なくないだろう。つまり「網羅」と「精選」がぴったり一致するとき。そのとき、それはその人にとっての「とっておき」だ。 私にもそういう、ほとんど「全部好き」な書家がいる。私の「とっておき」なので、この場では教えられない。 話を戻して、あることやものの一部は好きだけど一部は好...

故小野寺啓治氏を偲ぶ

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小野寺啓治氏が亡くなった。2015年11月初旬 [1] だという。 小野寺啓治とは誰ぞや、ときっとお思いのことだろう。 ネットでは、氏のまとまった情報を得ることは難しい。検索して出てくるのは、主に氏の著作と、上野精養軒で行われた関係者による「偲ぶ会」のページくらいなのだ。Wikipediaにも無いし、自身のホームページもない。いや、実は生前「書道ジャーナル研究所」という立派かつ有用なサイトがあったのだが、没後、きれいさっぱり閉鎖してしまった。(http://www.shodo-journal.com/)。 2015年10月現在の「書道ジャーナル研究所」トップ WayBack Machine(https://archive.org/)より 調べる中で、氏のFacebookページを見つけたが( こちら )、2013年3月から5月までの写真4枚しか、閲覧することができない。もちろん、1936年生まれという氏の年代から考えれば、Facebookをやっていて、プライベートの写真が見られるというのは、貴重なことではあるのだが。 小野寺氏は、美術評論家および書家である。生前は、いくつかの大学で講師を務め、『書道ジャーナル』という月刊誌を発行し、また数多くの著作を残した。手元にある氏の本から、彼の略歴を以下に引用する。 小野寺啓治(おのでら・けいじ) 昭和11年東京八王子に生る。昭和38年学習院大学大学院人文科学研究科美学美術史コース修了。専門 日本美術史・書道史。 現在 学習院・工学院大学・相模女子大学・中央美術学園講師のかたわら、美術評論・書作・篆刻・民芸運動に従事。 [2] サイト「書道ジャーナル研究所」の事務所は東京の調布市にあったのだが、グーグルマップで調べると、長野県富士見町に、同名の、現在は閉鎖中の出版社がある。氏は同じく富士見町に、小野寺美術館という自身の設立した美術館まで持っていたのだが、こちらももう閉鎖しているかもしれない。(住所は長野県諏訪郡富士見町立沢1−223。執筆現在、グーグルマップではまだ見つけることができる。) 小野寺氏の著書は、どれも絶版と思われるが、大体のものは、ネットで容易に手に入れることができる。ほとんどが書道、特に日本の現代書道に関するものである。しかしその中で、民芸に関するものがいくつかある...

《ドキュメント手工藝》 4.アメリカの盆栽職人

"A master is somebody who, every single day, tries to pursue perfection." American Shokunin from Ryan Bush on Vimeo .

《ドキュメント手工藝》 3.ハサミ職人

「たとえば、こんな鋏を親の形見としてもらった子供は、今のスマートな大量生産品にはない、たいせつな命というものが感じられ、ただ単に、物であるとか、道具だけとのみは考えきれないものがあって、一生座右に置くことになるであろうと思うのである。」(池田三四郎(1977)『金の民芸』文化出版局 86頁) The Putter from shaun bloodworth on Vimeo .

《ドキュメント手工藝》 2.高知の和紙・典具帖(てんぐじょう)

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「しばしばごく小さな箱舟で、みすぼらしい道具を使いながら細々と紙を漉いている光景に接しますが、出来る品物を見ますと、清くて張りがあって誠に立派な品であります。」(柳宗悦(1985)『 手仕事の日本 』岩波文庫 187頁)

《ドキュメント手工藝》 1.オランダのガラス吹き職人

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Bert Haanstra によるショートドキュメンタリー「Glas」(1958)。 「旧市街ハンハーリには、店内いっぱいに積上げならべられている店があった。水差し、注子、皿、鉢の大小。深緑、淡緑、淡青、それに茶色のものなどがあり、値は安い。」(浜田庄司、芹沢銈介、外村吉之介(1972)『世界の民芸』 36頁)

物を作ることと売ること

モノを作るなら、いいもんを作れ。 モノを売るなら、いいもんを売れ。 本 物として多量に生産されるのであるから、美術品ではなく、工芸品であることは疑いを容れない。すでに工芸品である以上、それには工芸品としての資格、すなわち工芸的な用と美への奉仕が条件づけられねばならぬ。多く作られる以上、多くの人の手に渡るのは覚悟の前であり、多くの人がみな書物の愛護家とは限らず、書物をゴム長へ入れて歩く学生も出てくる以上、どんな手荒いあつかいにも耐えるだけの強さと、その強さにマッチする美しさが具わらなければならぬ。 1 はんこ 水野の家は昔から一切の宣伝や広告はやらんと決てます。本音はその費用がおへんにゃ。そのかわり、ええもん作れ、で来ました。ええもん作ってさえいたら人が注文してくれるちゅう信念どす。つまり口コミ利用。 2 箕(み) 桜であろうが、あるいは籐であろうが、それのしんにして編みますと、こんなきれいな箕ができるわけなんです。これくらいにきれいに作ってあると、上手に使って一〇〇年はもつんです。一〇〇年もつということになると、サンカが同じところにとどまって仕事ができないんです。わけるでしょう。いいものを作ると売れないんです。売れたらあと買うてくれないんです。いつまでも同じもの使うから。修理には歩く。それがサンカを移動させた大きな原因になっている。次々に作って置いていくわけです。それからせいぜい三〇年も経つと、お前のところの箕はどうなったって尋ねていくと、いたんでおる。破れてしまった。そんなら新しいのをどうだってことになるだろうしね。毎年きやしない。で、移動する。こういう職人が日本に多かった。  この箕を売りに来る連中なんか、三〇年から五〇年にいっぺんしか来なかったというのはこれなんです。三〇年から五〇年くらいをひとつの周期としてずっとまわって歩いている。どこそこへ行ったら、あそこは昔、わしがこの仕事をしたところじゃから、お前行ってみろなんてことになる。いまはね、じつにその点お粗末に作ってある。できるだけこわれやすいようなものこしらえてね。みなさんそれを買わされて、それで一年か二年するうちにもうだめになっちゃう。電気製品なんか買うて、そうしてしばらく使っておって修理しようとすると、もう部品がありません、そんなものだめですなんてやっている。ところが、...

柳宗悦『柳宗悦コレクション2 もの』

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柳宗悦(2011)『柳宗悦コレクション2 もの』筑摩書房 読んだのはもう2か月くらい前、7月はじめのことだが、書き留めておかないとやはり記憶の中に埋没してしまうし、おすすめの本でもあるので、簡単に書いておく。 ごく最近に出た、柳宗悦の論考集3冊シリーズのうちの1つだ。柳宗悦の著作は膨大で、有名なものならば文庫で簡単に読むことができるが、その他の文章は大きな図書館で全集に当たるか、古本屋を探さねばならない。本書に収められた34の文章のうちには、他の文庫では読むことができないものが多い。 内容の多くはさすがに記憶が薄れてしまっているが、ひとつ今でも覚えているものがある。読んだときは、柳宗悦がまさしく私の考えていたことを代弁してくれたことに嬉しくなり、そしてまた自信を得た。「『見ること』と『知ること』」というタイトルで、本書で10ページ程度の小編だ。 いくら知識を得て、言葉を尽くして書き表わしても、直感で見ない限りは、美の本質には迫れないという話。 美は一種の神秘であるとも云える。だから之を充分に知で説き尽くすことは出来ないのであろう。(280ページ)  一枚の絵の解説を、かかる美学者や美術史家が書くとしよう。若し彼が直観の人でなかったとすると、直ちに彼の解説に一つの顕著な傾向が現れてくる。第一彼は彼の前にある一幅の絵を必ず或る画系に入れて解説する。或る流派の作に納めないと、彼は不安なのである。絵はきれいに説明のつくものでなければならない。(中略)彼の文章はここでいつも或る特色を帯びる。例外なく私達が逢着する事柄は、彼がその絵の美しさを現すために、如何に形容詞に苦心するかにある。言葉は屡々大げさであり、又字句は異常であり珍奇でさえある。而もその言葉数が極めて多量である。彼は形容詞の堆積なくして美を暗示することができない。(281-2ページ) 難しいことではない。別に美学者や美術史家でなくとも、何か抜群に美しいものに出会ったとき、もしくは素晴らしい文章に出会ったときでもいい、それがどんな言葉の表現も適切でないと感じた経験は、誰しも持つのではないだろうか。どんな形容詞もぴったり来ず、どんな美辞麗句を連ねても自分の中の感動を完璧に言い表すことはできないというもどかしい経験だ。 そういう目が醒めるような感動は、私は1年のうちにも片手で...

湯浅八郎『民芸の心』

7月に入って、心揺さぶる文章に立て続けに3つ出会った。一つずつ手短かに紹介させて頂きたい。 読み終わった順に、一つは民藝、一つは宮本常一、もう一つは篆刻(てんこく)である。3つ並べてみて、自分でも意味の分からない(そして皆さんがおそらく思われるように、古臭い)ラインナップだと思うが、本質のメッセージはいずれも多かれ少なかれ普遍性を持っていたような気がするので、どうか笑わないでいただきたいのである。 まずは、湯浅八郎述・田中文雄編(1978)『民芸の心』だ。 これは、湯浅八郎、ICU初代学長が1978年に行った特別講義「民芸の心」の講義録である。ICU生でも特に最近の人は多くが知らないと思うが、湯浅元学長は民藝の一大蒐集家であった。その5200点あまりに及ぶコレクションは、今はキャンパス内にひっそりとたたずむあの湯浅八郎記念館に収められている。この講義は、湯浅元学長の米寿の年、1978年の5月に、6日間だけ行われた。 民藝というと、骨董趣味といっしょくたに捉えられてしまいがちだが、ウン百万円の壷とか、ウン百年前の書画軸とかいうのと民藝とを、まぜこぜにしてはいけない。前者は、個人の芸術家が、美しさを目的として創作したもので、一点物で、庶民には手が届かず、実用からも遠い。対して民藝は、無名の工人が多量に作った、一般民衆の普段使いの品々のことである。焼き物、着物、漆器、木工、竹工などなど、そもそも美醜の意識なんぞ微塵もなかったものばかりである。 民藝は、大正末から昭和初期にかかて柳宗悦らにより提案され、理論付けがなされた。(柳は「民芸」ではなく「民藝」の字を使ったので、ここではそれに倣っている。)日用の器物に美を見出した「用と美」の思想は、それまでの美術とは全く別個の美の世界である。 その民藝の美は、物がなければ始まらない。民藝はその性質上、具体的な物を見て、触れて、使って、初めてその美しさや、手仕事の確かさに感動できるのであり、それを残していこうという動きにつながる。民藝はあくまで有形物にこだわるのである。 そこへ来て、愛とか平和とか、哲学とか宗教とか、形のないものこそ正道にして第一義であり、対して具体物は、物欲を掻き立てる、邪道にして第二義的なり、というヒエラルキーがあるものだから、私は、そこが民藝運動の高尚なる美学たりえない所以なのだと思う...

失われた「夜の寝覚」最終部 新発見の断簡を見に

平安後期の王朝文学「夜の寝覚」の欠落した最終部の一部が発見されたと、読売新聞が5月27日付朝刊で報道した。 菅原孝標女の作とも言われる「夜の寝覚」は、最終部など一部が現在に至るまでに失われていた。しかし 実践女子大学 が京都市で購入した断簡を調べたところ、冒頭部に記されている和歌「知らざりしやまぢの月をひとり見て よになき身とや思ひいづらん」 [1] が決め手となって、「夜の寝覚」の最終部だと同定できた。これまで欠落部分のものと推測されてきた一連の断簡とも類似するため、合わせて2000文字程度を復元できる可能性が出てきたという。 ちなみにこの断簡は、南北朝時代の後光厳院によって写されたという極札(筆跡鑑定書)が付いていた。「極めつけ」の語源である。 さて、私はこのニュースを上記紙面上で知ったのだが、告白すると、それまでに「夜の寝覚」という作品名を聞いたことすらなかった。では、なぜこんなことをブログに書くのか。 というのも、くだんの断簡の筆跡が大変美しかったからである。文学研究上の意義も大きいけれども、同時に書としても、非常に優れていると思ったのである。 この断簡(書の世界では古筆切ともいう)は、6月7日から10日までの4日間、渋谷の実践女子大学で展示されていた。書道部の先輩と一緒に昨日、この目で見てきた。 この古筆切は、それ自身は縦16.9cm、横14.8cmの小さな紙ッ切れである。折り紙くらいの大きさである。しかし古筆切は一般に、鑑賞のために掛け軸にされていることが多く、この「夜の寝覚」最終部も例外ではなかった。新聞紙面には断簡の本体しか載っていなかったが、実物は幅4、50cm、高さは人の身長を優に超えるであろう細長い軸に表装されていて、裂(きれ)は紺地に金色(?)の大きな菊紋の入ったものだった。たいへん格調高い表装であった。その書は、細太のはっきりした瑞々しく色っぽい線であった。 その他のメディア報道 5月29日NHKニュース おはよう日本 朝日新聞6月3日付夕刊 鑑定した横井孝教授の論文は武蔵野書院の こちら 。武蔵野書院の ブログ記事 。 [1]和歌原文:志らさ里しやま地の月を日と利み帝/よ尓なき身とや思日いつらん(「/」は改行。)

東京蚤の市 2014春 印判と竹籠を買う

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昨日と今日(17、18日)の2日間、調布市の競輪場で「東京蚤の市」が開催された。今年もつい行ってしまったのでご報告したい。 今日の戦利品。 「 東京蚤の市 」は年2回、調布市の京王閣という競輪場で開かれる。蚤の市と言うけれども、売っているものは主に小道具、骨董、古本、雑貨なので、いわば骨董市みたいなものである。ただしこのイベントのターゲットが若い男女(特に女性)である点で、普通の骨董市とは違う。ウェブサイトのデザインなどをはじめ、商品の雑貨もかわいいものが多い。実際、学生から40代までくらいの女性が多かった。 私は、この蚤の市は 去年の5月 に引き続き2回目だ。今月はちょっとお金を使いすぎているので、今回は我慢しようと思ったのだが、サイトを見たら、やっぱり行きたくなってしまった。会場は私のアパートからは自転車で行ける距離で、入場料は400円である。 ものすごく混むことは去年の経験から知っていたが、日曜日の午前10時40分ころに着いてみると、2、300メートルの行列ができていた。11時の開場後は、会場はごった返す。古道具というと、おじさんやおじいさんのイメージだが、今や若い人にも人気なんだなということを実感する。 去年の撮影ですが、今日もこんな感じでした。 サイトを見て何が欲しくなってしまったかというと、食器が欲しくなってしまったのだ。特に、印判の器が欲しくなってしまったのだ。印判とは、白地に青の模様を転写した磁器のことで、我が大学の初代学長、湯浅八郎も収集していた代物なんである。( 大学内の博物館 で見ることができる。)私は、清らかな白と深い青のコントラスト鮮やかなその器を、写真で眺めるのではなく、自分の食卓に登場させたくなってしまったのである。ああ、また物欲に負けてしまった。 財布を確かめると、1000円札が4枚と少々の小銭。これなら少なすぎず、また買いすぎることもあるまいと、5月の陽気の中自転車を走らせたのである。 興味が変わると、見えてくるものも変わる。去年は活版印刷に特に興味を持って行ったけれども、全体をくまなく見回したので、買ったものは「ももせこうへい」という活版の名刺のほか、古本2冊、古い物指し、マグカップと、まとまりがなかった。 去年買ったものの中でも、この2つにはとてもお世話になっている。 一...

<今月の退行> 一 益子焼の調味料入れ

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シリーズ物に挑戦してみたい。<今月の退行>と題して、毎月末に、わたくしももせの因習墨守にして旧態依然(そしてひょっとしたらロハス)なさまを少しずつさらけ出したいと思う。つまるところ、刺激の多い今の生活に疑いの目を向けて、ちょっと昔の生活に思いを馳せてみたという話である。 ネタはすでにいくつか用意してあるので、1年を目標に続けたい。第1号は、先日買ってきた小さい壷の話。 焼き物の調味料入れ 先日、塩を入れる容れ物を替えた。 自炊をするので、毎日のように塩やコショウや醤油といった調味料を使う。特に塩は、上京して一人暮らしを始めたときに、小さいビンに詰めてあるのを買ってきて、中身が終わったら他の塩を買ってきて、詰め替えて使っていた。かれこれ3年近く同じビンだった。 しかし2週間ほど前にある本を見、調味料を小さい焼き物の壷に入れる手もあるなアという思いに至った。そういえば、実家でも味噌をあの茶色い壷に入れて使っていた。柳宗悦の民藝運動を知ってから、焼き物のぬくもりは一応理解していたし、ひとつふたつ買ってもいた。(父親の影響で、それ以前にも食器には多少こだわりがあったが。)そう考えてみるとなんだか、今まで使っていた、メーカーの名前の入ったガラスのビンが、どことなく冷たい感じを与えている気がしてきた。 考えてみれば、プラスチックやガラスが無い時代、塩なり味噌なり梅干しなり漬物なり、何でもこういう陶器の蓋物に保存していたのである。もちろん密閉性はないし、倒したらこぼれる。けれども、それは機械の産物ではなく、人の手の仕事である。無機質の透明なガラスのそっけなさではなく、素材の素直な美しさがある。私は、従来の方法に立ち帰ることにした。 調べたら、わりと近所でもそういう蓋物を売っている民芸屋みたいなところはあったので、善は急げと早速買ってきた。(阿佐ヶ谷の 美里 というところ。)選んだのは益子焼の小さい小さい壷。灰色がかった土の地に、わかめ色の縁取りが健気だ。 すでにこれには塩を入れて使い始めている。不便はないし、ステンレスの冷ややかなキッチンに、少しばかりあたたかみを添えている。

『あめりか物語』と「ミケランジェロ」・「京都」・「W・モリス」

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永井荷風(2002)『あめりか物語』岩波書店 初めての永井荷風。自身のアメリカでの数年の体験をもとにした短編集であり、紀行というより文学作品なのだが、私に文学批評なぞできやしないので、紀行として読ませていただいた。時代は、この前に読んだ『英国人写真家の見た明治日本』と同じく、1900年代のことで、当時のアメリカの様子がわかって面白い。特に、右も左も言葉も分からない日本人移民の、格好のカモのなりっぷりがが切ない。昨今の世に聞こゆる日本人の名など、なかった時代である。彼ら先駆者の粒々辛苦、天造草昧、フロンティア・スピリットがあるのみであった。 『あめりか物語』以降の2週間、読書らしい読書ができていないので、以下、先週と先々週に行った博物館のことを覚え書きしておく。 国立西洋美術館 に「ミケランジェロ展」を見に行った。知識は全くないのだが、沢木耕太郎をして感激せしめたところのミケランジェロというものを見てみたいと思った。ミケランジェロは彫刻家だと思っていたのだが、本展は絵画が中心だった。さすがに超有名な作品は持って来られなかったのだろう。私の力不足で、感激どころか理解もままならず、30分足らずで出てきてしまった。行動しなかったことを後悔するより、行動したことを後悔したほうがよいと、昔何かの本で読んだことだと、自ら慰めるのだった。いつか本場イタリアで見るべきだろう。 その足で向かいの東京都美術館に「ターナー展」を見ようと思ったが、予定を変更して 東博 に「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を見に行った。すごく見たかったやつで、すいていたからだ。知らなかったが、会期2日目だったのだ。前日に始まったばかりだったのだ。平日ということもあって、がらがらで、「洛中洛外図屏風」をじっくりと見られた。 素晴らしかった。荘厳である。壮観である。屏風や襖絵は言うに及ばず、心憎いほどの空間演出に、酔った。胸がすくほどに心地よく歴史の重みがのしかかってきた。圧倒的である。歴史の厚みの中に、呑み込まれるようであった。今までに見たもので5本の指に入る展示である。ために現実世界に戻ったときの落差は大きかった。博物館を出てからの帰りの雑踏を、まったくもって呪った。くそ、山手線は余韻に浸る間さえも許さないのか! あの建物の中では事件が起こっているというのに! 瞬間移動のできましものを。...

根津美術館と国立新美術館

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随分前のことになってしまうが、6日(土)に両親が東京に来た。 美術館に行こうかな、と言っていたので、私の提案で 根津美術館 に行くことになった。特別展「やきものが好き、浮世絵も好き」を見たくて、目をつけていたのだ。そしてそれ以上に、新築したばかりの建物も見たかった。おしゃれスポット、表参道にある美術館だ。 建物も庭も、文句なしに素晴らしい空間であった。 展示も、もちろんとても見応えがあったが、私は実は陶磁器も浮世絵も全然詳しくない。一方、特別展と同時開催の、古代中国の青銅器に、えも言われぬ感動を覚えた。 古代中国の器は、もともと気になる存在だった。惹かれていたのだと思う。それほど意識してきたわけではないが、根津美術館を訪れて、その思いは確かなものになった。余韻が未だに残る。 帰りは原宿駅まで表参道を歩いたが、土曜日とあってか、すごい人だった。そして、ただひたすらにシャレオツであった。見ているだけで楽しかったが、一人でいたら怖気づいていたかもしれない。 そして、ひたすらに蒸し暑かった。熱暑。ちょうど、この日梅雨明けが発表されたのだ。夏の到来であった。 *** 時は飛んで、今日29日は、 国立新美術館 に「アンドレアス・グルスキー展」と、その足で「毎日書道展」を見に行った。 アンドレアス・グルスキーはドイツの写真家。この展覧会まで彼を知らなかったが、ぜひ見たいという衝動に駆られた。 期待を、軽く超えた。抜群に素晴らしかった。ずば抜けて良かった。何がいいって、その巨大で抽象的な画像は圧巻。グルスキーが作品に込めた現代社会に対する思想が、訴えかけてきた。息を呑む。私がいままで見た展覧会(といっても数えるほどしか無いが)で、3本の指に入ると思う、いや、一二を争うほどに素晴らしかった。 ううむ、言葉にすると途端に陳腐だ。いくら言葉をこねくり回しても、なかなか自分の中の感情を描写できない。二階から目薬である。私には自分の感動を的確に表現する言葉の持ち合わせが無い。ご自身の目で確かめていただくしかないだろう。 図録を買ったが(3500円もしたが、買わずにはいられなかった!)、実物には到底、絶対、かなわない。 ついでに、初めて毎日書道展も見たが、グルスキーを見た後で、あまり集中して見られなかった。第一、作品が多すぎである...

「ラファエロ」と植物公園と「あ」と「未来を変える」

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一気に。 13日の月曜日は 国立西洋美術館 に「 ラファエロ 」を見てきた。この日は 大学生無料招待 だったのだ! ラファエロは高校の世界史で習った程度、いやそれさえも忘れているので、半分も楽しめなかったに違いない。だが、かのラファエロが日本に来るのだから、見なきゃ損に決まっている。もっと知識があればもっと楽しめただろうが、500年という時間を全く感じさせず、そして皮膚、衣服、毛皮の陰影、質感の生々しいのには目を見張った。素人目にも、ラファエロの筆使いの妙に感動せずにはいられなかった。 会場はやや混み気味。周りが学生ばかりなのがどうしても落ち着かず、早めに出てしまったのが少し悔やまれた。 17日の金曜日は、友達と大学の近くの 神代植物公園 に行ってきた。バラが見頃で、主にご年配の方で平日とは思えないほどの混みようだった。広すぎて回りきれなかった。 ずーーっとバラ! さてさて霧雨の降る20日(月)には、なにかと話題の「 デザインあ展 」に行ってきた。天気も平日もなんのその、というほどの人の入りようで、よいよいよいよい、今日月曜だよ?雨降ってるよね?と驚かずにはいられなかった。しとしと静かな人影の少ない外と(ぎろっぽんのミッドタウンである)、がやがや賑やかな館内とのコントラストは可笑しかった。 だが、恐ろしきかな、前日の日曜は1時間半待ちだったらしい(名も無き人のInstagram 1 、 2 、 3 、 4 )。それを思えば楽々と0秒待ちでは入れた私は幸せだったと言わなければならない。私は テレビ放映 を見たことがないので、何がそこまで惹きつけるのかわからない。もちろん楽しかったけど。 緊張の六本木。1人で来るのは初めてなのでした。 深い深い地下鉄に乗って、決して良心的ではない入場料を払って、帰りは帰宅ラッシュに巻き込まれたのに見合うくらいの満足は、得た。ところで正直なところ、楽しみの半分くらいは会場の建築だった。安藤忠雄の設計という。 そのついでに、「 未来を変えるデザイン展 」も見てきた。これもミッドタウンでやっていたのだ。(会場が私には高級すぎてどぎまぎして、場所がなかなか分からなかったが、)小規模で無料だった。

柳宗悦づくし

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柳宗悦? 民芸運動とかいうやつだっけ? 高3のときセンター倫理のために暗記したわ。「柳宗悦・・・民芸」。 今、その 柳宗悦 (むねよし。通称そうえつ)に傾倒している。3週間前に図書館で『手仕事の日本』をふと見つけてからというもの、柳色に染まっている。今なら、最近の人生のターニングポイントはいつかと聞かれたら、今だ、と答えてもいいかもしれない。突然だが、とにかく柳宗悦一色なのだ。 柳宗悦(2009改版)『 手仕事の日本 』岩波文庫 時運もよかった。本書を読み始めた折のこと、GWに地元長野に帰るので、その機会に(授業の関係の)美術館見学に行けるなと思って 松本市美術館 をチェックした。そしたらなんと、まさか、「柳宗悦展」開催中だって!? わわわ。運がいいというか、世界は自分を中心に回っているに違いないと思った瞬間であった。さらに、だんだん分かってきたのだが、柳宗悦は松本民芸家具を通して松本に相当縁が深いらしい。松本市は民藝運動の一つの拠点として通っているそうだ。何たるめぐり合わせ! というわけで、上の本を読み終え満を持して、5月5日(日)に松本市美術館と松本民芸館、そして今日11日には東京駒場の日本民藝館と、合わせて3館に行ってきた。欲張った。 まず松本市美術館、「柳宗悦展 ―暮らしへの眼差し―」だが、百聞は一見に如かず。本で読んだものを、自分の目で確かめる機会である。学ぶところ多い。そんでもってミュージアムショップの品揃えがそれはそれは良くて、購買意欲をこれでもかとくすぐるものだから困る。ショップだけでもまた行きたいのだが、残念ながら会期中にまた帰郷する時間はない。 美術館に行った足で、次はその近くの 松本民芸館 に「柳宗悦が育んだ 松本の民芸 ~クラフトの原点~」だ。美術館でチケットをもらって初めて分かったのだが、そこでも、柳宗悦にちなんだ展示をしていた。(実は市内の4館で民芸をテーマに共同開催していたらしい。)ラッキー! 松本民芸館入口 ここは建物だけでも一見の価値がある。美術館は何度も行ったことがあるので写真は撮っていないが、ここは初めてだったので撮った。立派な門と、雑木林の庭に囲まれた蔵造りの建物だ。私は地元にあまり詳しくないので、こんなところがあったのかと、感動した。ちなみにここ、アクセスはあまりよくない。 工芸の息づ...

そごう美術館に「山口晃展」を見に

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おととい金曜日は(授業の関係で) 出光美術館 に「伊勢絵と源氏絵」を見てきたが、今日は、横浜の そごう美術館 に「山口晃展」を見てきた。恥ずかしながら初横浜。というか多分、初神奈川。世間はゴールデンウィークとあって、横浜駅やそごうは一体何なんだというくらい人がごった返していたが、美術館は思ったより混んでいなくてよかった。 遠出だったが、行った甲斐があった。山口晃の実物が見られる。惚れた。見とれた。 山口晃の画集は『 山口晃作品集 』は持っているが、最近出た大きいのもいつか買いたい。だけど高くていけねえ。 余談:本記事が短いので余談をしたい。右を見ていただくとわかるが、4月28日現在、先週書いた あさひ幼稚園の記事 がすでに「人気の投稿」2位に踊り出ている。というもの、この記事へのアクセスが1日1回、1、2時間だけドカンと集中するという不可解な現象が、昨日まで3日間続いたのだ。最も謎なのは、アクセス元がほぼアメリカなこと。どのサイト経由なのかもよく分からない。