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9月, 2011の投稿を表示しています

池澤夏樹の「スティル・ライフ」を読んだ

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1987年に芥川賞を受賞した中編小説、 スティル・ライフ / 池澤 夏樹 (著); 中央公論社 (刊) を読みました。Still Life は「静物画」という意味です。 アルバイトをしながら実の無い生活を送り、人生の目標を決めかねている主人公と、科学的な話題をよく口にする、バイト先の彼の知り合いとの、不思議な関係が展開します。 大きな感動も波乱も起こらない、しっとりとした空気が流れる小説です。 また、本書所収の「ヤー・チャイカ」も、面白く、もっと不思議なお話。 だけど、やっぱり私には本作のような不思議な小説に対する感受性が弱いようです。作品自体を読むことは楽しいのですが、私にはそのメッセージがつかめません。おそらく作品のせいではなく、私の責任です。川上未映子の 「乳と卵」 (2003年芥川賞受賞)を読んだ時にも同じことを思いました。 芥川賞を受賞するための要素って、何なのだろう。もっと言えば、純文学って何なのだろう。本作のような小説を読むといつも思います。

脳のすべてが明かされる日なんてあるのかな

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昨日読み終えた本は、失語症――言葉を自由に操れなくなってしまう障害――を扱った新書、 言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書) [新書] / 山鳥 重 (著); 講談社 (刊) です。 私は失語症に触れた書物はすでに2、3冊読んでいるので、本当はそれほど読みたくなかったんですけど、これを手にとるまで本書の副題を知らなかったので、男に二言は無いと思って、読んだ次第です。 失語症はいくらでも細かい症状に分けることができるそうですが、本書はその中の基本の5つだけに絞って、掘り下げます。 その5つとは、1)名前が分からなくなるもの。2)言葉が出なくなるもの。(ブローカ失語)3)言葉が理解できなくなるもの。(ウェルニッケ失語)4)分かっているのに正しく話せなくなるもの。5)言葉が空回りするもの。(左右脳の切断や、右脳の損傷のため) ただ、5つ目は、左脳の言語領域が損傷するわけではないので、失語症ではありません。 タイトルが「言葉と脳」ではなく「言葉と脳と心」なのは、「心」というプロセスが本書のキーワードになっているからです。ここで、言葉も脳も、形があり、客観的な観察ができるので問題無いのですが、心という、形もなく主観的なものが議論されてよいのか、私は疑問に思いました。著者による「心」の定義はどこにも書かれていませんでした。 さらに著者の山鳥氏は、心が作りだし、私たちが形として意識するものを「心像」と名付け、失語症に関する彼の説の中心的な考え方に位置付けています。 でも結局、心って何だ? 心に浮かぶ形って何なんだ? 心像というプロセスの導入による彼の説が、筋が通っているのは確かです。しかし、心像の存在は仮定に過ぎません。あるのかもしれないし、無いのかもしれない。どうやって存在を確かめるのでしょうか? それと非常に深いつながりのある私の考えに、脳の多義性(私が今命名)があります。 つまり、脳のこの部分はこういった働きをする、と一義的に決めることはできないということ。例えば、ブローカ失語を発見したブローカは、その病巣を脳の左下前頭回後方と考えましたが、その後、そこに病巣がありながら失語を示さなかった例や、典型的なブローカ失語にもかかわらずそこが無傷であった例があるという報告がなされました。脳のいくつかの箇所が1つの機能を担当したり、あるいは脳の1つの箇所がいくつかの機能を担

ICUでは夏休みに英文学を読まされるよ

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ICUの1年生は、夏休みに英語の小説を読むことを課されます。 こういう本を読んではいかが、という本のリストには、 J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」 (原書は The Catcher in the Rye by J. D. Salinger )や、 ジョージ・オーウェルの「一九八四年」 (原書は 1984 by George Orwell )などがありましたが、正直言って、是非読みたいというほどのものは無く、迷っていたところ、リストの最後の方にとても面白そうな本を見つけました。 「恐怖の存在」 (私が読んだのはもちろん原書の方で、 State of Fear by Michael Crichton )という、環境問題を扱ったスリラー小説です。作者のクライトンは、 「ジュラシックパーク」 も書いた、アメリカで有名な作家だそうです。 原書 邦訳上下巻のうち、上 主人公らが環境テロを食い止めに世界中を飛び回るというストーリーで、「ダ・ヴィンチコード」的なスリルを味わうことができます。 ただ難点は、この サマーリーディングの量的ノルマが150-200ページだったのに対し、本書は600ページ以上ある という点。(´・ω・`) ですが、「ダ・ヴィンチコード」で味わった緊迫感を味わいたいという強い思いには負けました。 また、本書の重要な点は、全体として地球温暖化に懐疑的な立場をとっているということです。本書はクライトンが読者に地球温暖化を冷静に見つめてもらおうと書いた本でもあります。ちなみに私の立場を言わせてもらうなら、地球温暖化に関しては中立者です。肯定するにも否定するにも、不確定要素が多すぎるからです。 さて、サマーリーディングの進捗状況はどうだったかというと、6月末に買って、7月中はろくに読まず、8月にちまちまと読み、8月末から焦りを覚え、9月初めにどかんと読むという、いつもの辻褄合わせに陥りました。ただ読むだけじゃなくて、読んだ本に関して書き物もしなければならなかったので、夏休みの最後から秋学期の初め数日は必至でそれをやっていました。 とにかく、本書はスリラー小説としてとても面白い。賛否両論ある本ですが、読んだら興奮間違い無し!

静岡の海辺で2泊3日の書道部合宿をした話

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ICUの夏休みは終わりました。課題をためてしまったのと、秋学期が始まって忙しくなったなどしたため、更新が遅れました。今日書くのは2週間以上前のことです。σ(^^) 9月1、2、3日の3日間、静岡の伊東に書道部合宿に行って来ました! 海に行きたいという部長の思いもあっての伊東です。泊まったのは、ホテルとかではなく、 花鳥風月 楽亭 という貸別荘。食事も自分たちで作る。なんかわくわくしますね。 花鳥風月 楽亭 参加したのは書道部のほぼ全員で9人でしたが、うち私を含め6人は、レンタカーを借り、部長の運転のもと伊東までの長旅をしました。 9月1日(木) 単なる宿泊と違い、( 数学合宿 ときは、数学関連の荷物はノート1冊とクリアファイルだけで済んだんだけど、)書道の道具がめちゃくちゃ嵩張ったので、車の中は超満員でした。というか一時は全員乗れないのではないかという懸念さえありました。無事全員乗りましたが、特に私の席周辺がカオスになり、ほとんど身動きが取れない状態でした。これで朝8時から15時までの7時間のドライブは、きついものがありました。 私の足と、スーツケースと、先輩のボストンバッグ。 私はおそらくこれが初の静岡滞在でした。しかも海で遊ぶのはまじで10年ぶりくらい。(遊ぶ気満々。)ですが残念なことに、当時台風12号が東海にのそりのそりと接近しており、予報によれば 2日に静岡を直撃という時運の悪さ のために、海水浴は諦めざるを得ませんでした。静岡で大学生が流されたというニュースが8月末にありましたしね。 台風のために、当初5、6時間と予想されたドライブ時間は7時間にまで延びました。高速道路が通行止めになり下の道で渋滞が起こりましてね。まあ、座席の極度の狭さのために尻が痛くなったりしましたけど、何とか楽亭に到着。電車で来た人は先に到着して待っていました。それにしても、なにこの蒸し暑さ。海辺+台風のために異様な湿度。クーラー様々でした。 落ち着いたら早速書道、という感じ。もっとも私は、1日目夜の食事当番(ノ´д`)だったので、筆を持ったのは食事後でしたが。1日目ディナーは夏野菜カレーでした。 練習時は全員が同じ部屋で、というのはちょっと難しかったので、私一人だけ違う部屋になりました。( ´д`) それにしても蒸し暑い…。 風呂はなんと温泉から引いていて、リッチな入浴を満喫すること

哲学的なタイトルだがれっきとしたディスレクシアの本だ

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やばい、夏休みが終わる。('Д⊂ はい、まだ懲りずに本を読んでいました。読み終えたのは1週間以上前ですが、いろいろと行事が重なったせいで、更新が今日までずれ込んでしましました。 初めて見たとき ペレストロイカ のことかと思った、 プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか? [ハードカバー] / メアリアン・ウルフ (著); 小松 淳子 (翻訳); インターシフト (刊) です。 この本の副題がとても興味をひくものだったので、読むのをとても楽しみにしていたのですが、ICU図書館で見つけてがっかり。厚いし、文字ばっかりだし、想像していた内容と全く違うし。ほとんど読む気が失せましたが、 よくわからぬプライドが働き 、読むことにしました。真剣には読まなかったのに、読了まで2週間以上かかりました。 本書のテーマは、ずばり読字です。内容は大きく3章に分けられており、脳はいかにして読むことを獲得したのか、子供の脳はいかにして読み方を学ぶのか、ディスレクシア(読字障害)の原因は何か、という問題を検討する壮大な書です。 主題が「プルーストとイカ」なのは、この2つが読字の2つの側面、即ち個人的・知的側面と、生物学的側面の象徴としてそれぞれ取り上げられているためですが、これら、 特にイカは本書でそれほど重要な役割を果たしていません 。タイトルに難あり、といった感を受けました。 それにしても本書の第1印象は「難しそう」でした。たかが読むことだと侮るなかれ。本書は シュメール人から中耳炎まで扱っています 。読んでみて、著者の研究の幅広さに感嘆すると同時に、読字の研究が学際的でありとても複雑な分野であることを痛感しました。読字研究はもはや、言語学、神経科学、心理学、脳科学など様々な分野の知識が無いと、太刀打ちできる問題ではなくなっています。 また、字を覚えるのに時間がかかる、文章を流暢に読めないなどの、ディスレクシア(著者は「読字障害」という言葉より「ディスレクシア」の方が気に入っているようなので、後者で書き進めます。)は、本書の中心の話題と言えるでしょう。ディスレクシアは原因や実態などが非常に複雑で、1つに「これだ」というものなど無いと、著者は言います。ディスレクシア患者に対する世界的な偏見は、ディスレクシアの理解を進めることで無くすことができると、著者は、研究者として、そし