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言語とは何か:「言葉のない世界に生きた男」イルデフォンソ

What if a human fails to acquire a language? The world without a single word. This book describes how Ildefonso, a Mexican man who was deaf and thus did not know what language was like until he was 27 years old, opened his eyes to the world of words and signs. He did not know the concept of the past, the future, time, races, and so on because of the lack of language. After all, what does language provide to us? This book made me ask this question. A Man Without Words  by Susan Schaller (First published in 1991) More details in Japanese: (グローバルな読者に向けて、英語でも書きました。) 今学期は大学で「手話の世界」という授業をとった。予習のためにオリバー・サックスの「手話の世界へ」も読んだ。手話にさらなる興味を持ち、英語プログラムの授業のエッセイのテーマも手話にした。本書はその資料になるかなと思い借りてきた。だが、エッセイどころではなかった。 あまりのドラマに、本をめくる手が止まらなかった!!(もっとも、ぶっ通しで読んだわけではないが。) 本書のテーマはこうだ:もし人間が言語を獲得しなかったとしたら? 言葉のない世界に生きた男 [単行本] / スーザン シャラー (著); Susan Schaller (原著); 中村 妙子 (翻訳); 晶文社 (刊) 言語獲得に失敗した人々の有名な例は、 野生児 だろうか。アマラとカマラを始め、「アヴェロンの野生児」ヴィクトール、カスパー・ハウザーなどは、思春期ごろまで全く言語に触れることがなかった。しかし彼ら野生児は、人間社会からも切り離されていたわけで、

「美しい日本語の響き」という本を…読みませんでした

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「美しい日本語の響き」という本を読むつもりだったが…、読むのはやめた。 美しい日本語の響き―母国語を知り、外国語を学ぶためのレッスン [単行本] / 篠沢 秀夫 (著); 勉誠出版 (刊) 日本語の音に関する、言語学的な小話集だ。先日図書館の新刊の棚にあったときパラパラと読んでみたら、なかなか面白そうだったのだが、昨日もっとゆっくり眺めてみたら、いろいろと気に入らなかった。だから借りるのはやめた。 気になったところを、気になった順に書いておこう。 まず、タイトルへの違和感は始めからあった。「美しい日本語の響き」。まるで日本語の音は特に美しいとでも言っているようだ。もちろんはしがきにもあるように、これは(正確には忘れたが明治あたりの)日本語を聞いた外国人の感想らしいから、筆者の直接な主観じゃないかもしれないが、すべて言語には優劣は存在しないという言語学の(ほぼ)常識から見て、アカデミックな本書にこの言語ナショナリズム的タイトルは気になる。 そして読んでみてすぐ気付いたのが、体言止めと「!」の多用だ。もう少し分析すると、短文が多く、それに伴って接続詞が少なく、そして過剰なまでに多段落構成なのも気になった。文がカタカタと区切れるので、読みにくかった。(これが好きな人もいるかもしれないが。) 再現するとこんなふうだ:「読んでみてすぐ気付いた。体言止めと『!』の多用! もう少し分析しよう。短文の多用、それに伴う接続詞の不十分な使用、そして過剰なまでの多段落構成! 文がカタカタと区切れる。だから読みにくい。」 言っていることは同じなんだし、もしかしたらこれは名著なのでは?と思うだろう。でもだめだ。働き盛りでサバサバカタカタした方が書いたのならまだ読めたかもしれないが、なにせ著者は80近い大御所学者なのだ。著者のイメージと文章とのギャップに拒否反応が出てしまったから、読む気が出なかった。それに、もしこれが名著なら、それがこんな文体で書かれないのではないか。 決定打を2つ挙げよう。まず、著者が一貫して使っていた「母国語」という語はやはり不適切だ。「母語」とすべきだろう。なぜなら、国境と言語境界は一致しないからだ。「母国語」という言葉には、国と言語は1体1に対応するという思想が含まれているが、話はそう簡単ではない。例えば日本国籍を持ち日本に住みながら、

手話の深遠な世界に触れる:オリバー・サックス「手話の世界へ」

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今日から今年度の授業が始まった。もう大学2年生である。 おととい、また本を借りてきた。 1冊目はまた写真集だ。 日本遺産 神宿る巨樹 The marvelous trees in Japan [単行本(ソフトカバー)] / 蟹江 節子 (著); 吉田 繁 (写真); 講談社 (刊) といい、新刊の棚で偶然見つけた。 日本の巨樹が多数収められている。タイトル通り、私も巨樹には威厳や神秘性を感じるので、けっこう惹かれる。写真でさえ見応えがあるのだから、この目で直接見たらそれは感動するに違いない。どれでもいいから、巨樹を見に行きたくなった。 さて、2冊目は、またまたオリバー・サックス博士だ。読了までに足掛け2日、私にしてみれば意外なほど速かった。  手話の世界へ (サックス・コレクション) [単行本] / オリバー サックス (著); Oliver Sacks (原著); 佐野 正信 (翻訳); 晶文社 (刊) 本書を手にとったのは、これもまた幸運な偶然からだ。私は、この春学期「手話の世界」という授業をとる予定だった(手話の文化的、社会的、言語学的な側面を概観する授業だ)。そしておとといの9日、それとは全く独立に、何気なくICU図書館のサックスの著作を調べていたら、本書を見つけた。これはちょうどよかった。つまり本書は、「手話の世界」の予習として読んだのだ。 そもそも私が手話に関心を寄せ、その授業をとろうと思ったのは、全く言語学的な興味からだ。高校のとき(もしくは大学入学直後のとき?)に、手話は単なるジェスチャーではなく、文法を持った言語であるということを知ったときから、手話にほんの少しながら興味を持ったのである。だが私は、手話にまともに触れたこともなければ(母が手話の本を持っていたので、それを使って指文字を覚えてみたことがあるくらいで)、本も読んだことがなかった。 本書は、そのような初心者の私をして手話に関する驚くべき諸事実を知らしめ、それに伴い(もちろん良い意味での)様々な疑問を抱かせた。 話される言葉(口話)は、単語が次々と並べられていくという、線形的(1次元的)なものである(これは大学の授業でも学んだ)。しかし手話は、3次元の空間において、それも同時的、重層的な表現をしているのだという!(それが具体的にどういうことなのか詳

伊藤まさこさんが城下町松本の魅力を発信:「松本十二か月」

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とても暇だったので、さらっと本でも読むかと思って、今日の昼下がり、ICUの満開の桜を見がてら、2冊借りてきた。 1冊目は、久しぶり地形関連の本だ。地形や絶景などを収めた写真集は多いが、私の好みに合うものは、少ない。本書は、絶景であるとともに地質学的に興味深い地形を集めている。昨年10月に読んだ「 世界のおもしろ地形 」と同類の本であり、楽しめた。知っているところも多かったが、初めて知ったところもあった。 アフロ、アマナイメ-ジズ(2012)『地球不思議の旅―大自然が生んだ絶景』パイインターナショナル 雄大にして悠久の絶景で世界一周をした後は、我が国の一地方都市に焦点を当てた。2冊目は、一気にスケールを縮めて、 伊藤 まさこ(2011)『松本十二か月』文化出版局 という本だ。   長野県松本市は私の地元である。著者は横浜出身だそうだが、松本にかれこれ数年暮らしているらしく、きれいな写真と文章で松本の魅力を綴っている。本書は文化と歴史が中心的だったので、そのイメージだけで松本に来たら違和感を覚えるだろうが、地元民の私も知らなかった歴史、工房、伝統工芸、美味しそうな食べ物屋さんなどなどに、とても心惹かれた。松本にこんなに伝統と楽しみがあったとは驚きである。 未知の地に広がる雄大な地形より、なじみの町にある小さなお菓子屋さんの方に、ずっと温かみを感じた。

また読んだぜオリバー・サックス博士:「火星の人類学者」

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1か月半ほど前に借り、タイワークキャンプのブランクを挟み、10日ほど前に読み終わった本、 火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 [単行本] / オリヴァー サックス (著); Oliver Sacks (原著); 吉田 利子 (翻訳); 早川書房 (刊) だ。 サックス博士の他著は、先日「妻を帽子と間違えた男」を読んだ(記事は こちら )ので、これが2冊目だ。本書は、様々な障害を持つ(または陥った)7人の人物を取り上げ、博士がその生活を追う。全色覚異常の男性、記憶喪失の男性、異常な記憶力の男性、自閉症にして研究者である女性など、彼らの体験は様々だ。7人のうち3人は、それぞれ高校の授業、テレビ、インターネットで知っていた。 博士の著書に共通することだが、彼は患者を、症状による機械的な捉え方をせず、1人の人間として全人的に見る。患者の抱える異常に隠れた、素晴らしい人間性を見出そうとするのである。そこがよい。人間の(良い方向でも悪い方向でも)可能性を見せてくれると同時に、障害者と言われる人たちの温かみや才能に気付かせてくれるからだ。 そして、彼らを観察することは、私たち人間一般の理解にもつながる。特に私は知覚というものについて色々と思考を巡らさずにはいられなかった。例えば、子供時代に視力を失った中年の男性が、手術で光を取り戻した話の中でだ。17世紀の哲学者 ウィリアム・モリヌー がジョン・ロックにこう問うたという。 「生まれながらの盲人が、手で立方体と球体を識別することを学んだとする。そのひとが視力を取り戻したとき、触らずに……どちらが球体でどちらが立方体かを見わけることができるだろうか。」(122ページ)  この話の男性は、視力を取り戻したが、さて彼は触覚で識別したものを視覚でも見分けられただろうか。私はできるだろうと思った(というか、できないということが想像できなかった)。しかし驚くべきかな、答えは否なのである! 私たちが当たり前だと思っているものも、通常とは異なる世界にいた人の中では成り立たないのだ。私たちが彼の知覚を想像しようにも、できないのである。 人間とその知能について、興味深い実例と洞察を得られる本である。

友達がママチャリ(+フェリー)で東京から沖縄まで行ってきた

大学のセクションメイトのシンタが、ママチャリ+フェリーでの東京ー沖縄の旅を先日ついに成功させた。 彼はこの春休みを使って何か大きな事をしたかったようで、それでロードバイクを使わない、普通のママチャリでの無茶な旅を思いついたそうだ。3月9日に都心の彼の家から出発して、大阪までチャリ、そこからフェリーで沖縄まで行き、29日にフェリーで東京に帰ってきた。3週間の一人旅だ。 最初は全国の友達の家に転々と泊まらせてもらう予定だったそうだが、現実問題それはできなかったようだ。いや寝泊まり云々以前に、最大の難所である箱根の峠をママチャリで越えられるのか、そこで早くも断念するのではないかと私たち友人間で真面目に懸念していたのだが、3月10日、彼は国道1号線最高地点の写真ともにツイッターでつぶやいた。 箱根越えキター♪───O(≧∇≦)O────♪ 彼は「山の神」こと柏原竜二の走りよろしく、箱根越えをやってのけたのだ。これには驚いた。いつもへらへらした軽い彼が、「天下の険」と言われた(参考は こちら )難所を制覇したのだ。私のシンタへの視線は、そのときを境に心配から応援へと変わった。 彼は何かにつけ軽いやつなのだが、その分相当に社交的で、彼のブログを見るに、その後各地のホテルやゲストハウスで、様々な年齢、境遇、職業、国籍の人と仲良くなったようだ。彼だからこそできる芸当だ。人との交流が、彼をいちばん楽しませたのではないかと思う。 シンタは3週間でどのように変わったのだろうか。いや、案外変わったのは肌の色だけかもしれないな。あっけらかんとして。 詳しくはこちらで: シンタの自転車旅日記 (彼のブログ)

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(まとめ)

やっと タイワークキャンプ の9日間をまとめ終えた。 さて、以下に、先日私がICU宗務部に提出したTWCの報告書を、ブログ用に修正して掲載する(文章自体は変えていない)。わざわざ掲載する理由は3つある。(1)時間でない軸でまとめられているから。(2)これまでの記事に書かなかったことが書かれているから。(3)簡潔であり、まとめ的な性格を持つから(9日間のTWCがA4紙1枚に詰まっている)。 -- タイワークキャンプ 百瀬 2012年3月 (この素晴らしい9日間を、この少ない紙面にどう収めたものか。) 私がこのTWCで得たものは、4つに分けられる。人、言語、食文化、そして生活と伝統だ。 人 ――多くのPYU生やスタッフ、ホイクンの村の人たち、そしてICUのみなさんと出会った。「友情は喜びを2倍にし、悲しみを半分にする」とはドイツの詩人シラーの言葉だそうだが、まさに真理である。毎日毎日、たくさんおしゃべりし、笑った。村での夜のレクリエーションは、本当に楽しかった。村人の暖かさにも触れた。村の子供たちは、みんな挨拶を返してくれた。あと、さもこちらが理解しているように普通にタイ語で話しかけてきたおじさん、私の乏しいタイ語ボキャブラリーで「食事」としか答えられなくてごめんなさい。 言語 ――理由もなく言語が好きだ。ツールとしてではなく、言語そのものが好きだ。日、英、タイ、カレンの4か国語の飛び交うこのワークキャンプでは、私の言語学的好奇心も大いに刺激された。タイに行く前に、少ないながらもタイ語の知識を持っていたことは、大いに役に立った。PYUのみんなのおかげで、2、30の単語を覚えられたし、しばらくサボっていたタイ語をまたもっとしっかり勉強しようと思った。それに、カレン語というマイナーは言語に触れられたのも嬉しかった。このチャンスを活かすべく、ドイにカレン語の数字を教わった(もうスラスラ言える!)。 食文化 ――タイの食べ物は、おいしく、大好きになった。辛くて、甘くて、ヘルシーでもあった。タイにまた行きタイと思わせる最大の動機の一つだ。 生活と伝統 ――タイの衛生環境と交通環境には慣れた。むしろ、楽しんだ。沢木耕太郎の『深夜特急』を少し読んだことがあったので、それなりの覚悟はしていたのだが、寮の部屋といい、村のトイレ設備とい

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(18-19日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** 傘の村 7 時起床。朝食までの間に、ホイクンでの PYU のルームメイトみんなに書のメッセージを書こうと思い、書道用具を出したら、墨(固形)が無いことに気づいた。村で落としてしまったのかもしれない。おとといの夕食のときかもしれない。仕方が無いので、すべてボールペンで書いた。 8 時より朝食で、 9 時ころ、そのまま歩いて PYU の教会の礼拝に歩いて行った。ちなみに、途中セブンイレブンに寄ったが、日本のと変わらなかった。日本語の書かれた商品もパラパラと見かけた。 10 時より礼拝。正直、礼拝はちょっと暇だ。英語は少し話してくれるものの、タイ語は分からないし。 12 時ころより、教会でお昼ごはんを頂いた。タイ語でバイブワボという野菜の緑色のジュースを、それとは知らずに飲んだのだが、薄めの雑草ジュースに砂糖を入れた感じのまずさだった。タイ料理はほとんど外れが無かったのだが、これだけはダントツに受け付けなかった。 教会にトラックが来て、 1 時ころ、そのまま今度は近隣の Bow Sang Umbrella Village というところに観光に向かう。ここは名前の通り傘が有名で、傘工房も見学できるそうだ。 1:20 から 2:50 まで、見学も含めおみやげを自由行動で買えた。傘工房は売り場も含め立派な建物で、制作現場も見学用に整備されていた。ミニから特大まで、カラフルな傘がたくさん売っていた(実用ではないようだった)。 傘には結構力を入れていたが、そこのマーケット自体は規模が小さく、おみやげのレパートリーは少なかった。ここは服などの布雑貨が多かった。人も少なかった。しかしまだ私は自分へのものしか買っていなかったので、ここで何か買わなければならない。まず、買ってこなければ恨んで相当根に持つであろう妹へ、 T シャツを買った。古いチェン

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(17日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** ホイクンとの別れ 6:50 に起きる。相変わらず筋肉痛がひどい。 荷物をまとめるなどし、 8 時より家で朝食。(昨晩は除き)最後までホストファミリー全員と共に食事をすることはなかったが、今朝はホストブラザーのジョッガーが少し加わってくれた。今朝は肉の揚げもの、卵の炒めもの、(米ではないが)粥みたいなものなどだ。 9 時前、家の前で家族とみんな揃って写真を撮ろうということになったので、その前に、私が日本から持ってきたおみやげの森永のキャラメルと、昨日教会で A5 ノートに書いた「愛」字をプレゼントした。 そして、足掛け 6 日間お世話になった家を離れる。毎日が新しかったホイクンの生活もこれで終わりだ。もっとここに住んでもいいと思った。 現役教会付近でたむろしていると、セムが話しかけてきた。いつの間にか仲良しだ。別れを惜しみ、握手を交わした。 みんな集まった。献堂式を始めるべく、新教会に行ってみると、なんと入り口にテープカットの用意ができていた。カットは、 ICU 教会牧師の北中晶子先生が行った。教会には。整然と椅子が並べられていた。献堂式では、このキャンプで何度も何度もしてきたように賛美歌を歌い、お祈りをしたし、他細々と。まあかための式だ。 10 時半ごろだろうか、式典が終わり、教会で村人、 PYU 、 ICU 全員での一番大きい集合写真を撮った。その後、私は村の少年らに誘われて写真を撮ったり、ホストマザーと撮ったり。みんなまるで写真撮影大会だ。 PYU のトラックはもう来ていた。最後に荷台の前に、村人たちが列をなし、私たちひとりひとりと握手をしてくれた。本当にありがとう! ダブルゥ!(カレン語でありがとう!) 11 時過ぎ、予定を 1 時間過ぎて村を出た。 PYU へ トラックは騒音を出しながら猛