2017年5月8日月曜日

綿貫宏介という巨人

ある日ネットで知った御所坊という有馬温泉の宿の、ロゴを始め、暖簾や避難経路図に至るまで館内のそこここにあると思われる、不思議な篆書じみた文字に釘付けになった。

この垢抜けた文字はそんじょそこらのデザイナーによる仕事ではないのは、ひと目見て明らかだった。しかしロゴデザインの主を調べようにも、御所坊のサイトには説明がない。御所坊の文字という以上に手がかりもないので調べようがなかった。

そのロゴは、篆書はもちろん書を熟知している人でないと出来ない仕事だった。安っぽい言い方はあまりしたくないが、端的に言って、上手いのである。あまりに完成しているので、朝日新聞の題字における欧陽詢「宗聖観記」のように何か古典から集字したのか、もしくはアレンジしたという可能性もほんの一瞬頭をよぎった。しかし、御所坊の文字は、私の知るかぎりどの古典にも似ておらず、独特で、何より、きわめてモダンであった。

ある匿名のデザイナーによる、モダンな篆書じみた文字。私は不思議な感覚に陥った。

そんな感覚も忘れかけていたつい昨日、Facebookで流れてきた写真が目に止まった。友達の友達のあげていた小鼓という酒で、小さくてよくわからないが、ラベルのロゴがどことなく垢抜けていた。

すぐさま検索してみて、心臓が高鳴った。ラベルの文字が、あの御所坊の文字と同じだったからである。小鼓は西山酒造場という兵庫の会社の酒で、そのデザインに関して、親切にも1ページを割いてくれていた。西山酒造場のロゴデザインを手掛けたのは、1925年生まれの綿貫宏介という芸術家であったのだ!

話は寄り道するが、白状すると、ある素晴らしいクリエイターやその作品に出会ったとき、恥知らずな私は「他の面では無理でも、頑張れば、この人のこの部分には勝ち目があるかな」と、しばしば思うことがある。

例えばの話、文字を扱うクリエイターに対して「墨書についての知識は僕のほうが持っているんじゃないかな」なんて思ったり。(超有名デザイナー佐藤さんのとあるロゴデザインとかを見たりなんかするとね・・・ボソッ)。またある人には「オレのほうが英語うまいんじゃね」とかね。言うまでもないことだけど、有名人に対する揚げ足取りである。

しかし、綿貫宏介はそんなちっぽけなやっかみの入る隙すらない、桁外れの芸術家ではないか。

戦後、ポルトガルとスペインに15年間留学したというから、ヨーロッパの美術も吸収してきたのであろう。氏の作品には、アルファベットの書き方から色使いまで、どこか洋の東西を越えた普遍性があるように思える。作品も文字だけでなく絵画や陶器などにも及ぶとのこと、綿貫氏の表現の幅の広さが伺える。さらに漢詩にも精通しているとあるから、向かう所敵なしである。

綿貫宏介のデザイナー、芸術家としての評価はもちろん高いので、私がここでこれ以上語るつもりはあるまい。私は、氏のあまり着目されない点、即ち書家としての尊敬の念をおくりたい。書家と言っても、ここで私が言うのは筆と墨で書くいわゆる書家ではなくて、字に深い造詣があり、字を美しくデザインする人としての広義の書家である。

綿貫氏のロゴ、つまりエンドプロダクトから判断する限り、字のベースは多くの場合、篆書というまったく歴史的な文字だけれども、墨と筆がデザインの最終段階であまり大きな役割を担っていない。もちろん氏の制作過程は不明なので、あるいはデザインの初期の段階で毛筆で大まかな文字の骨組みを作っているかもしれない。しかし最終的なデザインはおそらく硬筆か、毛筆だとしても絵を書くように文字を形作っていくのか、ないしは小刀で紙を切り抜いていくのかも分からない。とにかく、ロゴに、筆の穂先の動きや線の細太(さいたい)、線の潤滑(にじみかすれ)といった「筆致」がほとんど見いだせないのである。

何を言いたいのかというと、歴史的な文字を扱っているにも関わらず、手法や文字配列、そして書体が現代的であって、それが氏のデザインの「モダン」、「おしゃれ」と称される所以なのである。

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