『あめりか物語』と「ミケランジェロ」・「京都」・「W・モリス」

永井荷風(2002)『あめりか物語』岩波書店
あめりか物語 (岩波文庫) [文庫] / 永井 荷風 (著); 岩波書店 (刊)

初めての永井荷風。自身のアメリカでの数年の体験をもとにした短編集であり、紀行というより文学作品なのだが、私に文学批評なぞできやしないので、紀行として読ませていただいた。時代は、この前に読んだ『英国人写真家の見た明治日本』と同じく、1900年代のことで、当時のアメリカの様子がわかって面白い。特に、右も左も言葉も分からない日本人移民の、格好のカモのなりっぷりがが切ない。昨今の世に聞こゆる日本人の名など、なかった時代である。彼ら先駆者の粒々辛苦、天造草昧、フロンティア・スピリットがあるのみであった。

『あめりか物語』以降の2週間、読書らしい読書ができていないので、以下、先週と先々週に行った博物館のことを覚え書きしておく。

国立西洋美術館に「ミケランジェロ展」を見に行った。知識は全くないのだが、沢木耕太郎をして感激せしめたところのミケランジェロというものを見てみたいと思った。ミケランジェロは彫刻家だと思っていたのだが、本展は絵画が中心だった。さすがに超有名な作品は持って来られなかったのだろう。私の力不足で、感激どころか理解もままならず、30分足らずで出てきてしまった。行動しなかったことを後悔するより、行動したことを後悔したほうがよいと、昔何かの本で読んだことだと、自ら慰めるのだった。いつか本場イタリアで見るべきだろう。

その足で向かいの東京都美術館に「ターナー展」を見ようと思ったが、予定を変更して東博に「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を見に行った。すごく見たかったやつで、すいていたからだ。知らなかったが、会期2日目だったのだ。前日に始まったばかりだったのだ。平日ということもあって、がらがらで、「洛中洛外図屏風」をじっくりと見られた。

素晴らしかった。荘厳である。壮観である。屏風や襖絵は言うに及ばず、心憎いほどの空間演出に、酔った。胸がすくほどに心地よく歴史の重みがのしかかってきた。圧倒的である。歴史の厚みの中に、呑み込まれるようであった。今までに見たもので5本の指に入る展示である。ために現実世界に戻ったときの落差は大きかった。博物館を出てからの帰りの雑踏を、まったくもって呪った。くそ、山手線は余韻に浸る間さえも許さないのか! あの建物の中では事件が起こっているというのに! 瞬間移動のできましものを。

体育の日には、府中市美術館に「ウィリアム・モリス 美しい暮らし」を見に行った。偶然にこの日は無料観覧日で、すごい人だった。だが展示は良かった。小さいながら充実した図書館もあって、また来たいと思った。

コメント

このブログの人気の投稿

「書道八段」は大した称号じゃない

「55個の母音を持つ言語」というギネス記録は間違いである

「お腹と背中がくっつくぞ」の勘違い