東京蚤の市 2014春 印判と竹籠を買う

昨日と今日(17、18日)の2日間、調布市の競輪場で「東京蚤の市」が開催された。今年もつい行ってしまったのでご報告したい。

今日の戦利品。

東京蚤の市」は年2回、調布市の京王閣という競輪場で開かれる。蚤の市と言うけれども、売っているものは主に小道具、骨董、古本、雑貨なので、いわば骨董市みたいなものである。ただしこのイベントのターゲットが若い男女(特に女性)である点で、普通の骨董市とは違う。ウェブサイトのデザインなどをはじめ、商品の雑貨もかわいいものが多い。実際、学生から40代までくらいの女性が多かった。

私は、この蚤の市は去年の5月に引き続き2回目だ。今月はちょっとお金を使いすぎているので、今回は我慢しようと思ったのだが、サイトを見たら、やっぱり行きたくなってしまった。会場は私のアパートからは自転車で行ける距離で、入場料は400円である。

ものすごく混むことは去年の経験から知っていたが、日曜日の午前10時40分ころに着いてみると、2、300メートルの行列ができていた。11時の開場後は、会場はごった返す。古道具というと、おじさんやおじいさんのイメージだが、今や若い人にも人気なんだなということを実感する。

去年の撮影ですが、今日もこんな感じでした。

サイトを見て何が欲しくなってしまったかというと、食器が欲しくなってしまったのだ。特に、印判の器が欲しくなってしまったのだ。印判とは、白地に青の模様を転写した磁器のことで、我が大学の初代学長、湯浅八郎も収集していた代物なんである。(大学内の博物館で見ることができる。)私は、清らかな白と深い青のコントラスト鮮やかなその器を、写真で眺めるのではなく、自分の食卓に登場させたくなってしまったのである。ああ、また物欲に負けてしまった。

財布を確かめると、1000円札が4枚と少々の小銭。これなら少なすぎず、また買いすぎることもあるまいと、5月の陽気の中自転車を走らせたのである。

興味が変わると、見えてくるものも変わる。去年は活版印刷に特に興味を持って行ったけれども、全体をくまなく見回したので、買ったものは「ももせこうへい」という活版の名刺のほか、古本2冊、古い物指し、マグカップと、まとまりがなかった。

去年買ったものの中でも、この2つにはとてもお世話になっている。

一方、今日は目当てをはっきり決めていたので、陶磁器を中心に、ついでに漆器や竹工にも目を光らせていた。それだけ見ていても、素晴らしい品物が多くて楽しい。(でも我慢。)

印判は、手のひらサイズのものでも500円はするし、大きくて欠けもなく、模様も立派なのになると4、5000円はざらであった。私は考える。使い勝手のよい4寸(1寸=3cm)程度の皿を1、2枚買うこともできようが、そういうものはいっそ5枚くらい揃えて買ったほうがよい。家族や知人との集まりで使えるからだ。(模様が同じのが何枚も売られているということは、前の持ち主がまとめて所有していたということである。)予算からするとそれは不可能だし、この先数年私が大層な食事会を催す見込みもない。よって、5、6寸の中くらいの1枚物を、1つ買うのが適当だと結論した。

会場中の印判を吟味した末、wakkaというお店の5寸皿(800円)を買った。いつぐらいのものかと聞いたら、明治くらいとのことだった。すごく古い。模様は、中心がおそらく松竹梅。その周りが、青海波に鶴と、松に鶴という、おめでたいものである。


印判はこれで満足なので、もう一つくらい買いたい。会場を物色していて、数はごくわずかだが、古い竹工(ざるやかご)を意外と安く売っていることに気づいた。直径40cmほどもある、数十年は使い込まれて内側がつやつやと光るかごを買った。作りも丈夫そうだ。4、5000円してもおかしくないが、2000円だったので、いい買い物だ。

11時の会場から1時間半、今回は、よく見るものとざっと目を通すだけの物をはっきり分けたので、疲れなかった。求めたのは2点のみだったが、どちらも大変好い品である。素晴らしい道具として役目を果たしてくれそうだ。

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