臨「石鼓文」第一鼓

今週、大学で華道部と合同で展覧会をした。春の合同展は3回目である。書道部からは3名、華道部からも4、5名のみの小規模の展覧会だった。

私は、ここ数か月書き続けていた「石鼓文」の、十鼓のうち第一鼓を臨書して出した。表装も何もあったものではないが、そこは目をつぶっていただきたい。

紀元前4世紀に制作されたと言われている石刻文字である。篆書(てんしょ)という書体、秦の始皇帝が小篆を定める前の文字である。




吾車既工、吾馬既同。吾車既好、吾馬既(馬へんに缶)。
(吾が車は既に工にして、吾が馬は既に同じ。吾が車は既に好く、吾が馬は既にフなり。)

で始まる文章だが、それより数百年遡るとされる『詩経』の小雅篇車攻に、よく似た一節がある[1]

我車既攻。我馬既同。四牡龐龐。駕言徂東。
(我が車は既に攻にして。我が馬は既に同じ。四牡は龐龐として。駕してここに東に徂くと。)

車攻の全文を読むと、他の箇所でも似た語が使われていることがわかる。「石鼓文」は作者、時代、目的、それに文字自体の解釈など不明な点が多いが、この詩を下敷きにしていることは間違いない。『詩経』(周代)の歌が、「石鼓文」(戦国時代)のときまで伝わっていたということであろう。このような文献学的発見はとても面白い。

[1] 杉村勇造(1974)『中国書道史』淡交社(15-16ページ)

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