2013年4月23日火曜日

ドナルド・キーン先生が国際基督教大学にいらっしゃいました

4月22日、国際基督教大学(ICU)にて、言わずもがな、あのドナルド・キーンさんの講演会があった。

高校生のときに読んだ司馬遼太郎『対訳 二十一世紀に生きる君たちへ』が、キーンさんの監訳だった(「翻訳」ではない)、という程度の経験値不足の私の分際で、図々しくも、覚え書き程度に少しく書かせていただきたい。

そういえばこの講演会の予告、ICUの本館にはポスターが貼ってあって、私もそれで知ることができたのだが、学内サイトには、普通あるはずの予告が全く無かった。ICUの表向きのサイトに、ちょこんとお知らせされていたくらいだ。だから「ICU宣伝下手w」という意見もあったようだが、私は控えめくらいで全く正解だっと思う。なんてったって、あのドナルド・キーンだ。ネット上にまでお知らせを出したら、観客が押し寄せるに決まっている。宣伝する側も、それを分かっていたと私は予想している。

案にたがわず、会場(教室)は部屋の周りを立ち見客が囲むほどの超満員。予定は1時半からだったが、それより1時間近く前にはすでに教室の前に行列が。私が入った20分前には、机はすでに埋まり、立ち見を余儀なくされた。

黒板の前、座っているのがキーン先生。
右に振り向けばもう倍の人がいる

講演会は、ツベタナ・クリステワ、日本文学教授が「尋ね人」として、質疑応答形式だった。以下に、クリステワ先生の質問と、私の微々たる(それゆえバイアスに満ち満ちた)メモをもとに、キーンさんのお答えを極々簡潔に書いておきたい。記憶違いや、至らないところが多々あること必至なので、あくまでご参考までに。

Q まず、上代から現代までの日本文学を語れる唯一の人物、キーンさんにとって、日本文学のエッセンスとは?
A 韻やリズムに乏しい日本の詩歌は、七五調によって散文と詩歌の区別をしてきた。だが、それだけでは弱く、日本の文学には、自然が必ず取り入れられてきた。季語しかり、現在では時候の挨拶しかり、四季の移ろいが、文学の文学たりえる必須要素だった。「四季を何かの言葉で匂わさなければ、詩歌ではないのです。」

Q 今は古典が読まれることはない。果たして古典作品は古くなってしまったのか。なぜ人気が落ちているのか。
A 今の古典の授業で教えているのは、国文学ではなく国文法だ。受験という民主主義の制度にとってはそれは結構だが、それでは日本人は、源氏物語などの古典を味わわない。むしろ、翻訳されて海外で読まれることのほうが多いのではないか。若者は、古典を読むべきだ。「もう小さい革命があっても結構です。」

Q 永井荷風、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成、志賀直哉など、数々の文学者に会ってきたキーン先生だが。
A <1950年代、キーンさんが京都に留学したときのエピソードなどをお話しになった。>「(当時は日本文学の)黄金時代でした。」

Q 好きな日本の食べ物、場所は。
A 好きなことを聞かれることは少ないです。四国もいい。高松など。中尊寺もよい。観光地化する前の、かつての静謐なる龍安寺で、ひとり座って沈思していたものだ。今は自宅近くの古河庭園、無量寺も気にいっている。

Q 若者におすすめの文学は。
A ピアノでは、いきなり難しいものからやるのではなく、初級の曲から練習し始めてやっと、だんだん腕が上がる。文学においても同じ。読む力を熟させること。源氏物語が原文では難しいなら、現代語訳で読めばいい。大学4年間は貴重だ。「今の時間は非常に大切です」。

Q 日本国籍を取って変わったことはあるか。
A みなさん暖かく歓迎してくれた。「(日本人となった今は、日本の)悪口を言うようになりました。」

最後、観客からの質問の時間があった。出た質問だけ挙げ、ご返答は割愛したい。

Q (留学時代に食べたチキンラーメンの話から)チキンラーメンで新たな日本の味を発見したということか。
Q 日本に住んでいると、日本のよさは分かりにくい。日本のよさとは何か。
Q 日本文学の「黄金時代」というが、それでは現代の文学は死んでしまったのか。例えば村上春樹はどうか。(三鷹市民の方より)
Q 若者の言葉は変わってきている。文学において、それはポジティブに捉えるべきか。(81年卒の方より)
Q <最後にもう一つあったのだが、忘れてしまった。誰かお教えください。>

以上、お話なさったことの寸分も言えていないかもしれない、本当にあっさりした要約だが、なにせ言われたことは書いておかないと忘れてしまうという誠にあっぱれな頭の持ち主の私なので、ご容赦いただきたい。

予定の90分はあっという間に過ぎ、笑いに満ちた講演会は割れんばかりの拍手で閉じた。

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