『日本の方言』・『中学生』

柴田武(1958)『日本の方言』岩波新書
日本の方言 (岩波新書 青版 C-100) [新書] / 柴田 武 (著); 岩波書店 (刊)

すごく大雑把に言って、日本語にとっての20世紀は、標準化もしくは画一化の世紀であったが、本書が書かれた50年代は、まだ方言が非常に強かった。地方からのお上りさんが、東京で方言を笑われて、劣等感と恥ずかしさからしゃべれなくなってしまうという「方言コンプレックス」が、問題になっていた時代である。

新書だから、広く浅く易しく書いてある。現代の言語学の理論から見たら、やや未熟なところが全くないわけではない(し、それに統計手法も一部あやしい)が、日本語の地理言語学を学ぶにあたっては、まず読みたい書。

佐山喜作(1963)『中学生』岩波新書
中学生 (1963年) (岩波新書) [新書] / 佐山 喜作 (著); 岩波書店 (刊)

現役教師による、そのものずばりの新書。古い時代の中学校のことなので、現代には参考にならないこともあるが、勉強になることもあった。例のいわゆる「中二病」という、あの得体のしれない発達心理的大イベントについて知れるかと少し期待していたが、そこまで派手ではなかったにせよ、思春期の多情多感で「大人の階段登る」な中学生の心理的不安定が、新書で読める。中学校における教育論。

それにしても先生、強い正義感に駆られてか、学者や役人、政治家やマスメディアにむやみやたらに歯向かっていて、「民主主義」、「民主教育」などの言葉遣いだけ見ても、戦後間もない働き盛りの教師の、進取、新進気鋭の気位がにじみ出ている。

内容とは関係ないが、読んでいて目をみはったのは、当時の中学生の作文の巧さである。巧いなんてものではない。年齢を隠せば、短編小説と見まごうものが1、2あった。お世辞ではない。断じていいと思うが、こんな文章、今の中学生は書けない。大学生ですら、もし自分の日常生活をもとに原稿用紙2、3枚で小説を書けと言われたら、できるものかあやしい。僕は書けない。悔しい。そういう点においては、当時の教育が羨ましいのである。

滝平二郎のカット入り。

田代三良(1970)『高校生』岩波新書
高校生 (岩波新書) [単行本] / 田代三良 (著); 岩波書店 (刊)

それに関連して、『高校生』をいうのも読んでみたが、こちらは、生徒一人一人の内面とか生き様とかを取り上げているというよりは、主に高校の教育制度にかかわる政治的な話であったので、30ページほどでやめにしてしまった。だが、高校のテスト中心主義、競争、序列化のシステムが、いかに生徒の意欲低下、失望に結びついているかを読むと、ちょっぴり怖くなる。つまり高校教育をめぐる問題は、40年以上前から大して変わらずに存在しているというわけだ

教育制度の害悪に対して批判、批判の一辺倒なので、読んでいて少し暗澹な気持ちになるが、高校教育に少しでも疑問を感じていた(ている)人、高校に悪い思い出を残してきた人には、本書は痛快かもしれない。私も大いに頷くところがあった。

コメント

このブログの人気の投稿

「書道八段」は大した称号じゃない

「55個の母音を持つ言語」というギネス記録は間違いである

「お腹と背中がくっつくぞ」の勘違い