長野は秋に満ち満ちていた リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 11, 2012 以下3枚は、トリミング(と署名入れ)以外の編集を一切していない。 この土曜日、用があって地元長野に帰省した。夕方、犬の散歩をしていたところ、道路脇に生えていた柿が透き通るような赤に熟していた。 東京と比べ肌寒い。ここは秋に満ち満ちていた。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
「書道八段」は大した称号じゃない 7月 13, 2014 自分では当たり前だと思っていることは時として、他人にとっての当たり前ではない。 習字の段級に対する認識の違いは、そのいい例である。習字の七段とか八段とか師範とかを持っていると、一般に「すごく出来る人」だと思われる。ところが、剣道八段などに比べたら、レベルははるかに低い。 大学生になって自己紹介をする機会が増え、私のかつての習字の段位について同じことを5度も6度も言ってきたので、何かの参考になればと、書き留めておく。 2012年7月の記事より 私は小学1年から習字をやっていた。小、中と9年間続けたが、高校1年の半ばになって、高校と塾が正反対の方向になり、時間的に両立が難しくなってやめた。というよりも実は、高校で書道部に入り、書道というものを知ってから、これ以上習字塾に通い続けても得るものは少ないと思ったのもある。(習字と書道との違いは書くと長くなるので、またの機会に。) 習字塾では、最終的に一番高くて準八段か八段を取った気がする。詳しくは忘れたが、高校生になると一般の部扱いになるので中学までの段位はリセットされて、何級からスタートするというシステムがあったから、八段は最終的な段位ではない。 思い返してみると、私は高校大学と、自ら八段を持っていましたと言ったり書いたりした記憶がない。言う資格がないと思っていたのである。 ところが、小1から習字をやっていましたと言うと、段とかどうだったんですか、と聞かれることが少なくないので、一応八段だった気がします、と答える。すると相手は「へえ」とか「おー」とか感心してくれる。なのでここ1、2年は、私は必ずこう続けることにしている。 実際のところ段は実力をあまり反映してないです。半ば自動的に段が上がっていくので、少しうまく書ければ昇段はけっこう簡単なんです、と。 実際そうなのである。私は長野県内のまあまあ大きい某会に所属していたが、昇段のシステムは全くわからなかった。もちろん小中学生のころの私は、右も左もわからずにただ漫然と字を書いていただけなので、昇段の仕組みなんぞに興味を持つわけはなかった。私の記憶が正しければ、1年に2回くらい、昇段試験がありますからこれこれを書きましょうと先生が指示するので、お手本をそれなりに頑張って書いて提出した。何週間かして、気づけば昇級していた、という具合だったので... 続きを読む
綿貫宏介という巨人 5月 08, 2017 ある日ネットで知った御所坊という有馬温泉の宿の、ロゴを始め、暖簾や避難経路図に至るまで館内のそこここにあると思われる、不思議な篆書じみた文字に釘付けになった。 この垢抜けた文字はそんじょそこらのデザイナーによる仕事ではないのは、ひと目見て明らかだった。しかしロゴデザインの主を調べようにも、御所坊のサイトには説明がない。御所坊の文字という以上に手がかりもないので調べようがなかった。 そのロゴは、篆書はもちろん書を熟知している人でないと出来ない仕事だった。安っぽい言い方はあまりしたくないが、端的に言って、上手いのである。あまりに完成しているので、朝日新聞の題字における欧陽詢「宗聖観記」のように何か古典から集字したのか、もしくはアレンジしたという可能性もほんの一瞬頭をよぎった。しかし、御所坊の文字は、私の知るかぎりどの古典にも似ておらず、独特で、何より、きわめてモダンであった。 ある匿名のデザイナーによる、モダンな篆書じみた文字。私は不思議な感覚に陥った。 そんな感覚も忘れかけていたつい昨日、Facebookで流れてきた写真が目に止まった。友達の友達のあげていた小鼓という酒で、小さくてよくわからないが、ラベルのロゴがどことなく垢抜けていた。 すぐさま検索してみて、心臓が高鳴った。ラベルの文字が、あの御所坊の文字と同じだったからである。小鼓は西山酒造場という兵庫の会社の酒で、そのデザインに関して、親切にも1ページを割いてくれていた。西山酒造場のロゴデザインを手掛けたのは、1925年生まれの綿貫宏介という芸術家であったのだ! 話は寄り道するが、白状すると、ある素晴らしいクリエイターやその作品に出会ったとき、恥知らずな私は「他の面では無理でも、頑張れば、この人のこの部分には勝ち目があるかな」と、しばしば思うことがある。 例えばの話、文字を扱うクリエイターに対して「墨書についての知識は僕のほうが持っているんじゃないかな」なんて思ったり。( 超有名デザイナー佐藤さんのとあるロゴデザインとかを見たりなんかするとね・・・ボソッ )。またある人には「オレのほうが英語うまいんじゃね」とかね。言うまでもないことだけど、有名人に対する揚げ足取りである。 しかし、綿貫宏介はそんなちっぽけなやっかみの入る隙すらない、桁外れの芸術家ではないか。 戦後、ポルトガルと... 続きを読む
故小野寺啓治氏を偲ぶ 4月 05, 2017 小野寺啓治氏が亡くなった。2015年11月初旬 [1] だという。 小野寺啓治とは誰ぞや、ときっとお思いのことだろう。 ネットでは、氏のまとまった情報を得ることは難しい。検索して出てくるのは、主に氏の著作と、上野精養軒で行われた関係者による「偲ぶ会」のページくらいなのだ。Wikipediaにも無いし、自身のホームページもない。いや、実は生前「書道ジャーナル研究所」という立派かつ有用なサイトがあったのだが、没後、きれいさっぱり閉鎖してしまった。(http://www.shodo-journal.com/)。 2015年10月現在の「書道ジャーナル研究所」トップ WayBack Machine(https://archive.org/)より 調べる中で、氏のFacebookページを見つけたが( こちら )、2013年3月から5月までの写真4枚しか、閲覧することができない。もちろん、1936年生まれという氏の年代から考えれば、Facebookをやっていて、プライベートの写真が見られるというのは、貴重なことではあるのだが。 小野寺氏は、美術評論家および書家である。生前は、いくつかの大学で講師を務め、『書道ジャーナル』という月刊誌を発行し、また数多くの著作を残した。手元にある氏の本から、彼の略歴を以下に引用する。 小野寺啓治(おのでら・けいじ) 昭和11年東京八王子に生る。昭和38年学習院大学大学院人文科学研究科美学美術史コース修了。専門 日本美術史・書道史。 現在 学習院・工学院大学・相模女子大学・中央美術学園講師のかたわら、美術評論・書作・篆刻・民芸運動に従事。 [2] サイト「書道ジャーナル研究所」の事務所は東京の調布市にあったのだが、グーグルマップで調べると、長野県富士見町に、同名の、現在は閉鎖中の出版社がある。氏は同じく富士見町に、小野寺美術館という自身の設立した美術館まで持っていたのだが、こちらももう閉鎖しているかもしれない。(住所は長野県諏訪郡富士見町立沢1−223。執筆現在、グーグルマップではまだ見つけることができる。) 小野寺氏の著書は、どれも絶版と思われるが、大体のものは、ネットで容易に手に入れることができる。ほとんどが書道、特に日本の現代書道に関するものである。しかしその中で、民芸に関するものがいくつかある... 続きを読む
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