河野六郎『文字論』

文字が無かったら飛行機飛ばなかったと思います。
ー今学期の英語史の授業にて、守屋先生

数年前からいつか読もうと思っていた河野六郎『文字論』を読んだ。

河野六郎(1994)『文字論』三省堂

(今は一時期より薄れたものの)文字に強い関心を持っているのだが、この分野の本は図表がほとんどで、学術書はかなり少ない。Amazon.co.jpに関する限り、本書は文字学と検索して一番最初に出てくる本だ。著者の河野氏は、三省堂の『言語学大辞典』の別巻『世界文字辞典』の編著者でもあり、言語学の大家らしい。(今調べたら、編著者はこのほか千野栄一、西田龍雄と、日本の20世紀の言語学の泰斗が名を連ねていて驚いた。しかも西田さんはつい先日9月26日に亡くなっていて二度驚いた。)

もっとも、このブログにも一度書いたことがあるが、文字が学問として、特に私の興味のある言語学の文脈において文字が語られないのには、わけがある。

理由は大きく2つある。一つは、文字は人間の生来の能力ではないということ。外から与えられたものだということだ。事実、聾など特殊な障害のさらに特殊なケースでない限り、言葉を話さない人間はいないのに対し、健康でも文盲の人、さらには文字を持たない言語も多く存在する。ここは河野氏も認めている。(「音声言語は人間の自然であり、文字言語は文化の所産である」(本書8ページ)。)

二つ目は、文字は言語の音声を正確に反映しないということだ。例えば、英語のghに幾通りもの発音があることが挙げられる。このように文字は融通が利かないので、少なくとも言語学において研究の対象とはならない。

それを承知の上でも、私は文字は面白いと思うし、河野氏も文字論の発展を期待して本書を著したのである。

さて、いきなりだが、私が本書で少しがっかりしたのは、『文字論』と題しておきながら、内容が漢字にかなり偏っていることだ。名は文字論でも、実は「漢字プラスアルファ論」である。もっとも、読み終わった今、文字(漢字)学の碩学の著作を読んで損はないと思ったし、いずれ読むべきであったと思う。

最後にアクティブリーディングとして、批判的なことを書かせてもらえば、河野氏が熱く語る「文字の本質=表語」という説は、私にはトートロジー(同語反復)にしか見えない。

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