岩崎氏の感覚世界に惹かれはするものの:「音に色が見える世界」

彼はあまりに特殊すぎた。

岩崎純一(2009)『音に色が見える世界』PHP研究所(5か月ぶりに日本人の著者)

音に色が見える世界 (PHP新書) [新書] / 岩崎 純一 (著); PHP研究所 (刊)

まず著者の紹介をしよう。彼以上に多様な共感覚を持っている人を、日本では、私はおろか彼自身も知らない。本書の裏表紙の著者紹介から乱暴にも引用させていただくと、「文字の形状に色が見える、音や色に景色が見える、女性の排卵などの各生理現象を、その女性に見聞きする色と音で知る、匂いや味に色や形がある、目視のみで対象者や物体に触れるミラータッチ共感覚を持つ、など、現在の欧米や日本で実在が確認または仮定されている共感覚をほぼすべて保持している。」仰天である。

共感覚に馴染みがない方には、このきわめて文学的ともいえる感覚が信じがたいと思うが、これは比喩やフィクションではなく、岩崎氏には、私たちが物に色を感じ取るのと同じレベルで、文字に色なりが見えるのだ。私は共感覚者ではないが、共感覚は実在すると思っているし、彼の言うこともとりあえず信じている。とにかく、とんでもない共感覚者なのだ。

だが、本書の彼の意見には、違和感を覚えずにはいられない。まず、本書の趣旨が「日本人男性の共感覚感」だというのが、私の引っかかった本書の独自な点だ。そして、彼のナショナリズムというか、(特に江戸以前の)日本語・日本文化志向と、英語をはじめとするヨーロッパ言語・欧米文化・欧米化卑下ともとれそうな思想には、納得できない点が多い。例えば彼によれば、日本の「欧米化」のせいで、人間本来の共感覚的感覚が失われてしまったと言うのだ。そこまで言われると、共感覚を「失った」私らが悪いみたいじゃないか。確かに彼の視点は面白いし、必ずしも唾棄すべきとは思わない。だが、彼の説は、分野の特殊さもあってか、根拠に乏しい。

ただ、読んでみて思い至ったのは、岩崎氏の感覚はあまりに特殊であり、彼ほど強烈な共感覚を持つ人は少なくとも日本では彼一人だけだ。よって、その感覚を共有することは誰にも不可能なのだから、彼の考えに共感できないのはもっともである。本人は大真面目なのはわかるが、果たして読者の共感をどれほど得られるだろうか。

新書という限られた紙面の制約もあってのことだと思うが、僭越を重々承知で言うと、文章もとりわけうまくないし、いろいろな点が言い尽くされていない。この際、新書じゃなくて、この2、3倍の分量のハードカバーにして、彼の包括的な自伝と、日本文化論を披露してほしかった。

読むと新たな発見があるかもしれないが、別におすすめしない。そんな本。彼のウェブサイトはこちら

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