日本と中国、日常の書字の違い

荒川清秀(2014)『中国語を歩く―辞書と街角の考現学<パート2>』東方書店


これは大学図書館の新着図書の棚で見つけた本だ。

愛知大学教授にして、NHK「テレビで中国語」の元講師である著者の、主に中国語の語彙論に関する著作だ。中国で「水」を下さいというとお湯が出てくる、「通路側の席」の中国語は何というのか、簡体字「宫」の口と口の間に点がない理由、など、身近なところから日中の漢字、漢語の違いを取り扱う。著者の、複数の漢語辞典を徹底して調べる姿勢と、認知言語学などへの深い造詣がにじみ出ており、学術的にも信頼の置ける内容である。

だが私は本書の本筋と関係がないあるところが深く印象に残った。日中の書字に関する教育の違いについて、ほんの少しだけ触れていた。私の備忘録も兼ねて、以下ではそのことを書き留めておこうと思う。下は、著者が中国からの研修生の李さんから聞いた話である。

 李さんの話で、もう一つ我彼の違いを考えさせられたのは、
 (2)中国人は小学校高学年になると「行書」を書く練習をする
という点だ。「行書」は、「草書」ではくずれすぎ、「楷書」ではきちんとしすぎという、その中間をとった字体で、楷書よりも早く〔ママ〕書ける。なにより、かれらは行書に大人の字体を見ているのである。だから、李さんは最初、日本人の大人の字を見て「子どもっぽい」と思ったそうだ。わたしたちは学校教育では楷書を習うだけで、書道塾に通わない限り行書などとは縁が遠い。だから、日本人の大人はほとんど楷書、あるいはそれをいくぶん自己流に崩した字体しか書けない。(14ページ)

日本人、少なくとも私と同年代以下の世代、そして私よりある程度年齢が上の方も少なからず、その書く字は、楷書に偏っていると思う。一画一画を大事にしようと考えるのだろう。筆画の省略や連続があまりない。普段の硬筆の文字で、上手な楷書を書く人はいても、それなりの行書を書く人となると、私はめったに見ない。まれにいても、50代、60代だったりするので、若い人ではとても少ない。

たしかに書写や書道の授業で、毛筆で(場合によっては硬筆でも)行書をやるが、あくまで楷書が主である上にコマ数は少ないので、全然身につかない。漢字テストは楷書で書かなければいけないという習慣も影響しているのだろう。結果、速書きしたいときにも筆画と筆画をつなげない。私の経験上、楷書的な字しか書けない人は少なくない。もしくは、独自の崩し方をしたり、不自然なバランスで書いたりする人もいる。下の写真の「語 年 里 ます」は、左側が筆画をつなげない字の例で、とげとげしい印象だ。右側は、行書の一例である。


学校の教育現場でも、読めるように書くようにとか、濃く書くようにとは言われても、書体や、字形のバランスについてとやかく言われることはほとんどない。文字は読めればいいのだという向きが多いのだろう(写真の左の「憩」は実際に見た例。)

それに対して中国では、書字の速さと美しさがかなり重要視されているようなのだ。小学校高学年になると行書を学ばされるらしい。確かに、中国人の筆跡を見ると、全員が全員きれいな行書を書くとは言わないまでも、若い日本人によくあるような楷書を書く人はいない。筆画の省略や連続が自然に起こっている。書道をやる者からすると。少し羨ましい状況だ。

たかが書体の問題に貴重な教育時間を割くことはできないと、実利的に考える人は多いと思う。たしかにそうかもしれないが、行書はもともと隷書という書体をもっと速く書きたいという必要に迫られて生まれた書体である。(行書は楷書をくずしたものではない!)要するに行書は速書きに適しているのである。非効率的な、筆脈の感じられない楷書より、行書の実用性がもっと認知されてしかるべきだと思うのだが。

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