<今月の退行> 二 みんなレジ袋もらいすぎ

忘れた頃にやってくる<今月の退行>。無事第2号を迎えることができた。<今月の退行>とは、毎月末に、わたくしももせの因習墨守にして旧態依然(そしてひょっとしたらロハス)なさまを少しずつさらけ出すシリーズだ。つまるところ、刺激の多い今の生活に疑いの目を向けて、ひと昔の生活に思いを馳せてみたという話である。

年度末の第2号は、日々溜まっていくレジ袋に関するお話。



レジ袋、いらんやろ

コンビニ、スーパー、ベーカリーなどで、膨大な量のビニール袋が消費されている。

私は塾講師のアルバイトをしているが、一部の生徒は、塾に来る前にコンビニに寄って、飲み物やお菓子を買ってくる。中学校、高校で買い食いした記憶のない田舎者の私には、毎度のようにペットボトルのジュースやガムを買ってくること自体、贅沢に思えるのだが、そのことは今は置いておいて、今回私が焦点を当てたいのは、それら商品を入れる、ビニールのレジ袋である。

私の意見は至極単純だ。(それゆえ何の新規性もない・・・。)滅多なことで、レジ袋はもらうべきではない。1点しか買わない場合は当然ながら、何点も買う場合でも、他の容れ物でいくらでも代用できる。

もちろん、エコバッグを一つ作るために必要なエネルギーが、それによって削減されるであろうビニール袋を作るための石油等のエネルギーより多いとしたら、本末転倒もいいところだ。これは私の意見の大きな弱点であり、事実、私に不利益な証拠もあるかもしれない。だからと言って、(確たる証拠があるわけでもないが)私の意見を唾棄すべきとは思えない。なぜか。私個人の場合を考える。

私はエコバッグを持っていず、普通のリュックサックをその代わりにしている。そのおかげで、一人暮らしを始めて以来、何百枚のレジ袋をもらわずに済んだか知れない。買い物袋として何かを買ったことはないので、結局私は、その数百枚のレジ袋の対価としてのエネルギーを全く消費していないことになる。その上、それら大量のレジ袋を焼却、埋立、もしくはリサイクルするエネルギーも節約したことになる。

要は、新しくエコバッグを買う必要もなく、それも何年も使えば、その容れ物分のエネルギーは回収できるという算段だ。

いま、エネルギーのみみっちい差し引きを考えたが、それはあくまで論理的な議論のため。正直なところ、ビニール袋を浪費してモッタイナイという、根っからの貧乏性と素朴な正義感が原動力である。

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