2013年7月3日水曜日

「お腹と背中がくっつくぞ」の勘違い

「どうしておなかがへるのかな」という歌(「おなかのへるうた」)があるが、その中の「おなかとせなかがくっつくぞ」という状況を、むかし勘違いしていた。

つまりこういうことだと思っていたのだ。

お見苦しいところ失礼いたしました。

お腹が伸びて背中にくっつくのだと思っていたのだ。おなかがすくと腹が伸びるという道理が分からなかったし、そもそもそんなことありえないのだから、子供心に奇妙な歌詞だと思っていた。それがいかに大変な事態かを感じていただきたく、絵を書いてみたのだが、嬉しいことに、自分の救いようのない絵心の無さを改めて思い知った。無様なものをお見せしてしまって申し訳ない。

しかし、いつだったか、あれはお腹がへこんで腹部がぺちゃんこになる状況を表しているのだと遅まきながら気付き、謎が氷解した。

そんなことを昨日自転車に乗りながらふと思い出したのであった。が、同じ誤解をしていた人は他にもいるに違いないとにらみ、「お腹と背中がくっつく 誤解」で検索してみたら、やはりいた。インターネットはすごい。

こことかこことか。こちらのブログは私と同じく絵付きで書いてくれてあるし、ここではアンケートもしている。どうやら1割程度が勘違いしていたようだ。多くないか?

私の勘違いの他にも、自分のお腹を他人の背中につけると思っていた人もいるようだ。ますます空腹と関係がない。

まあそれはそれでよいとして、「お腹が背中にくっつきそうになるほどへこむ」という、作詞者の想定した状況は、誤解が解けた今でも、いまいち受け入れることができないでいる。というのは、私にとって「おなか」の意味するところはその表面であり、「せなか」もその表面であるからだ。だからどんなにお腹がへこんでも、近づきはしても、絶対に触れることはないのである。腹部がありえないくらいまでに、いやもうヤバいんじゃないか、というくらいにぺらぺらになったとしても、日本語話者の直観としては、それを「くっつく」とは表現するには抵抗がある。

上のアンケートで、1割程度が勘違いしていたということは、私の言語直観が一般にかなり共有されていることの証拠であると思っている。

表面と表面が触れるには、どちらかを伸ばしてもう片方に付けるしかないだろう。ここで子供のイマジネーションである。子供(というか僕の小さいとき)には「こんなこと実際ありえない」という理性の抑制はない。想像力がゴーイングマイウェイした結果、私は長い間勘違いをしていたのであった(適当)。

おまけ:

と、以上は言葉の意味から来る誤解だったが、歌の誤解のつながりで言えば、単語の分解や解釈のしかたから来るものもある。検索していて見つけた、「貴方が子供の頃勘違いしてた言葉」というYahoo!知恵袋の質問が面白くて参考になる。

おそらく有名なのが「巨人の星」の主題歌の「思い込んだら」を「重いコンダラ」と解釈してしまう例だったり、「赤鼻のトナカイ」の「暗い夜道は」を、「暗いよ道は」とトナカイが寂しがっているのだと思い違いしている例だ。言語学では前者が民衆語源(folk etymology)、後者が異分析(metanalysisとかrebracketing)と呼ばれるものである。異分析は俗にぎなた読みとも呼ばれているらしい。「ここではきものをぬいでください」というやつだ。

ちなみに英語で起きた異分析は、言語史に興味があれば思わずへぇ~となる。Wikipedia英語版「rebracketing」の項が参考になる。

さらにさらに、音(音韻論)に関する勘違いということで言えば、空耳(幻聴の方ではなくて、mishearingのこと)がある。これは外国語の歌詞を他の言語の音韻で解釈してしまうことだ。日本語に聞こえる空耳はかなり有名で多いから、説明は不要だろう。逆に日本語の歌詞が英語に空耳して話題になったらしい例は、私の知る限りはっぱ隊の「YATTA!」がある。

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