東京国立博物館と書道博物館へ「書聖 王羲之」を見に

さきほど東京国立博物館台東区立書道博物館に、特別展「書聖 王羲之」を見に行ってきた。

王羲之(おうぎし)の書は2008年に同じく東博ですごいのが来たらしいので(そのとき高1で王羲之を知らず見る機会は逃した)、今回はそんな大物は来ないだろうと思っていた。ところがどっこい、昨日先輩から、「九成宮醴泉銘」とか「孔子廟堂碑」とかもあるから、行くっきゃないと強く勧められて、ちょっと待て王羲之だけじゃないのかと面食らって、しかも会期が3月3日までと迫っていて、2日3日の土日はそれはもう立錐の余地無く混むだろうとも言われたので、いやこれは平日の木曜(今日)か金曜に行くしかないなと思ったわけだが、そもそもこちとらは学期末のレポートがまだ2つ残っていて、上野まで行く時間が惜しかった。だがまあ善は急がなければならないので、急遽、今日の昼頃をねらってはるばる上野までやってきた。

いやもう、上野とか久しぶりだ。ここ界隈に来たのは、4月初めの秋葉原以来だろう。

昼食どきなら空くだろうと高をくくっていたら、入場制限がかかっていて20分待ち。うわ、僕と同じこと考えている人、たくさんいた、アハハ。12時に中には入れたのだが、中も人多杉。黒山の人だかり。おじさんおばさん、僕にも見せて。

入り口まで数十mの行列が続く

木曜日なのにこんなにごった返すとは思っていなかった。遠くから目を凝らさざるを得ないこともあったのだが、度の強い眼鏡をかけて来るべきだと思った。

特に、有名どころの「十七帖」とか各種の「蘭亭序」、ポスターやウェブサイトなどに載っていた「行穣帖」(読み方を確認するのを忘れた)や、「蘭亭図巻―万暦本―」、そして世界初公開という「大報帖」などは大人気で、皆して前線でお目にかかろうと気張る気張る。ゆっくりとしか動かないので、忍耐も必要だった。

人が多すぎて趣も何もあったものじゃないが、それにしても一見の価値があった。王羲之のでは「行穣帖」は筆の動きや線の質が好きだなと思った。だが有名どころは、複製を見慣れているので実物を見てもあまり実感がなく、かといって有名じゃないものはやはり(あくまで比較的にだが)それなりだ。

他に見られてよかったと思ったのは、皮肉にも王羲之ではない。「史頌き」(漢字が打ち出せない)という、青銅のお皿に鋳込まれた金文(西周・前8世紀)は、いい言葉が浮かんでこない、うーむ、格好よかった。欲しくなった。いやポストカードでよかったから欲しかった。また「乙瑛碑」と「礼器碑」を条幅で見られたのは思わぬ収穫だった。(普通は法帖でしか見られない。)「石鼓文」や「泰山刻石」は一昨年見た。「孔子廟堂碑」と「九成宮醴泉銘」は、法帖だったので全体像を見られなかったのが残念だ。

それにしても大した動員数だ。王羲之ファンがこんなにもいたのかと驚くばかりだ。特設のミュージアムショップも賑わう賑わう。大繁盛だ。かく言う私も、記念に「蘭亭図巻―万暦本―」のクリアファイルを買った。

かれこれ2時間も見て回って足がかなり疲れたのだが、東博から歩いて20分ほどの書道博物館にも、この機会に行くべきだと思った。東博と合同で、「不折が学んだ、書聖・王羲之。」(不折とは中村不折という書家のこと)というのを開催していた。

予想通り、スカスカだった。

住宅街(というかホテル街)にある小さなところなので、知名度はずっと下がるのだが、実は収蔵品の多さと良さはおそらく日本屈指である。ここまで至るは知る人ぞ知る者のみ、むふふ、と心のなかでほくそ笑むのであった。

一昨年来たことがあるので、目当ては限られていた。「開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)」と「かく季子白盤銘」(ここも漢字が打ち出せない)だ。どちらも王羲之ではないが、王羲之はもう十分見たのでさっさと飛ばさせていただいた。ただ、東博で人混みに押されながらようやく見たものと同じものが、こっちにポンと展示されていたりして(東博の方が質はよかったが)、がっかりもしたが、またむふふと心のなかで笑うのであった。

ここでも記念に、「永寿二年三月瓶」という、文字の書かれた後漢時代の壷のポストカードを買った。この実物は先ほど東博で見てきたものだ。この博物館の収蔵品である。

目と足が疲れたが、目の肥やしになった。

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