工藤員功・稲垣尚友 『手仕事を追う―竹』 あるくみるきく選書2

ISBNの無い古本、非売品、稀覯本がたくさん売りに出されるヤフオクでは、しばしば思いもよらない本に出会うことがある。


工藤員功・稲垣尚友(1980)『手仕事を追う―竹』株式会社アスク

もそうだ。宮本常一編「あるくみるきく選書」3巻の内、2巻目だ。小さい本である。

ただし、ヤフオクに出ていたのはこれを含むシリーズ全3冊セットで、しかも不相応に高かったので、結局ヤフオクではなく、他のサイトで1冊のみ、割安に買ったのだが。

本の表紙や奥付には「近畿日本ツーリスト株式会社・近畿日本ツーリスト協定旅館連盟 二十五周年記念出版」とあり、ISBNは無いため、アマゾンなどでは手に入れることができない。どういう形かは分からないが、無料で頒布されたのだろう、価格も書かれていない。入手は困難だが、然るべきサイトに行けば現時点ではネットでも入手可能だ。

工藤員功氏による、「竹細工の産地を訪ねる」と称する全国の竹細工産地の紹介が本文の3分の2くらい。稲垣尚友氏による、「カゴ屋職人修行日記」が残りの3分の1くらいだ。新書サイズで写真は多く、すぐに読み切れてしまう。竹細工の産地に関しては、竹細工が盛んなはずの長野県や山梨県の記述が無いなど、偏りを感じないではない。

後半の稲垣氏による修行日記は面白かった。著作が多いので、この方の名前は私は何度も目にしていたから、竹細工の世界では有名な方なのだろう。ネット上では氏の最近の動向や、制作についてほとんど分からないが、最近は自前のキャンピングカーで全国を飛び回っているようだ。70歳を過ぎているのに、本当にお若くて、笑顔は少年のようだ。(ちなみにリンク先の「松本みすず細工の会」の方とは昨年知り合いになったので、稲垣さんは私の友達の友達ということになる!)

本書には、35歳の稲垣氏が、1977年4月26日から3ヶ月という期限付きで、熊本県の竹細工職人のもとで修行する様子が、日記形式で綴られている。文章からまんべんなくにじみ出る、稲垣氏の「若さ」が特にいい。何が「いい」のか、よく言葉にできない。ただの「古き良き時代」に対する羨望も混じっているのかもしれないが、少なくとも同じ竹細工を学ぶ私に、響くのだ。

たった3か月という期間で、習得できるものは限られている。それでも竹細工で生計を立てる覚悟でやって来たのだ。妻子もいる手前、時間を1日たりとも無駄にできなかったのだろう。指の激痛でまともに寝られない日があっても、歯を食いしばって師匠のもとで竹細工を習った。師匠とその奥さんが優しい方なのだ。指を病院で診てもらった稲垣青年を、下宿先に見舞いに来てくれた。

3ヶ月の修行の末、若き稲垣氏は決心する。

このとき、すでに私はカゴ屋で生活の糧を得ようと心に決めていた。生まれて初めての”専業志望”であった。これまで何十もの仕事についてきたが、それは、あくまでも、金もうけのためであった。(中略)帰り際、私は師匠に約束してきた、関東のどこかで仕事場を捜すから、そのときは呼ぶからと。一銭の指導費も払ってこなかった私の、せめてもの気持ちであった。(195-6頁)

この言葉通り、氏はのちに関東に農家を借りてカゴ屋となる。この充実した修行を経て、今の稲垣氏があるのだ。作ったものを見ると、3か月という修行期間では考えられないほど、技術が高い。

本文を全て読み終わって、稲垣氏の著者紹介を見てびっくりした。

稲垣尚友(いながき・なおとも)
一九四二年東京生まれ。国際基督教大学在学半ばで書と教室を捨て、各地の居候的放浪の末、南東に通いつめる。(*後略 *強調は筆者)

卒業はしなかったものの、稲垣氏は私の大先輩だったのである! これからは親しみを込めて、「氏」ではなく、さん付けで呼んでもいいだろうか。

職を転々とし、南島(トカラ列島のこと)に引越し、挙句の果てに妻と幼子を置いて3ヶ月間の竹細工修行に出かけるなど、本書を読みながら稲垣さんの自由さとフットワークの軽さは人並み外れていると思っていたが、国際基督教大学(ICU)なら仕方がない。それは冗談にしても、ICUに入学した時点で彼のフロンティア精神の片鱗がすでに見いだせよう。お会いしてみたい方である。

コメント

このブログの人気の投稿

「書道八段」は大した称号じゃない

「55個の母音を持つ言語」というギネス記録は間違いである

「お腹と背中がくっつくぞ」の勘違い