2016年2月21日日曜日

肉を食べないのが「ベジタリアン」なら、プラスチックを使わないのは「ミニマル・ポリマー」ですかね?

先日、プラスドライバー1本を買うか買わないかでホームセンターで10分くらい迷ってしまった。


そのときはドライバーがどうしても必要だったのだが、買う前に熟慮していた自分自身に、少し嫌気が差した。自分は合成樹脂をこんなに敬遠していたのかと。

僕はプラスチックとか合成樹脂のモノをあまり買わない。最初から意識してそうしていたわけではないが、ここ2、3年、プラスチック製品は可能な限り避けてきたような気がする。

さすがに、パンの袋とか、ラップとか、梱包材とか消耗品としてのプラスチックはどうしても買わざるを得ないこともあるけど、耐久財、つまり収納ケースだとかコップだとかカバンだとかコーヒーマシーンだとかだとか・・・、そういうプラスチックが使われているモノって、そういえばほとんど買っていない。ボールペンとかクリアファイルとか、もらったやつがいっぱいあって買う必要のないものもあるし。

もちろん、僕の趣味がそういうプラスチックのモノをそんなに必要としないのもある。書道とか古本とか民藝ね。

だからここ2、3年の間に僕が買ったモノの大半は、紙だったり陶器だったり竹だったりするのだ。部屋に大量に積まれている古本は紙。(10コくらいだと思うけど)蚤の市や日本民藝館とかで買ったうつわは陶器。洋服とかを収納している行李や籠は竹、というふうに。つまり自然の素材を使ったモノばかりだ。

プラスチックって便利だけど、環境や人体への悪影響とかを考え合わせると、どちらかと言うとまあ無尽蔵に使うのはやめたほうがいい部類に入るでしょう。

アンタも紙を大量消費しているじゃないか、と思われるかもしれないけど、プラスチックと紙の決定的な違いは、土に還るかどうかと、その生成過程なのだ。つまり紙は土に還るが、プラスチックは還らないというのが一つ。紙の原料となる植物(木だったり楮だったり)は数年から数十年単位で成長するのに対して、プラスチックの原料となる石油は、生物の死体が高温高圧で油に変わるのに数百万年のスパンがかかるというのが二つ。だから石油が枯渇するという話は聞いても、紙が枯渇するという話は聞かないわけ。(別に紙の無駄遣いを擁護しているわけではないけど。)

プラスチックって、あまり使わなくても生活できる。毎日の買い物でレジ袋を貰わないだけでもエラい違いだし。むしろ生活の質が上がることもある。ポリエステルじゃなくて、綿の洋服を着たいじゃないですか。漆器らしく作られた合成樹脂のお椀でなくで、値段は10倍しても本物の漆器で味噌汁を飲んでみたいじゃないですか。以前読んだ「器ってのは、多少無理して買うのが当たり前なんだから」という陶器屋のオジサンの言葉が忘れられない。

だから、プラスチックを極力使わないライフスタイルって、あっていいと思うんだ。もう実践している人もいるだろうけど、もっと広まっていいと思う。プラスチックの代わりに、木、陶、竹、藁、革、綿、麻、紙などを積極的に使っていくライフスタイル。

だったら名前をつければいいんじゃないのか。「ベジタリアン」とか「弁当男子」とか「おしゃP」とか、名前をつけるとそういう人たちにスポットライトが当たりやすくなるから、プラスチックを使わない主義の人にも名前をつけるのだ。

日本語で堅苦しく言えば「自然素材主義者」だろうが、英語でスマートに言えないものか。「ナチュラリズム」は芸術における「自然主義」、「マテリアリズム」は「唯物論」という意味になってしまいどうもよくない。

「ナチュラル・マテリアリズム」、「アンチ・プラスチック」などいろいろ考えたが、「ミニマル・ポリマー」くらいがカッコいいかな・・・という感じ。訳せば「最小限度のポリマー」。プラスチックは高分子(ポリマー)なので。

このミニマル・ポリマーが浸透すれば、まず、プラスチックでない包装がもっと普及するだろう。正直言って、お皿一つ、キャベツ一つ買うくらいだったら古新聞で包んでくれれば十分だ。(実際タイのチェンマイの土産物屋ではそうだった。)

もう一つ、需要と供給の関係によって、自然素材を使ったモノがもっと安くなるだろう。ペン立て一つだって、ちゃちなプラスチック製じゃなくて、陶器のマグカップに立てたらおしゃれだぞ。(僕は取っ手のとれた益子焼のマグカップを筆立てにしている。)

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