2015年2月18日水曜日

阿辻哲次『中国漢字紀行』

阿辻哲次の『中国漢字紀行』を読んだ。普通の読書録としてブログを書いたのは、去年の11月半ば以来、実に3ヶ月ぶりだ。この間、卒論やら何やらがあったものだから。

阿辻哲次(1998)『中国漢字紀行』大修館書店


著者の阿辻哲次は、本書執筆時点では京都大学助教授とあるが、調べてみると現在は京大大学院教授である。最近の漢字研究の世界では、有名な方である。(ちなみに私が阿辻哲次を知ったのは、高校2年か3年のときに、NHKの番組に出ていたのを見たのが最初だ。)

本書では馬王堆帛書(まおうたいはくしょ)、石鼓文、甲骨文字、そして『説文解字注』と、中国古代文字学において極めて重要な4つ遺跡や文物をめぐって、著者の詳しい解説と、それらを自ら見に行った時の体験が、随想という形で綴られる。

考古学や文献学的な位置付けは置いておいて、書体の歴史という点でこれら4つの章立てを見ると、最も古いのは甲骨文字で、漢字の最初期の形態である。次に古いのが秦時代のものと推定される石鼓文で、篆書の完成期に近い。その次が、『説文解字注』の底本である『説文解字』(西暦100年)のまとめた小篆という書体。最も新しいのは、篆書から派生した馬王堆帛書の書体である(ただしこの遺跡は時代的には紀元前2世紀に遡る)。

本書は学術書ではなく、また漢字の通史でもない。本書の特長として2点があげられると思う。

まず、大変に読みやすい。本書は「あじあブックス」シリーズの一つとして、一般の読者向けに中国文字史に関心を持ってもらおうと書かれた本である。あまり専門的な話に突っ込んでいないというのもあるし、著者の主観で書かれている部分が多く、退屈にならずにテンポよく読み進めることができる。文章もこなれていて、ストンと理解できるクセのない文体だと感じた。

ここ1年くらい、言語学の学術書や書道の解説書ばかり読んできて、文学らしい文学を読んでいなかった私には久しぶりの感覚だった。有名な文学を読んだわけでもないのに大袈裟な、とお思いかもしれないが、それでも、硬くて冷たい岩石ばかりにかじりついているうちに、温かく滋味豊かな粥の口当たりを忘れていたものらしい。

本書の特長としてもう1点あると思うのは、著者の学問に対する丹念な姿勢だ。研究者としては当たり前のことだけれども、遺跡や文物を実際に見に中国には何度も足を運び、伝統的な常識に対しては無批判にやり過ごしたりはせずに考証を重ねる。

例えば、王懿栄(いえい)と劉鶚によるあまりに有名な甲骨文字発見のエピソードは、実はでっち上げであるという(84~86頁)。これは、最近の、しかもその多くは中国の、研究成果を全く知らない私たちには、なかなか知ることのできない知識である上、自力で調べることも難しいから、伝統的なエピソードを事実だと思って信じてしまう。また、古代中国の青銅器の鋳造や土偶の制作にあたって、燃料のために天文学的な量の伐採がなされたことが、現在までの中国の植生に影響を与えているという、これまでは触れられてこなかった視点(104~105頁)も、引用をしつつ紹介されており、面白い。

本書は歴史や文字文化・書道に関心がある人だけではなく、漢字なんてつまらない、古代中国文化なんて古臭い、と思っている向きの方々におすすめな本である。古代文字学、中国考古学のドラマを感じることができる。

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