2014年7月20日日曜日

演説の力 雄弁の力(英語・動画)

僕は話が下手くそだ。

頭のなかで即座に文章を組み立てることができない。短い言葉を交わす気軽なおしゃべりなら、ぎこちなさは少ない。しかし、少し改まった、まとまった話になると、途端にできなくなってしまう。

人前では見た目堂々と振る舞える方だと思っているが、人前でスピーチをしたり、難しい質問に答えたり、また人を説得したり、人を慰めたりするのに、大変な労力を感じる。機会は少ないが、乾杯の音頭とかも、しどろもどろになる。考えこんで一瞬固まってしまうことがあるが、その間は僕からすると気持ちのいいものではないし、考え込んだ結果大していいことが言えなかった場合、更にへこむ。

それに加えて、滑舌がひどく悪い。

いつもではないが、言いたいことが先走って、言葉が舌先で玉突き事故を起こす。結果、グチャグチャ、ボソボソとした発話になる。

特に、相手が目上の人であるほど滑舌が悪くなる。一度、ある企業の採用面接で緊張して、「よろしくお願いします」が、表記不可能のぐしゃぐしゃした摩擦音の連続にしかならず、その後しばらくの間ひどい自己嫌悪に陥ったことがある。目上の人と話すときの滑舌の悪さは、ここ最近悪化している気がしなくもない。

僕は個別指導塾で小中学生を教えている。小学生にはゆっくり話しかけるよう心がけているので、ほとんど問題はないが、中学生、特に理解の速い子には、つい早口で喋ってしまうことが少なくない。早口でも流暢ならいいのだが、僕の早口は音声の玉突き事故だ。なるべくゆっくりと、そして抑揚をつけて話すことを心がけている。

前置きが長くなってしまった。

話が上手くなりたいというのは、私の常日頃の目標である。話の下手さにコンプレックスを持っている分、僕は弁の立つ人に憧れる。

雄弁は大きな力を持っている。人を感動させ、安心させ、奮い立たせるのはやはり人の言葉ではないか。書かれた言葉も確かに人を動かすが、リアルタイムで発せられた言葉には、その人の直接の感情がこもる。書かれた言葉は、気づかれない限り誰にも訴えかけることはないが、話される言葉には、人は自然と耳を傾ける。

ということで、以下に私が心震わされたスピーチからいくつかを紹介したいのである。内容こそ異なれ、最も人を動かすのは詮ずるところ雄弁なる演説であると思うのだ。

3つとも英語で申し訳ない。排除したつもりはないのだが、日本人による演説で私が感動したものはすごく少ない。(僕も含め、日本人は総じてあんまりしゃべりなさすぎると思う。)欧米では、古代ギリシャの弁論術の伝統が脈々と続いているのだろうか。

「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは」・・・、歌でもあるが言葉でもある。


有名なスティーブ・ジョブズの式辞。


trophic cascade(栄養の滝)と呼ばれる現象は、生態学上における重要な発見であった。

顔を上げて。

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