2010年4月11日日曜日

文字というものに興味がありまして

桜がそろそろ満開というところです。ウグイスの鳴き声が聞こえ、天候的にもようやく春の盛りが訪れたようです。今この記事を坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を聴きながら書いています。

新学年の慌しさもとりあえずの落ち着きを見せたこのごろですが、そんな昨日、久しぶりに本に触れました。

私は文字全般(漢字のみならず)に興味があるもので、文字について深く触れた本を読みたいと思っていたのですが、何せそういう本が無い!! 最近出版された『文字の歴史―ヒエログリフから未来の「世界文字」まで』(スティーヴン・ロジャー フィッシャー著)という厚い本を借りたことがありましたが、ろくに読まずにしまいました。何故でしょう。別に内容に不満があったわけでは無いのですが…。厚いというだけで気が滅入ってしまったのでしょうか? σ(^^)

そんな探究の日々(ってほどでもないけど)が続いていたとき、偶然が2つほど重なって見つけたのがこの「無文字社会の歴史」


無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に (1976年)
作者: 川田 順造
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 1976/12
メディア: -

文字の無い社会は世界に数多く存在するといわれています。文化人類学者の川田氏は、その中でも西アフリカのオートボルタ(現在のブルキナファソ)のモシ族の現地調査を通し、無文字社会の特質を明らかにしようとします。

モシ族は文字を持たないため、モシ諸王朝の歴史などを「記した」資料がありません。そのかわりこのモシ族の場合は太鼓の「音」で王朝の歴史を語るのです。

21日に1度の市の日、太鼓の演奏を唯一許された宮廷の楽師(ベンダという)は太鼓を叩き、歴代王の系譜を「朗誦」する…。

「無文字」ということから我々の「文字」社会、ひいては「近代」を眺めようとする本書は、我々の「先進社会」を考える上で非常に貴重な資料であると思います。

ここで氏は、本書で述べているように、文字社会の「辺境」として無文字社会を区別しようとしているのではありません。文字社会は無文字社会から発達した一つに形態に過ぎないのであり、さらに氏は、文字社会の中に今なお存在する「無文字性」を明らかにします。文字の無い文化が「不便」な文化であるとの認識は、自文化中心主義に満ちた偏見なのです。

川田氏はまた言います。近年の情報通信技術革新により情報が氾濫するがゆえに、わが文化で脈々と続いてきた「文字」性は薄れ、意思疎通の媒介である文字(言葉)の表す内容は希薄になってゆくと。

ここでいう「近年」が表す年代が、パソコンも存在しない70年代中ほどであることにとても驚きました。文字の大切さが見直されている現代で叫ばれていることと、これがまさに合致しており、今なお新鮮さを失っていないからです。

また、こうした「文字」性の希薄化の中で、文字の1字1字に意味を込めようとする書道が再び力(氏は秘儀性と言っている)を持つようになってきていると氏は最後に軽く触れていますが、この説に私は深く感銘を受けてしまいました…。

最後に断っておくと、筆者は文化人類学者ですから、無文字社会、特にモシ族の歴史意識や歴史などを、文化人類学的、民俗学的、民族学的に考証するというのがやはり本書の骨組みでありましょう。タイトルからして言語学的な内容もそれなりに含まれていると期待していましたが、かなり予想と違ったため、実は最初と最後しか読んでいません。

しかし特に最後の2章は上記の通り示唆に富み、これほど素晴らしい文字論(とでも言うべきもの)に出会ったことはありません。そういう意味で本書は自分にとって大きな一歩であり、遠い図書館からわざわざ取り寄せた甲斐があったと思っております。

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