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ラブレー『ガルガンチュア』 再訪

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2010年の初め、 高2の冬 に半分だけ読んでそのままだった『ガルガンチュア』を読み直した。16世紀にフランスで刊行された物語で、高校の世界史の授業でも名前だけ出てくる。 夏休みで時間もあるし、読み終えてしまおうと思ってまた手に取った。遠い昔の異国のお話だが、『ガルガンチュア』の(宮下志朗訳の)文体はやはり魅力満点である。 フランソワ・ラブレー(宮下志朗訳)(2005)『ガルガンチュア』筑摩書房 私はフランス古典文学と聞くだけで、背筋が伸びる思いがする。堅くて難しくて厳めしそうである。でもこの話は、肩肘張らずに読むことができてお気楽な感じである。 本編は、巨人ガルガンチュアの生まれの由来に始まり、強健博学なる青年に成長し戦で手柄を立てるまでの半生を描いている。なにせ一々の出来事が桁違いにオーバーで、茶目っ気たっぷりで、時々お下品で、まったくもって気分爽快である。馬の尿で洪水が起こって大勢の兵士が溺死したとか。もう荒唐無稽のハチャメチャである。そこがいい。 でも、大枠での話の筋は通っていて抜かりない。東洋の古典にありがちな理論の矛盾や飛躍もなく、話が脱線してそのままになってしまったり、登場人物や出来事が忘れ去られたままになってしまうことも基本的にない。そこはさすがのヨーロッパ、か、理性が感じられて、安心して読める。 もちろん、ラブレーも好き勝手に滅茶苦茶を書いているのではない。腐敗した神学や宗教的権威への皮肉が、本書のテーマであることも書き添えておく。 だが何よりも、邦訳が大変に愉快だ。原文がそうなのかもしれないが、とても親しみやすい文体で、難しそうなフランス古典文学だが、するすると読めてしまう。文章と内容とがとてもマッチしていて、ときどき吹き出すほどである。そもそもこの文体なしには、読破できなかっただろう。 厚めの文庫である。高校の時にはちまちまと牛の歩みでも読み切れなかったが、今回は最初から読み始めて2、3日で読めてしまった。読むのがまあまあ速い人なら1日で楽に読める。

水野恵『日本篆刻物語』

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前々回の記事で、最近素晴らしい文章に3つ連続で出会ったと書いた。『民芸の心』、『宮本常一』に続けて、もう1冊は篆刻(てんこく)という分野の本である。 水野恵(2002)『日本篆刻物語』芸艸堂 大げさを承知で言うと、この本で私の篆刻、ひいては芸術、伝統文化に対する価値観が大きく変わった。陳腐なただの解説書のように見えて、期待を大きく上回った。えらいものに出会ってしまった。 ちなみに、篆刻というのは「印章を彫る事を言います」(3ページ)。印章は、書画の落款印はもちろん、実用の認印・実印・ゴム印までを含む。材質も、石、竹、木、陶器、金属、水晶、ゴムなど様々だ。文字を彫ることもあれば、絵を彫ることもある。だが、篆刻というと最も一般には、石の印材に篆書を彫ることを指す。 篆刻というのは、千数百年前に中国から伝わってきたものなので、本家は中国である。現代の日本の篆刻家は、こぞって中国の篆刻の勉強をしているといってよい。先人の作った名印を鑑賞し、歴史や技術等の学問をし、中国の篆刻の趣を吸収しようと切磋琢磨するのが、近代日本の篆刻の姿である。 したがって日本の古印は所詮中国の亜流であって、見るものは少ないという前提が出来上がっているように思われる。日本流の篆刻は用管窺天、中国のの勉強をしてなんぼ、というのが篆刻の世界では常識であって、私もそれが当然だと思っていた。 だが、まえがきの最初のたった2ページで、その常識が揺らいだ。ガツンと鉄拳制裁を食らったようだった。(著者は本書を通して京言葉で書いている。) 日本の篆刻の古伝道統の本筋をはじめとするいろんな系列が、まるでボクの位置が扇の要であるかのように集ってるのどす。過去の名人芸がどうやって実現したのか、その神業を会得する修行の方法を学ぶのに、こんな結構な座標はおへんやろ。(3ページ)  日本古来の篆刻の要に位置するようなエラい篆刻家なら、いかな素人の私でも名前くらい聞いたことがあると思うのだが、著者の水野恵という方、手許にある芸術新聞社編『現代日本篆刻名家100人印集』 にも、飯島春敬編『書道辞典』にも出ていない。篆刻(また書道)の世界で有名になるには、全国レベルの有名公募展で賞を取らなければならない。表には出てこないだけで、京都にそんなすごい方がいらっしゃるのか。一体何者なのだ? 伝統を...

ちくま日本文学『宮本常一』

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前回の『民芸の心』に続き、最近出会った文章を紹介。 宮本常一(2008)『宮本常一 ちくま日本文学022』筑摩書房 なるほど民俗学は面白い。 宮本常一(1907-1981)は、全国の農村、漁村をくまなく渡り歩き、その地の歴史、芸能、農業漁業、昔話などを調査して回った。『遠野物語』で有名な柳田國男と並んで、その後の民俗学の礎を築いた。 本書は「ちくま日本文学」のシリーズの一つだが、収録の文章はどれも宮本が全国を回って集めた実録である。しかし、読んでいてすっと染み込む文章は、彼の一方ならぬ文学的素養を感じさせる。人々の民俗の実際の記録であるにもかかわらず、これもまた『民芸の心』と同じく、豊かな物語であるのだ。 私のように、近代以前の日本の姿を知りたいという方、舗装された道路はおろか時計もない頃の日本を知りたいという方には、文語体の『遠野物語』より、宮本常一をまずおすすめしたい。 13ある文章の中でも私が特に印象に残ったのは、「対馬にて」、「女の世間」、「すばらしい食べ方」、「子供の世界」だ。長旅も容易ではなかった昭和中頃までの時代、僻地の人々は、狭い世界に閉じ込められながらも、その生活のあらゆる側面が有機的に結びついていた。 今の時代が別に有機的でないと言いたいわけではない。でも一昔前に比べて、生活のサイクルは崩れていると言ってよいし、人と人との紐帯の強さは確実に弱まっている。一つ例を挙げる。 今はちょうど夏祭りの時期である。夏祭りの定番といえば、盆踊りであるが、数十年より以前と現在とでは盆踊りの性格は随分と違う。現代の盆踊りといえば、宗教的意味はほとんどなく、大方のところアミューズメントである。踊りたい人が踊りに行けばいいのであって、結果、私のように 地元の盆踊り を踊れない人も普通である。 しかし、共同体の紐帯がずっと強かった時代、盆踊りは集落を挙げてのハレ舞台だった。そこで踊るのは1年のうちでも数少ない娯楽であって、子供は大人の踊るのを真似ることで、伝統を受け継いでいった。だから誰でも歌や踊りの一つはできたのである。調査先で見せてもらった60すぎの老婆たちの歌について、こう書いている。 腰を浮かし、膝で立って、上半身だけの所作が見ていてもシンから美しい。これがただの農家のばァさんとはどうしても思えない。(p. 35) ...

湯浅八郎『民芸の心』

7月に入って、心揺さぶる文章に立て続けに3つ出会った。一つずつ手短かに紹介させて頂きたい。 読み終わった順に、一つは民藝、一つは宮本常一、もう一つは篆刻(てんこく)である。3つ並べてみて、自分でも意味の分からない(そして皆さんがおそらく思われるように、古臭い)ラインナップだと思うが、本質のメッセージはいずれも多かれ少なかれ普遍性を持っていたような気がするので、どうか笑わないでいただきたいのである。 まずは、湯浅八郎述・田中文雄編(1978)『民芸の心』だ。 これは、湯浅八郎、ICU初代学長が1978年に行った特別講義「民芸の心」の講義録である。ICU生でも特に最近の人は多くが知らないと思うが、湯浅元学長は民藝の一大蒐集家であった。その5200点あまりに及ぶコレクションは、今はキャンパス内にひっそりとたたずむあの湯浅八郎記念館に収められている。この講義は、湯浅元学長の米寿の年、1978年の5月に、6日間だけ行われた。 民藝というと、骨董趣味といっしょくたに捉えられてしまいがちだが、ウン百万円の壷とか、ウン百年前の書画軸とかいうのと民藝とを、まぜこぜにしてはいけない。前者は、個人の芸術家が、美しさを目的として創作したもので、一点物で、庶民には手が届かず、実用からも遠い。対して民藝は、無名の工人が多量に作った、一般民衆の普段使いの品々のことである。焼き物、着物、漆器、木工、竹工などなど、そもそも美醜の意識なんぞ微塵もなかったものばかりである。 民藝は、大正末から昭和初期にかかて柳宗悦らにより提案され、理論付けがなされた。(柳は「民芸」ではなく「民藝」の字を使ったので、ここではそれに倣っている。)日用の器物に美を見出した「用と美」の思想は、それまでの美術とは全く別個の美の世界である。 その民藝の美は、物がなければ始まらない。民藝はその性質上、具体的な物を見て、触れて、使って、初めてその美しさや、手仕事の確かさに感動できるのであり、それを残していこうという動きにつながる。民藝はあくまで有形物にこだわるのである。 そこへ来て、愛とか平和とか、哲学とか宗教とか、形のないものこそ正道にして第一義であり、対して具体物は、物欲を掻き立てる、邪道にして第二義的なり、というヒエラルキーがあるものだから、私は、そこが民藝運動の高尚なる美学たりえない所以なのだと思う...

大雨の痕跡

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7月22日、大学で見つけた。 おそらくその2日前、20日の夜に降った雷雨でできたのだろう。 大学は夏休みなので、蹴散らされたり片付けられたりすることもない。

演説の力 雄弁の力(英語・動画)

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僕は話が下手くそだ。 頭のなかで即座に文章を組み立てることができない。短い言葉を交わす気軽なおしゃべりなら、ぎこちなさは少ない。しかし、少し改まった、まとまった話になると、途端にできなくなってしまう。 人前では見た目堂々と振る舞える方だと思っているが、人前でスピーチをしたり、難しい質問に答えたり、また人を説得したり、人を慰めたりするのに、大変な労力を感じる。機会は少ないが、乾杯の音頭とかも、しどろもどろになる。考えこんで一瞬固まってしまうことがあるが、その間は僕からすると気持ちのいいものではないし、考え込んだ結果大していいことが言えなかった場合、更にへこむ。 それに加えて、滑舌がひどく悪い。 いつもではないが、言いたいことが先走って、言葉が舌先で玉突き事故を起こす。結果、グチャグチャ、ボソボソとした発話になる。 特に、相手が目上の人であるほど滑舌が悪くなる。一度、ある企業の採用面接で緊張して、「よろしくお願いします」が、表記不可能のぐしゃぐしゃした摩擦音の連続にしかならず、その後しばらくの間ひどい自己嫌悪に陥ったことがある。目上の人と話すときの滑舌の悪さは、ここ最近悪化している気がしなくもない。 僕は個別指導塾で小中学生を教えている。小学生にはゆっくり話しかけるよう心がけているので、ほとんど問題はないが、中学生、特に理解の速い子には、つい早口で喋ってしまうことが少なくない。早口でも流暢ならいいのだが、僕の早口は音声の玉突き事故だ。なるべくゆっくりと、そして抑揚をつけて話すことを心がけている。 前置きが長くなってしまった。 話が上手くなりたいというのは、私の常日頃の目標である。話の下手さにコンプレックスを持っている分、僕は弁の立つ人に憧れる。 雄弁は大きな力を持っている。人を感動させ、安心させ、奮い立たせるのはやはり人の言葉ではないか。書かれた言葉も確かに人を動かすが、リアルタイムで発せられた言葉には、その人の直接の感情がこもる。書かれた言葉は、気づかれない限り誰にも訴えかけることはないが、話される言葉には、人は自然と耳を傾ける。 ということで、以下に私が心震わされたスピーチからいくつかを紹介したいのである。内容こそ異なれ、最も人を動かすのは詮ずるところ雄弁なる演説であると思うのだ。 3つとも英語で申し訳ない。排除したつも...

手書きすることは脳にいい・・・らしいぞ(英語)

書道をたしなむ者として、私は手書きの文字には人よりも身近に感じている。キーボードを打つより、手書きしたほうが脳にいいっぽい、という記事を見つけたので、紹介する。 What's Lost as Handwriting Fades - The New York Times (June 2) 「手書きの衰退で失われるもの」 Why you should take notes by hand — not on a laptop - Vox (June 4) 「学生よ、PCではなく手書きでノートをとれ」 私は、長めでかっちりした文章を打つときは、その前に手書きで下書きをすることが多い。特にブログでは、この記事は本腰据えて書こう、と思う記事は、私はまず裏紙にボールペンで下書きをする。猛烈に。下書きは骨組みで、肉付けは打ち込みながらするので、とりあえず一心不乱に書きなぐる。だから、もう人には見せられないくらいぐちゃぐちゃで、文としても破綻していることも多い。でもこの過程があるかないかで大きく違う。 主観だが、下書きをしたほうが話に芯ができる。手書きのときとタイプのときとで、合わせて2回文章を練ることができるという点が大きい。紙にとりあえず言いたいことを全部吐き出して、打ち込みながら再構成できるというのは、効率もいいし、書いた後の満足度も高い。直接打つと、行き当たりばったりでうまく文章をまとめられない。 タイプだと、タイプミス変換ミスが時間を食ったり、オンライン辞書をつい引いてしまったり、リンクを張るのはおろか括弧を打つのさえ面倒くさかったり、Facebookが気になってしまったり・・・、気が散って仕方がないのだ。タイプしているうちに、言いたいことを思いついても忘れてしまうことが多い。手書きはタイプより少し遅いが、集中できるので、書こうと思ったことを忘れて、もどかしい思いをすることはあまり無い。 ちなみに前回の「書道八段」の記事は下書きをしている。本記事は、下書きと直打ちが半々だ。どこが下書きをしたところか、分かったら教えてください。 以上は手書きにちなんだ私の経験だが、上記記事は何も下書きのしかたなどについて書いているのではない。書道にも関係ない。 1つ目のNYTimesの記事は、タイトルが少々アジっている [1] が、主に認知心...