ドキュメンタリー映画「聖者たちの食卓」

インターネットやテレビによって世界中のあらゆる情報が大量に流れてくる現代にあっても、やはり知ることのできないことはいくらでもある。インターネットで何でも知ることができるようになったなんて思ったら、大間違いなんである。

時には、どこか異国のある僻地で、あまり外には知られることなくビックリするような風習が粛々と続いているなんてことがあるわけだ。

先月、インドのとある寺院の食堂「ランガル」の存在を知ったとき、世界の広さ、いや、12億人のひしめくインドの広さに全く恐れ入った。

インドのアムリトサルにあるシク教の総本山、「黄金寺院」では、毎日なんと10万食の人々に、無料でカレーを提供している。にわかには信じがたい。1日述べ10万人である。人数も桁違いだが、この無料食堂が、500年以上にわたって続いているというのだ。調理や清掃は、スタッフの奉仕活動で支えられている。

一体全体どうして、来る日も来る日も膨大な量の食事を500年以上も提供し続けて来られたというのか。2011年にベルギーで制作されたこの寺院のドキュメンタリー映画が、先月9月27日から日本で公開されている。見たい、という強い好奇心に突き動かされて、今日19日、新宿まで見に行った。

期待以上だった。

このドキュメンタリーから私が受け取ったのは、食堂で働くスタッフや、食事を求めてやってくる人々を支配している、驚くほどの秩序だ。

私がインドに対して持っているイメージといったら、どちらかと言えば、秩序というより無規律な人々、清潔というよりは不衛生な環境・・・。もちろんこれが当てはまる場合が多いのだろう。しかしここ黄金寺院に関する限り、意外なほどに人々は順番や規律を守り、徹底して掃除をする。特に、大量の食器の洗うときや、巨大な鍋の磨くとき(もちろんすべて人力)には、日本人顔負けの丁寧さがあった。

それはもしかしたら、宗教、カースト、肌の色、信条、年齢、性別、社会的地位に関係なくすべての人は平等であると説くシク教徒の、敬虔さによるのかもしれない。

けれどそもそも、一度に数万食分の食事を作るのに、材料や燃料の運搬から始まって、材料の下ごしらえ、煮込み、食器の配布、給仕、掃除などなどなどが、どこも滞ることなく機能しているんだからすごい。500年以上も続いているんだから、流れが出来上がっているのは当たり前ではあるのだが。

同時に、人間の生活の最も根本的な営み、食についても、重要なメッセージを投げかけている。食事だけを当てにして来る人も多いが、食堂のスタッフは、食べさせてもらっている代わりに奉仕的に働く。畑を耕し、調理をし、後片付けをする。その対価として、食事を与えられる。宗教、労働、食事は人間にとって根本的であること、不可分であることを教えられた気がする。

まだしばらく上映中である。興味を持たれたら、ぜひ見に行ってみて欲しい。

参考
「1日10万食。驚異のインド無料食堂をありのままに伝えたい! 映画「聖者たちの食卓」監督インタビュー」

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