タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(15日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
15日 ワーク
19日 機内泊)

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ワークも大詰め

今日もおとといや昨日とだいたい同じスケジュールだ。

が、今日は朝ごはん係だったので、5:10に起きた! まだ真っ暗である。前にも書いたが、暗い間は、昼間はおどおどしていた犬が凶暴化する。私も夜に吠えられたことがある。明朝、犬に囲まれて身動きがとれなくなったという人もいた。なので、家から食堂に行くときは、チームでかたまって歩いた。5:30過ぎより調理。私はにんじんを細く切ったり、唐辛子を切ったりした(書き忘れたが、唐辛子はソースなどでほぼ毎食出た。タイの唐辛子は、とんでもなく辛い)。

朝食のスープに、豚肉の角煮みたいなものが出た。うまかった。

今日のワークだが、昨日までで内側はかなり出来てきたので、今日中に終わらせ、外の回廊に取りかかる。毎日コンクリートを作ったり運んだりしているので、もうみんなコンクリートの作り方はバッチリだ。1山を作るには、バケツ40杯前後の砂と2袋のセメントをよく混ぜ、40杯前後の砂利を足し、水を入れて、鍬やシャベルでこねる。こねるのには相当な筋力とテクニックが必要で、そこは村の人たちがうまかった。

ワーク中はこまめにブレイクタイムを取ってくれたのだが、そのときに色々とタイの甘味を楽しめた。果物はパイナップルや青マンゴー(黄色いのと違って固く、全く甘くない)、それに名前は分からない果実も食べた。飲み物は基本水だが、コーヒー(インスタントコーヒーとココアとクリームとたくさんの砂糖を混ぜて飲むのがタイ式らしい)や、16日にはココア(激甘コールド)が出た。お菓子も出た。

午前中のブレイクだったか、私が腰を下ろして休んでいると、隣に村の男性が座った(いつもは村人は村人でかたまって休んでいる)。すると、彼が英語で私に話しかけてきた。彼は片言ながら英語が話せた。その後数分の間、いろいろな話をした。彼はセム(Sam)といい、2番の家のホストファザーだった。40歳くらいで(そのときは日よけのため顔の大半が隠れる帽子をしていたが)日焼けし、日々の労働で鍛えあげられた細身の、落ち着いた男性だった。

彼が枝で地面に、タイ語でセムと書いた(แซม)ので、私もこのキャンプでのニックネーム、「もーちゃん」を、โมจังとタイ語で書いた(タイ語の綴りは、このキャンプで偶然知っていた)。このときほど、タイ語を勉強していてよかったと思ったことはない。日本人がタイ文字を使ってコミュニケーションすれば、きっと受けるからだ。事実、セムも受けてくれたようだ。タイ語をどうやって勉強したかとか、私のホストファミリーは誰だとかの話をした。

午後のワークで、とうとう教会内部の床は終わった! 外側に取りかかったが、今日は数mしか出来なかった。コンクリート流しは、明日の午前で終わりだ。明日で外側が全て終わるだろうか。


カレンのごはん

今日もホストファミリー宅で夜ごはんだが、昨日までと違って、ファミリーが作ってくれた。とその前に、6時前、どういう気まぐれか、隣の6番のホストファミリーが夕食に招待してくれた。クワンが「テスト、テスト」と言っていたから、多分正確には、夕食の味見に招待してくれた。味見とはいっても、ごはんは1人前しっかり出たから、自分のところの夕食が食べられなくなりそうだった。パイナップルやバナナも出た。ここの家族は元気が良くて、にぎやかだった。

なんかもう腹八分な感じだが、私たちのホストファミリーでも引き続き夕食だ。文字通り本場のカレンの食事だ。鮮やかな赤や緑で、とても彩りが豊かという印象を受けた。魚の缶詰や卵やトマトを使っていた。毎晩のことだが、ファミリーは食べきれないほどのごはん(タイ米)を出してくれた。


夜、レクリエーションの後は、今日も10時ころシャワーを浴びたんだっけか。修行僧の気分だ。

ワークでみんな疲れている。10:40ころ、Good night

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