「書道八段」は大した称号じゃない
自分では当たり前だと思っていることは時として、他人にとっての当たり前ではない。 習字の段級に対する認識の違いは、そのいい例である。習字の七段とか八段とか師範とかを持っていると、一般に「すごく出来る人」だと思われる。ところが、剣道八段などに比べたら、レベルははるかに低い。 大学生になって自己紹介をする機会が増え、私のかつての習字の段位について同じことを5度も6度も言ってきたので、何かの参考になればと、書き留めておく。 2012年7月の記事より 私は小学1年から習字をやっていた。小、中と9年間続けたが、高校1年の半ばになって、高校と塾が正反対の方向になり、時間的に両立が難しくなってやめた。というよりも実は、高校で書道部に入り、書道というものを知ってから、これ以上習字塾に通い続けても得るものは少ないと思ったのもある。(習字と書道との違いは書くと長くなるので、またの機会に。) 習字塾では、最終的に一番高くて準八段か八段を取った気がする。詳しくは忘れたが、高校生になると一般の部扱いになるので中学までの段位はリセットされて、何級からスタートするというシステムがあったから、八段は最終的な段位ではない。 思い返してみると、私は高校大学と、自ら八段を持っていましたと言ったり書いたりした記憶がない。言う資格がないと思っていたのである。 ところが、小1から習字をやっていましたと言うと、段とかどうだったんですか、と聞かれることが少なくないので、一応八段だった気がします、と答える。すると相手は「へえ」とか「おー」とか感心してくれる。なのでここ1、2年は、私は必ずこう続けることにしている。 実際のところ段は実力をあまり反映してないです。半ば自動的に段が上がっていくので、少しうまく書ければ昇段はけっこう簡単なんです、と。 実際そうなのである。私は長野県内のまあまあ大きい某会に所属していたが、昇段のシステムは全くわからなかった。もちろん小中学生のころの私は、右も左もわからずにただ漫然と字を書いていただけなので、昇段の仕組みなんぞに興味を持つわけはなかった。私の記憶が正しければ、1年に2回くらい、昇段試験がありますからこれこれを書きましょうと先生が指示するので、お手本をそれなりに頑張って書いて提出した。何週間かして、気づけば昇級していた、という具合だったので
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