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「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」の題字がいいなあ

MIHO MUSEUMの「 大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋 」の題字がいいなあ。いい。 てらいがない。りきんでいない。そして基本は外していない。特に「徳」「天」「鞋」。 上から目線ですんません。 お寺のご住職が書いた字だろうか。 うまい人が意図的に稚拙に書いた感じもしない。そういうのもいいが、りきみがあるんだ。それはむき出しの作為だ。 メディアにちやほやされるケバケバした今風の字に疲れている目にもやさしい。 これはいい字だ。 「意識の作為や、智慧の加工が、美の敵であることを悟らねばならぬ。」 「だが稚拙は病いではない。それは新たに純一な美を添える。素朴なものはいつも愛を受ける。ある時は不器用とも云われるであろう。だが器用さにこそ多くの罪が宿る。単なる整頓は美になくてならぬ要素ではない。むしろ不規則なくば、美は停止するであろう。」 ーー柳宗悦『 工芸の道 』

子供の言い間違いに気付かされる言語のしくみ

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もし私が子供を持ったら、その子の言葉の習得過程を、つぶさに観察しようと決めている。理由は2つあって、大学時代、教科書で学んだ子供の言語獲得の諸過程がきちんと踏まれていくのか、自分の子を無邪気な被験者として確認できるというのがひとつ。子供のほほえましい言い間違いから、彼(彼女)の脳の中で何が起こっているのか、言語学的に分析しながら楽しみたい、というのがひとつだ。 子供の言い間違い観察は、言語学を修めた者にとっての、子育ての楽しみのひとつだろうと思う。言語獲得(Language Acquisition)というのは言語学のれっきとした一分野だが、たとえそれを専門にしていなくても、言語学をやった人は、自分の子供がことばを会得しようと試行錯誤するのを、だまって見てはいられないと思う。そのくらいに興味深いのだ。 今日読んだこの本の著者は、自分の息子さんの言い間違いをただ楽しむだけでなく、一冊の本にまとめあげた。 言い間違い一般に着目にした言語学の入門書は少なくないと感じるが、子供の言い間違いにフォーカスし、しかも平易に書かれた本は、あまり無いと思う。母親目線で書かれている上(たまに息子さんに対する悪態もつく)、専門用語をほとんど使っていないから、子育て中の親御さんにいいと思う。 この本の魅力は日本史学者・ 清水克行氏 が十二分に語っていらっしゃるので、そちらを御覧いただきたい。 さて、言い間違いと大人は言うけれども、子供のなかではいたって筋の通ったアウトプットであることが多い。英語圏での話だが、playの過去形がplayedなら、goの過去形はgoed、holdの過去形はholdedだと思うのはしごく真っ当な結論である。 著者の息子さんが実際に言った「これ食べたら死む?」という可笑しな活用も、「読む」「飲む」などのマ行五段活用から類推した結果だろうという。じつは現代標準語には、ナ行五段活用動詞は「死ぬ」1つしかないのだ。国語の時間で活用の種類を習っていない5歳の子でも、ここまで理解しているのである。 ことばを獲得しようと、ことばの海の上を「冒険」している子供は、大人が意識していないことばの不思議へといざなってくれる。ただし、その冒険はことばが完成すると終了し、忘れ去られてしまう。親がその冒険に立ち会っているときは、子供の脳の中を垣間見れる貴重な

脱「筆文字ロゴ」論

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久しぶりに行った(古書店でない)普通の書店で大発見をした。 手にとってまず適当に開けたページが芹沢銈介の作品群! これはもしや、と思ったら案の定、つい先月感動とともに紹介した綿貫宏介も載ってる。ハイ、このふたりが同一の本に載ってる時点で第一級資料決定。 さらに私の好きな書家のひとり、中村不折も載ってるし。そればかりかこの本、沢木耕太郎の『深夜特急』の表紙とか、小布施町の桜井甘精堂とか私もちょう知ってるロゴを手掛けた方々も出てくる。 しかし私が感激したのは掲載の面々だけではない。 この本の紹介するあまたの「描き文字」は、毛筆の書でも、規格化されたタイポグラフィでもない。書道の本も、タイポグラフィの本もゴマンとあれど、こういう「人の手によるアナログなロゴデザイン」をまとめた本というのは丸ッきしないのだ。少なくとも私は見たことがなかった。だから、こんな素晴らしい、写真豊富、装丁瀟洒な、ニッチな本を出してくれた著者と監修者に感謝感激なのである。こういう本を求めていたぞ。 さらに、もうひとつは、手書きによるロゴデザインは「描き文字」と言うのか!というちょっとした知的感動である。この「描き文字」に相当すると思われるものに、欧米に「(hand) lettering」というものがあって、私は日本でもそれがもっと普及してほしいと常日ごろ願っているのだが、その訳語に考えあぐねていた。それまではそのままカタカナの「レタリング」とか「ハンド・レタリング」くらいしか思い浮かばず、しかも「レタリング」だと、日本語では単に「文字の装飾」という意味に捉えられがちなのだ。そこへ来て「描き文字」なる言葉がきた。 ただ、「描き文字」はマンガの効果音の文字を指すのにも使われるようだし、「(hand) lettering」とまったく同じものだと言うこともできないだろう。それぞれの使われる範疇は、少し違っていそうである。それに、はたして「描き文字」なる言葉がこの本でのみ使われているだけなのか、あるいは業界で一般に使われる用語なのかは、よく調べていないのではっきりしない。(後者に思えるけども。) 個人的には、一般名詞として「描き文字」というやや安直な言葉を使うのは、あまり好きになれないので、さしあたって、「(hand) lettering」は「レタリング」と訳すことにしておく。

工藤員功・稲垣尚友 『手仕事を追う―竹』 あるくみるきく選書2

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ISBNの無い古本、非売品、稀覯本がたくさん売りに出されるヤフオクでは、しばしば思いもよらない本に出会うことがある。 工藤員功・稲垣尚友(1980)『手仕事を追う―竹』株式会社アスク もそうだ。宮本常一編「あるくみるきく選書」3巻の内、2巻目だ。小さい本である。 ただし、ヤフオクに出ていたのはこれを含むシリーズ全3冊セットで、しかも不相応に高かったので、結局ヤフオクではなく、他のサイトで1冊のみ、割安に買ったのだが。 本の表紙や奥付には「近畿日本ツーリスト株式会社・近畿日本ツーリスト協定旅館連盟 二十五周年記念出版」とあり、ISBNは無いため、アマゾンなどでは手に入れることができない。どういう形かは分からないが、無料で頒布されたのだろう、価格も書かれていない。入手は困難だが、然るべきサイトに行けば現時点ではネットでも入手可能だ。 工藤員功氏による、「竹細工の産地を訪ねる」と称する全国の竹細工産地の紹介が本文の3分の2くらい。稲垣尚友氏による、「カゴ屋職人修行日記」が残りの3分の1くらいだ。新書サイズで写真は多く、すぐに読み切れてしまう。竹細工の産地に関しては、竹細工が盛んなはずの長野県や山梨県の記述が無いなど、偏りを感じないではない。 後半の稲垣氏による修行日記は面白かった。著作が多いので、この方の名前は私は何度も目にしていたから、竹細工の世界では有名な方なのだろう。ネット上では氏の最近の動向や、制作についてほとんど分からないが、最近は自前のキャンピングカーで 全国を飛び回っている ようだ。70歳を過ぎているのに、本当にお若くて、笑顔は少年のようだ。(ちなみにリンク先の「松本みすず細工の会」の方とは昨年知り合いになったので、稲垣さんは私の友達の友達ということになる!) 本書には、35歳の稲垣氏が、1977年4月26日から3ヶ月という期限付きで、熊本県の竹細工職人のもとで修行する様子が、日記形式で綴られている。文章からまんべんなくにじみ出る、稲垣氏の「若さ」が特にいい。何が「いい」のか、よく言葉にできない。ただの「古き良き時代」に対する羨望も混じっているのかもしれないが、少なくとも同じ竹細工を学ぶ私に、響くのだ。 たった3か月という期間で、習得できるものは限られている。それでも竹細工で生計を立てる覚悟でやって来たのだ。妻子もいる手

Chiang Yeeによる書道入門書「Chinese Calligraphy」

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以前書いた が、英語で書かれた書道関連の本には、これといってオススメできるような良書が少ない。そんなのニーズなんてありませんがなという思いはさておき、英語の書道本は、以下の条件を多く満たしているほど良い本と言えるだろう。 1)内容が「浅く広い」こと 2)著者が書の研究者であること 3)こなれた英語で書かれていること 4)図版が豊富であること 5)廉価で手に入れやすいこと 以前紹介した中田勇次郎氏の本は、上の条件のうち1、2、3、4を満たしていた。しかし内容が高度で、入手が難しいという欠点があった。(しかもでかい。) 今回紹介するChiang Yee(蒋彝)氏の「Chinese Calligraphy」は、条件1、2、4、5を満たしている。 初版は1938年だが、私が手に入れたのは1973年の第3版、第13刷である。版数と刷数の多さから、この本が評価を得ているのが分かる。ペーパーバックだから、気軽に取り出して読めるのもいい。 まず条件1について。本書は、書の基本である「書体」、「技法」、「筆画」などにそれぞれ1章が設けられており、東洋の書を知らない欧米人に寄り添って書かれている。 条件2について。蒋彝氏は書の研究者ではなかったと思うが、中国で生まれ育った書家であり、書の知識と実践についてはネイティブである。 条件4について。多くの古典作品を含む図版と図解が豊富である。発刊が古いというのもあってか、白黒であり、図版については決して質が良いとはいえないけれども、入門書としては十分な質量である。 条件5について。本書は洋書だから店頭には置いていないだろうが、まだ絶版にはなっていないようで、アマゾンで簡単に買える。 総じて言うと、本書はもし海外の友達に「書道のことが知りたいんだけど何かいい本ない?」と言われた場合に、まず薦めたい1冊である。 さて、本書に一つ注文をつけるとすれば、文章のこなれ具合であろうか。 本書は中国語版の英訳でなく、著者自身が英語で書いた本である。蒋彝氏はイギリスの大学で教鞭をとったらしいから、英語はかなりうまいんだけれども、それでもやはりアラがあるような気がする。英語が間違っているというわけではないんだけど、いかにも「英語を勉強しました」という感じが彼の文章のあちらこちらから匂ってくる。自

中田勇次郎(1983)『Chinese Calligraphy』

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最近買った古本。 学生の時から、英語で書かれた書道の入門者向けの文献はないものかと探している。もともと大学で入っていた書道部に、海外からの見学者や部員がいたため、その人たちに読んでもらいたいと思って探し始めた。大学を卒業した今となっては、もう調べ出す必要もないのだが、私の個人的な探究心で、ありはしないかといまだに鼻を利かせている。 が、適当なものはなかなか見つからない。 以前にも書いたことがある のだが、私の大学の図書館に関する限り、書に関する洋書は、ほとんどが中途半端な内容である。どういう風に中途半端なのかというと、たとえば ①一人の書家(たとえば米芾)を特集したり、個人のコレクションの紹介であったりして、内容が偏っている ②著者の書に関する知識が不十分であって学術的に内容が薄い ③日本人が書いていても、翻訳が下手であるか、間違っている といった感じ。 英語教育である程度有名な母校の図書館でさえこの状況なのだから、一般の書店や他の大学図書館ではまず望み薄だろう。書道科のある大学ならありそうな気もするが、母校の近くにはそういう大学はなかった。 要するに、私が探し求めているのは、上の逆で、 1)内容が総合的で 2)書の研究者によるもので 3)誤訳のないもの ということになり、さらに、 4)図版が豊富で 5)廉価で手に入れやすい となれば理想である。 最初の1、2、3をなるべく満たし、なおかつ4を満たす本の一つが、中田勇次郎氏の『Chinese Calligraphy』である。存在は知っていたが、比較的安価でようやく手に入れることができた。本書は、1982年に淡交社から出された同氏による『中国の美術②書蹟』の英訳である。 一般に書に関する文献は「理論」、「実践」、「鑑賞」に分類されうるだろうと思うが、本書は理論を主とし、巻頭のカラー図版で鑑賞も兼ねる。 とはいえ本書は完璧ではない。 まず内容がやや高度であること。もともと日本人向けに書かれた本の英訳だから仕方ないことではあるが、たとえば漢字には篆隷楷行草の5体がある、といったごく基本的なことは、少なくとも図版を伴っては触れられておらず、海外の初学者には難しいということ。また書

「み」の由来は「升」?――今までで一番バカバカしかった本

ある日のとある大学図書館にて、いつものように書架の間をブラブラしながら、何の気なしに本を眺めていたときのこと。ふと手にとったハードカバーの洋書を開いてみて、自分の目を疑った。 その本は日本の文字、主に平仮名と片仮名の入門書で、1ページに1つの仮名が割り当てられていた。それぞれの仮名には、書き順などとともに、ページの下部に「その仮名の元となった漢字」も添えて載せられていた。しかし、びっくりしたことに、その漢字がどうしようもないほどに見当外れだったのだ。ギャグではない、大まじめに書かれた立派な作りの本なのにである。 なんと、「あ」の由来は「却」!? 「イ」の由来は「丁」!? いやいや、「あ」は草書の「安」、「イ」は「伊」のにんべんが由来ですから。 下に、その本に掲載された滅茶苦茶な「仮名の字源」を一覧にしたので、ご覧頂きたい。 平仮名 ん 人 わ 朽 ら 弓 や 弔 ま 去 は 伎 な 扱 た 左 さ 包 か 加 あ 却 ゐ 肋 り 旧 み 升 ひ 廿 に 仇 ち 古 し 匕 き 吉 い 心 る 召 ゆ 功 む 劫 ふ 与 ぬ 奴 つ 刀 す 可 く 又 う 占 ゑ 煮 れ 孔 め 女 へ 入 ね 切 て 凡 せ 世 け 付 え 之 を 右 ろ 石 よ 丈 も 屯 ほ 任 の 内 と 巴 そ 乞 こ 己 お 拘 片仮名 ン 小 ワ 匂 ラ 万 ヤ 千 マ 々 ハ 八 ナ 寸 タ 匁 サ 丹 カ 力 ア 乃 ヰ 牛 リ 刑 ミ 杉 ヒ 亡 ニ 二 チ 子 シ 斗 キ 中 イ 丁 ル 丸 ユ 互 ム 公 フ 了 ヌ 叉 ツ 少 ス 久 ク 刃 ウ 向 ヱ 互 レ 乙 メ 〆 ヘ 入 ネ 永 テ 云 セ 也 ケ 万 エ 工 ヲ 弓 ロ 口 ヨ 当 モ 毛 ホ 木 ノ メ ト 上 ソ 夕 コ 四 オ 才 本書に従うと、「ケ」と「ラ」は両方「万」から、平仮名の「へ」と片仮名の「ヘ」は両方「入」から、「ユ」と「ヱ」は両方「互」から、「ら」と「ヲ」は両方「弓」から派生したことになってしまう。「々(マ)」、「〆(メ)」に至っては、漢字では

アレックス・カー『美しき日本の残像』

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アレックス・カー(2000)『美しき日本の残像』朝日文庫 おすすめ! 特に、著者の幼少期の日本への憧れ、日本留学、そして徳島県祖谷(いや)での民家再生譚が綴られる最初の2章では、私は興奮しながらページを繰った。これほどまでに日本を愛し、これほどまでに日本を憎む外国人は少なかろう。日本文化を再考させる良エッセイ。

ICU図書館で借りた400冊から選ぶオススメの9冊

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国際基督教大学(ICU)を卒業した。 私が入学した2011年4月から2015年2月までのほぼ4年間に ICU図書館 で借りた本は、述べ 407 冊だった。異なり冊数、つまり複数回借りた本を1冊と数えた場合の数は、 298 冊だった。 日本十進分類法 にしたがって述べ冊数を分別すると、やはり私の専攻である言語学(800番台)の本を断トツに多く借りていた。 407冊のうち、レポートや卒業論文など学業のために借りた本は 158 冊。個人的な読書を楽しむために借りたのが 239 冊だった。(その他の目的が10冊。)私は、ICU図書館を学術よりも趣味の読書のために多く使っていたことになる。 この記事では、個人的に借りた本の中からおすすめの9冊を厳選してご紹介したい。 紹介の順番は、私が大きく影響を受けた『手仕事の日本』を筆頭に、それとテーマが近いものを2と3に。私の専攻である言語学のまつわるものを4と5に。その他の良書を6、7、8、9に挙げた。それぞれの説明の最後の「初出」に続く年月は、その本をブログで紹介した年月である。 1  柳宗悦(1985)『 手仕事の日本 』岩波書店 あなたに影響を与えた本を1つ教えてくださいと言われたら、迷わずこれを挙げる。本書の初版は戦後すぐの1948年。「民藝」という言葉の生みの親(の一人)であり、調査のため20年の歳月をかけて全国津々浦々を歩きまわった思想家、柳宗悦が、各地に残る手仕事の数々を易しい言葉で書き記す。その後の私の進路を方向づけた書。カットは芹沢銈介。初出:2013年5月。 2  寿岳文章(1973)『 書物の世界 』出版ニュース社    『手仕事の日本』に出会う少し前に読んだのがこの『書物の世界』だ。この2冊は全く独立に見つけたのだが、寿岳文章は柳宗悦の民藝運動に参加した人だと後になって知った。寿岳文章はブレイクやダンテの翻訳でも知られるが、書誌学や和紙研究でも多くの著作を残している。本書では、書物はどう変遷してきたのか、書物とはどうあるべきかを語る。本の装丁という世界に目を開かれた本。初出:2013年4月。 3  西岡常一(1988)『 木に学べ 』小学館 記憶が定かではないが、中学校の国語でこの文章を読んだことがあった。大学1年のとき、記憶を頼りに本書を見つけて読んでみたが、

阿辻哲次『漢字学―『説文解字』の世界』

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先週 の『中国漢字紀行』に続き、阿辻哲次の『漢字学―『説文解字』の世界』を読んだ。 阿辻哲次(1985)『漢字学―『説文解字』の世界』東海大学出版会 (リンク先は初版だが、表紙画像は、初版のものがなかったので 新装版 のもの) 一般向けだった『中国漢字紀行』とは打って変わって、本書は相当に興味のある人向けに書かれた本だ。本書は、漢字研究における最重要テキストである2つの書物を解説する。一つは西暦100年、許慎によって編まれた字書『説文解字』、もう一つは清朝の1815年、段玉裁によって完成されたその注釈書『説文解字注』である。 『説文解字』という字書は小篆という書体で親字を表示しているため、書道をやっている人なら、書道字典などでその名を目にしたことがあるだろう。漢文の勉強などで漢和辞典をよく引く人にとっても、あるいは見覚えのある書名かもしれない。しかし、古代文字学を専門的に研究でもしていない限り、『説文解字』という書物の内容を知る人は少ない。私もその一人だった。 簡潔な言葉で記されたその『説文解字』を、段玉裁が詳細に注釈した『説文解字注』は、なおさら知られていない。しかしこの『説文解字注』は、著者が「完成後二百年近くたった今でも『説文解字』研究の最高峰とたたえられているものである」(180頁)と言うほどに重要な書物である。 かなり込み入った内容が続く本書だったが、著者の文章は決して理解が難しいほど難解なものではなく、中国文献学の深みを感じることができる。また、それなしでは漢字研究がままならないという『説文解字注』を完成させた学者、段玉裁の精確かつ緻密な考証には圧倒される。 そういえば、 2年前 に同じタイプの人の伝記を読んだ。私はこういう努力する人間が好きなのだろうか。分野は違えど、生涯をかけて大著をまとめ上げるという点では、「オックスフォード英語大辞典」を編纂したジェイムズ・マレーを彷彿とさせる。 ちなみに段玉裁は中国語の古代音韻の研究にも大きな寄与をしている。個人的に中国語の歴史音韻論にはかねて興味はあったが、大学で欧米流の音韻論を学んだ者として、中国の古音学を勉強してみたいと思った。 備忘録として、本書の目次を挙げておく。 第一部 序論=漢字と中国二千年の文字学= 『説文解字』前史=実用的文字学の時代= 『説文解字』

阿辻哲次『中国漢字紀行』

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阿辻哲次の『中国漢字紀行』を読んだ。普通の読書録としてブログを書いたのは、去年の11月半ば以来、実に3ヶ月ぶりだ。この間、卒論やら何やらがあったものだから。 阿辻哲次(1998)『中国漢字紀行』大修館書店 著者の阿辻哲次は、本書執筆時点では京都大学助教授とあるが、調べてみると現在は京大大学院教授である。最近の漢字研究の世界では、有名な方である。(ちなみに私が阿辻哲次を知ったのは、高校2年か3年のときに、NHKの番組に出ていたのを見たのが最初だ。) 本書では馬王堆帛書(まおうたいはくしょ)、石鼓文、甲骨文字、そして『説文解字注』と、中国古代文字学において極めて重要な4つ遺跡や文物をめぐって、著者の詳しい解説と、それらを自ら見に行った時の体験が、随想という形で綴られる。 考古学や文献学的な位置付けは置いておいて、書体の歴史という点でこれら4つの章立てを見ると、最も古いのは甲骨文字で、漢字の最初期の形態である。次に古いのが秦時代のものと推定される石鼓文で、篆書の完成期に近い。その次が、『説文解字注』の底本である『説文解字』(西暦100年)のまとめた小篆という書体。最も新しいのは、篆書から派生した馬王堆帛書の書体である(ただしこの遺跡は時代的には紀元前2世紀に遡る)。 本書は学術書ではなく、また漢字の通史でもない。本書の特長として2点があげられると思う。 まず、大変に読みやすい。本書は「あじあブックス」シリーズの一つとして、一般の読者向けに中国文字史に関心を持ってもらおうと書かれた本である。あまり専門的な話に突っ込んでいないというのもあるし、著者の主観で書かれている部分が多く、退屈にならずにテンポよく読み進めることができる。文章もこなれていて、ストンと理解できるクセのない文体だと感じた。 ここ1年くらい、言語学の学術書や書道の解説書ばかり読んできて、文学らしい文学を読んでいなかった私には久しぶりの感覚だった。有名な文学を読んだわけでもないのに大袈裟な、とお思いかもしれないが、それでも、硬くて冷たい岩石ばかりにかじりついているうちに、温かく滋味豊かな粥の口当たりを忘れていたものらしい。 本書の特長としてもう1点あると思うのは、著者の学問に対する丹念な姿勢だ。研究者としては当たり前のことだけれども、遺跡や文物を実際に見に中国には何度も足を運び、

物を作ることと売ること

モノを作るなら、いいもんを作れ。 モノを売るなら、いいもんを売れ。 本 物として多量に生産されるのであるから、美術品ではなく、工芸品であることは疑いを容れない。すでに工芸品である以上、それには工芸品としての資格、すなわち工芸的な用と美への奉仕が条件づけられねばならぬ。多く作られる以上、多くの人の手に渡るのは覚悟の前であり、多くの人がみな書物の愛護家とは限らず、書物をゴム長へ入れて歩く学生も出てくる以上、どんな手荒いあつかいにも耐えるだけの強さと、その強さにマッチする美しさが具わらなければならぬ。 1 はんこ 水野の家は昔から一切の宣伝や広告はやらんと決てます。本音はその費用がおへんにゃ。そのかわり、ええもん作れ、で来ました。ええもん作ってさえいたら人が注文してくれるちゅう信念どす。つまり口コミ利用。 2 箕(み) 桜であろうが、あるいは籐であろうが、それのしんにして編みますと、こんなきれいな箕ができるわけなんです。これくらいにきれいに作ってあると、上手に使って一〇〇年はもつんです。一〇〇年もつということになると、サンカが同じところにとどまって仕事ができないんです。わけるでしょう。いいものを作ると売れないんです。売れたらあと買うてくれないんです。いつまでも同じもの使うから。修理には歩く。それがサンカを移動させた大きな原因になっている。次々に作って置いていくわけです。それからせいぜい三〇年も経つと、お前のところの箕はどうなったって尋ねていくと、いたんでおる。破れてしまった。そんなら新しいのをどうだってことになるだろうしね。毎年きやしない。で、移動する。こういう職人が日本に多かった。  この箕を売りに来る連中なんか、三〇年から五〇年にいっぺんしか来なかったというのはこれなんです。三〇年から五〇年くらいをひとつの周期としてずっとまわって歩いている。どこそこへ行ったら、あそこは昔、わしがこの仕事をしたところじゃから、お前行ってみろなんてことになる。いまはね、じつにその点お粗末に作ってある。できるだけこわれやすいようなものこしらえてね。みなさんそれを買わされて、それで一年か二年するうちにもうだめになっちゃう。電気製品なんか買うて、そうしてしばらく使っておって修理しようとすると、もう部品がありません、そんなものだめですなんてやっている。ところが、

書の世界の暗部 大渓洗耳『くたばれ日展』

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卒論の資料をコピーしに東京外国語大学の図書館に行ったら、あろうことか私のOPAC画面の見間違いで、目当ての紀要の目当ての号が蔵書になく、無駄足を踏んでしまった。その埋め合わせというかなんというか、空手で帰るのが悔しくて趣味の本を借りてきてしまった。 『くたばれ日展』という挑発的なタイトルである。本書の半年前に出された、同じ著者の『戦後日本の書をダメにした七人』も、並べて置いてあった。そちらは名前だけは知っていたが、著者の主観が激発したそちらより、少しは共感できそうな本書を借りてきた。図書館内のソファで約半分、残りの半分をいまさっき読み終えた。 大渓洗耳(1985)『続・戦後日本の書をダメにした七人 くたばれ日展』日貿出版社 日展 というのは日本美術展覧会の略称で、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5分野からなる、日本最大にして最も歴史ある公募展である。他の分野は知らないが、書をやっている人で日展入選というのはもう第一級の称号で、入選を境に、メディアには取り上げられるわ、人からは尊敬されるわ、一躍有名人になれるほどの絶大なパワーを持つ(らしい)。また書壇で権力の座を手に入れるための第一歩でもある(らしい)。 本書は、その日展の書の分野がいかに金と権力にまみれた世界かを糾弾するものである。公平な審査などどこ吹く風、堕落した上層役員による腐敗し切った運営がまかり通っているさまを徹底して叩く。その腐敗ぐあいは、ちょっとよく見れば私のような部外者にも明らかなので、著者の論調は痛快である。著者は書家であるが、日展のたるんだ構造に辟易としてか、日展には出品していない。 本書の発行は20年近く前のことだが、つい去年、書のうちでも篆刻という部門で審査に不正があったことが明るみに出て、ニュースになったのは記憶に新しい。去年の10月30日に朝日新聞が スクープ した。話は逸れるが、この朝日新聞というのが気になる。朝日新聞社は毎年「 現代書道二十人展 」というのを主催しているが、その出品者の面々のほとんどが、日展の顧問、理事、会員でもあるのだ。本当だったらその大御所たちの顔を潰さぬよう、不正報道なんかしないはずである。邪推であるが、朝日関係者に書家がいて、日展に出品してもその閉鎖性ゆえに入賞できない腹いせにリークしたのではないか。 日展の水は古くて澱んでいる。た

日本在来の食生活

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タイトルはあえて和食としなかった。和食と言うと、料亭で出すような高級で上品な料理までも連想してしまうからである。もっと庶民的な食事のことを書きたいので、わざと在来の食生活という言葉を使った。 日本人が何を食べてきたかに興味がある。特に、日本の人口の大部分を占めていた、農村、漁村、山村の人々が、何をどう食っていたのか、最近とみに気にするようになった。自分が一人暮らしをしていて、毎日食べるものを自分で考えることができる/考えなければならないからではないかと思う。 けれども、もっと直接的なきっかけは、アズマカナコさんという主婦を知ってからだ。東京郊外に住むアズマさんは、おばあさまの影響もあり、昭和以前の衣食住を実践している。くわしくは こちらのインタビュー や ブログ に譲るとして、たまげたのは、アズマ家は2児を持つ一般家庭でありながら、なんと冷蔵庫を使っていないのだという。もちろん、自ら手放したのである。したがって冷蔵や冷凍の要る食品は保存がきかず、すぐに食べてしまうか、別の方法で保存するかしなければならない。 そういう冷蔵庫に頼らない食生活を工夫した結果、和食が一番作りやすかったと、アズマさんは『昭和がお手本 衣食住』で触れているのだ。 アズマカナコ(2014)『昭和がお手本 衣食住』けやき出版 冷蔵技術がなかった当時の日本の生活を再現してみたら、食事はその当時食べられていたものが一番適していたということで、当然というば当然の話ではある。高度経済成長の初期、三種の神器として普及し始めた冷蔵庫が、いかに現代の食生活を多様にしたかがよくわかる。 調味料でいうと、味噌や醤油をはじめ、塩、酢、みりんなどは、常温で保存ができる上、味噌漬けや塩辛など、他の食品に加えれば長期保存させることができる。マヨネーズ、ケチャップ、バターなど、近代以降日本に入ってきた調味料は、冷蔵しなければ傷んでしまうし、食品の味を整えるだけで保存料としては使えない。日本在来の調味料は、日本の気候や食生活に合わせて作られた、便利な調味料なのである。 そういう食事法を少しだけでも実践してみたいと思っている。冷蔵庫や海外の食品を手放す勇気はないが、なるべく頼らない工夫をしたい。 日本在来の食事(法)に対する関心がさらに高まったのは、宮本常一の「すばらしい食べ方」を読んでからだ。

宮本常一『民具学試論』

宮本常一(2005)『民具学試論 宮本常一著作集 45』未來社 を読んだ。7月に宮本常一を読んでからというもの、その世界にすっかり引き込まれた。 宮本常一(1907~1981)は、民具の研究を一個の独立した学問に押し上げようとした人物である。それまでは民俗調査のついでに補助的手段として行われてきた民具、すなわち素人の作る道具類、の調査を、民俗学とは独立の、民具中心の研究として打ち立てようとした。宮本は仲間とともに全国を調査し、方法論を模索した。 民具学の対象とするものは、柳宗悦(1889~1961)の民藝運動とほとんど重なる。どちらも、陶器、木工、竹工、藁工、金工、布などの日用品を相手に展開された。同じものを対象にしながらも、しかし、宮本と柳のアプローチは全く異なっていた。 柳宗悦の民藝は、物の外面の美しさだけに注目する。民藝においては、色や形の美しさ、具体的には、健気さ、質実さ、立派さが最も重要である。もちろん柳は素材の良さや、作り手の精神性なども、民藝に不可欠な要素として説いている。しかし、どれをとっても、結局は主観の入り混じった良し悪しの判断でしかない。あくまで個々の物から感じられる美醜の感情のみで物を見ているのであって、例えば美しさの入る余地のない鍬(くわ)や犂(すき)などは、民具ではあっても民藝の範疇ではないのである。事実、柳は、まず知識を捨てて直観で物を見ろと、しきりに言っている。 美しいと感じることは万人に許された特権であり、誰もが美しいものに惹かれる。これは事実である。現在も民藝の品々が多くの人に愛されている所以である。しかしそこでは、物の背後にある文化、技術史、交易史などの学問的な面は、ことごとく無視されている。考えてみれば自然なことで、美しいという感情は誰でも簡単に持つことができるからいいけれども、多くの知識と時間を要する学問的な側面には、人は見向こうとはしないのが普通である。 しかしその学問こそ、宮本の民具学の目指すところなのである。民具を客観的、体系的に研究することで、その背後にある文化や歴史を明らかにしたかった。その点、民藝は、物の鑑賞に終わり、その背景には関与しない浅薄な見方であるといえる。 民具と民藝の区別について、宮本常一に直接語ってもらおう。1973年に発表された「民具研究への道」という小論で次のように言

柳宗悦『柳宗悦コレクション2 もの』

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柳宗悦(2011)『柳宗悦コレクション2 もの』筑摩書房 読んだのはもう2か月くらい前、7月はじめのことだが、書き留めておかないとやはり記憶の中に埋没してしまうし、おすすめの本でもあるので、簡単に書いておく。 ごく最近に出た、柳宗悦の論考集3冊シリーズのうちの1つだ。柳宗悦の著作は膨大で、有名なものならば文庫で簡単に読むことができるが、その他の文章は大きな図書館で全集に当たるか、古本屋を探さねばならない。本書に収められた34の文章のうちには、他の文庫では読むことができないものが多い。 内容の多くはさすがに記憶が薄れてしまっているが、ひとつ今でも覚えているものがある。読んだときは、柳宗悦がまさしく私の考えていたことを代弁してくれたことに嬉しくなり、そしてまた自信を得た。「『見ること』と『知ること』」というタイトルで、本書で10ページ程度の小編だ。 いくら知識を得て、言葉を尽くして書き表わしても、直感で見ない限りは、美の本質には迫れないという話。 美は一種の神秘であるとも云える。だから之を充分に知で説き尽くすことは出来ないのであろう。(280ページ)  一枚の絵の解説を、かかる美学者や美術史家が書くとしよう。若し彼が直観の人でなかったとすると、直ちに彼の解説に一つの顕著な傾向が現れてくる。第一彼は彼の前にある一幅の絵を必ず或る画系に入れて解説する。或る流派の作に納めないと、彼は不安なのである。絵はきれいに説明のつくものでなければならない。(中略)彼の文章はここでいつも或る特色を帯びる。例外なく私達が逢着する事柄は、彼がその絵の美しさを現すために、如何に形容詞に苦心するかにある。言葉は屡々大げさであり、又字句は異常であり珍奇でさえある。而もその言葉数が極めて多量である。彼は形容詞の堆積なくして美を暗示することができない。(281-2ページ) 難しいことではない。別に美学者や美術史家でなくとも、何か抜群に美しいものに出会ったとき、もしくは素晴らしい文章に出会ったときでもいい、それがどんな言葉の表現も適切でないと感じた経験は、誰しも持つのではないだろうか。どんな形容詞もぴったり来ず、どんな美辞麗句を連ねても自分の中の感動を完璧に言い表すことはできないというもどかしい経験だ。 そういう目が醒めるような感動は、私は1年のうちにも片手で数えるく

日本と中国、日常の書字の違い

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荒川清秀(2014)『中国語を歩く―辞書と街角の考現学<パート2>』東方書店 これは大学図書館の新着図書の棚で見つけた本だ。 愛知大学教授にして、NHK「テレビで中国語」の元講師である著者の、主に中国語の語彙論に関する著作だ。中国で「水」を下さいというとお湯が出てくる、「通路側の席」の中国語は何というのか、簡体字「宫」の口と口の間に点がない理由、など、身近なところから日中の漢字、漢語の違いを取り扱う。著者の、複数の漢語辞典を徹底して調べる姿勢と、認知言語学などへの深い造詣がにじみ出ており、学術的にも信頼の置ける内容である。 だが私は本書の本筋と関係がないあるところが深く印象に残った。日中の書字に関する教育の違いについて、ほんの少しだけ触れていた。私の備忘録も兼ねて、以下ではそのことを書き留めておこうと思う。下は、著者が中国からの研修生の李さんから聞いた話である。  李さんの話で、もう一つ我彼の違いを考えさせられたのは、  (2)中国人は小学校高学年になると「行書」を書く練習をする という点だ。「行書」は、「草書」ではくずれすぎ、「楷書」ではきちんとしすぎという、その中間をとった字体で、楷書よりも早く〔ママ〕書ける。なにより、かれらは行書に大人の字体を見ているのである。だから、李さんは最初、日本人の大人の字を見て「子どもっぽい」と思ったそうだ。わたしたちは学校教育では楷書を習うだけで、書道塾に通わない限り行書などとは縁が遠い。だから、日本人の大人はほとんど楷書、あるいはそれをいくぶん自己流に崩した字体しか書けない。(14ページ) 日本人、少なくとも私と同年代以下の世代、そして私よりある程度年齢が上の方も少なからず、その書く字は、楷書に偏っていると思う。一画一画を大事にしようと考えるのだろう。筆画の省略や連続があまりない。普段の硬筆の文字で、上手な楷書を書く人はいても、それなりの行書を書く人となると、私はめったに見ない。まれにいても、50代、60代だったりするので、若い人ではとても少ない。 たしかに書写や書道の授業で、毛筆で(場合によっては硬筆でも)行書をやるが、あくまで楷書が主である上にコマ数は少ないので、全然身につかない。漢字テストは楷書で書かなければいけないという習慣も影響しているのだろう。結果、速書きしたいときにも筆画と筆画をつ

柳田國男「遠野物語」など

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柳田國男(1973)『遠野物語』新潮文庫 先日は宮本常一を読んだが(7月27日の記事)、民俗学ならば柳田國男の「遠野物語」を読まずにはいられないだろう。 そのときの記事で、文語体の「遠野物語」より宮本常一の方がおすすめだと書いてしまったことを、まずお詫び申し上げたい。実はそのとき、「遠野物語」を読んだことがなく、文体だけを見て勝手に比較してしまったのである。一応情報を発信する者として、読んでくださる方に対して大変恥ずかしいことをしてしまった。そして何より柳田國男に対してもまことに礼を失した発言であったと、読み始めて後悔した。 それほどに面白かったのである。全く、「面白い」以外の形容詞がすぐに飛び出てこないのが悲しい。しかし、読み始めてすぐ、近くにいたバイトの知り合いの方に「遠野物語面白いです」と声に出して言ってしまうほどに興奮したのである。 私にとって「面白い」本というのは、基本的に、学術的であれ啓蒙的であれ何であれ、知ることが多いものである。つまり「遠野物語」は、私にとって新たに知ることが満載だったのである。 岩手県遠野地方に言い伝えられる河童や神隠し、山女、今も続く民間信仰、年中行事などが、1つ数行で語られる。それが100あまり集められている。人々の口伝いに受け継がれ、今までまともに取り上げられることのなかった精神世界。科学が発達する以前の、人知の及ばない存在を本気で信じる世界は、20世紀の、それに日本での記録だとしても、現代の私達からすればまったく異質の文化だと感じた。いかに近代化が急速に進んだかがよく分かる。もちろん遠野が特別なのではなく、さらに遡れば日本全体に同様の民俗があったのである。 侮蔑的に聞こえてしまうかもしれないが、そうした前近代の精神世界は、無知蒙昧の世界と言える。科学の普及する前の、知識の欠如という意味での「無知」、超自然的な、一般の人間の知り得ない何かが、どこかに潜んでいるという意味での「蒙昧」である。すべての現象がすっきり説明されることのない、曖昧な、暗い部分が残ってしまう世界である。それが、柳田國男の鮮やかな、飾らない文章から、生々しく伝わってくる。 文語文ではあるが、極めて平易な文語文である。文語というと、「源氏物語」のような古典文学を想像してしまうが、ややこしい助動詞の解読もないし、主語の省略とかもない

ラブレー『ガルガンチュア』 再訪

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2010年の初め、 高2の冬 に半分だけ読んでそのままだった『ガルガンチュア』を読み直した。16世紀にフランスで刊行された物語で、高校の世界史の授業でも名前だけ出てくる。 夏休みで時間もあるし、読み終えてしまおうと思ってまた手に取った。遠い昔の異国のお話だが、『ガルガンチュア』の(宮下志朗訳の)文体はやはり魅力満点である。 フランソワ・ラブレー(宮下志朗訳)(2005)『ガルガンチュア』筑摩書房 私はフランス古典文学と聞くだけで、背筋が伸びる思いがする。堅くて難しくて厳めしそうである。でもこの話は、肩肘張らずに読むことができてお気楽な感じである。 本編は、巨人ガルガンチュアの生まれの由来に始まり、強健博学なる青年に成長し戦で手柄を立てるまでの半生を描いている。なにせ一々の出来事が桁違いにオーバーで、茶目っ気たっぷりで、時々お下品で、まったくもって気分爽快である。馬の尿で洪水が起こって大勢の兵士が溺死したとか。もう荒唐無稽のハチャメチャである。そこがいい。 でも、大枠での話の筋は通っていて抜かりない。東洋の古典にありがちな理論の矛盾や飛躍もなく、話が脱線してそのままになってしまったり、登場人物や出来事が忘れ去られたままになってしまうことも基本的にない。そこはさすがのヨーロッパ、か、理性が感じられて、安心して読める。 もちろん、ラブレーも好き勝手に滅茶苦茶を書いているのではない。腐敗した神学や宗教的権威への皮肉が、本書のテーマであることも書き添えておく。 だが何よりも、邦訳が大変に愉快だ。原文がそうなのかもしれないが、とても親しみやすい文体で、難しそうなフランス古典文学だが、するすると読めてしまう。文章と内容とがとてもマッチしていて、ときどき吹き出すほどである。そもそもこの文体なしには、読破できなかっただろう。 厚めの文庫である。高校の時にはちまちまと牛の歩みでも読み切れなかったが、今回は最初から読み始めて2、3日で読めてしまった。読むのがまあまあ速い人なら1日で楽に読める。

水野恵『日本篆刻物語』

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前々回の記事で、最近素晴らしい文章に3つ連続で出会ったと書いた。『民芸の心』、『宮本常一』に続けて、もう1冊は篆刻(てんこく)という分野の本である。 水野恵(2002)『日本篆刻物語』芸艸堂 大げさを承知で言うと、この本で私の篆刻、ひいては芸術、伝統文化に対する価値観が大きく変わった。陳腐なただの解説書のように見えて、期待を大きく上回った。えらいものに出会ってしまった。 ちなみに、篆刻というのは「印章を彫る事を言います」(3ページ)。印章は、書画の落款印はもちろん、実用の認印・実印・ゴム印までを含む。材質も、石、竹、木、陶器、金属、水晶、ゴムなど様々だ。文字を彫ることもあれば、絵を彫ることもある。だが、篆刻というと最も一般には、石の印材に篆書を彫ることを指す。 篆刻というのは、千数百年前に中国から伝わってきたものなので、本家は中国である。現代の日本の篆刻家は、こぞって中国の篆刻の勉強をしているといってよい。先人の作った名印を鑑賞し、歴史や技術等の学問をし、中国の篆刻の趣を吸収しようと切磋琢磨するのが、近代日本の篆刻の姿である。 したがって日本の古印は所詮中国の亜流であって、見るものは少ないという前提が出来上がっているように思われる。日本流の篆刻は用管窺天、中国のの勉強をしてなんぼ、というのが篆刻の世界では常識であって、私もそれが当然だと思っていた。 だが、まえがきの最初のたった2ページで、その常識が揺らいだ。ガツンと鉄拳制裁を食らったようだった。(著者は本書を通して京言葉で書いている。) 日本の篆刻の古伝道統の本筋をはじめとするいろんな系列が、まるでボクの位置が扇の要であるかのように集ってるのどす。過去の名人芸がどうやって実現したのか、その神業を会得する修行の方法を学ぶのに、こんな結構な座標はおへんやろ。(3ページ)  日本古来の篆刻の要に位置するようなエラい篆刻家なら、いかな素人の私でも名前くらい聞いたことがあると思うのだが、著者の水野恵という方、手許にある芸術新聞社編『現代日本篆刻名家100人印集』 にも、飯島春敬編『書道辞典』にも出ていない。篆刻(また書道)の世界で有名になるには、全国レベルの有名公募展で賞を取らなければならない。表には出てこないだけで、京都にそんなすごい方がいらっしゃるのか。一体何者なのだ? 伝統を一手に引