「み」の由来は「升」?――今までで一番バカバカしかった本
ある日のとある大学図書館にて、いつものように書架の間をブラブラしながら、何の気なしに本を眺めていたときのこと。ふと手にとったハードカバーの洋書を開いてみて、自分の目を疑った。
その本は日本の文字、主に平仮名と片仮名の入門書で、1ページに1つの仮名が割り当てられていた。それぞれの仮名には、書き順などとともに、ページの下部に「その仮名の元となった漢字」も添えて載せられていた。しかし、びっくりしたことに、その漢字がどうしようもないほどに見当外れだったのだ。ギャグではない、大まじめに書かれた立派な作りの本なのにである。
なんと、「あ」の由来は「却」!? 「イ」の由来は「丁」!? いやいや、「あ」は草書の「安」、「イ」は「伊」のにんべんが由来ですから。
下に、その本に掲載された滅茶苦茶な「仮名の字源」を一覧にしたので、ご覧頂きたい。
平仮名
片仮名
本書に従うと、「ケ」と「ラ」は両方「万」から、平仮名の「へ」と片仮名の「ヘ」は両方「入」から、「ユ」と「ヱ」は両方「互」から、「ら」と「ヲ」は両方「弓」から派生したことになってしまう。「々(マ)」、「〆(メ)」に至っては、漢字ではない。さらに、「ノ」が、同じ片仮名の「メ」に由来すると主張するのもおかしい。「メ」が発生する前は「ノ」が無かったと言うのか?
「か」に対する「加」など、太字の漢字は、正しい字源を示しているものである。しかしその数はわずか6個。まぐれ当たりと言わざるをえないだろう。
漢字のチョイスが全くもってでたらめなので、ひょっとしたら、仮名の字源を示すという意識なんてなかったのかもしれないとさえ思ってしまう。つまり、各々の仮名に付された漢字は、「この仮名と形が似ていますね」という程度の意味しかないのではないか。しかしこの本の凡例を見てみると、その目算が違うことが分かる。下に引用するように、それぞれの漢字は、その仮名の由来となったと思われる漢字である、とはっきり書いてあるのである。
「probably(おそらく)」という表現を使ってあるあたり、著者が確かな文献にあたった上での掲載でないことがうかがわれる。推測だけれども、著者が何らかの漢字一覧表と突き合わせながら、それぞれの仮名と形が近いものをその「字源」と判断したのではなかろうか。なるほど、「ひ」と「廿」、「エ」と「工」、「オ」と「才」など、形がそっくりだと私たちも認めざるをえないものは多い。「ゆ」と「功」、「ネ」と「永」など、日本語話者には思いもよらないペアも、漢字を見慣れない人にとっては似ているように見えるのだろう。
平仮名と片仮名、合わせて96文字のひとつひとつに、似た形の漢字を探し出していったのだとしたら、それはとんでもない徒労だった。この本の原書(イタリア語)が出版された2007年には、Wikipediaだってもう存在していたのだから、なんなら一瞬で調べることだってできた(現時点の英語版、イタリア語版ウィキペディアでは、「Hiragana」と「Katakana」の字源は共に正しく示されている)。
もちろん、情報が間違っているかもしれないネットの情報を鵜呑みにするのは避けるとしても、然るべき文献にあたれば平仮名の字源を探すのは難しいことではないだろう。著者がすでに漢字一覧表を入手しているくらいだから、仮名の起源を調べるくらいたやすいと思うのだが・・・・・・。
* * * * *
というわけなのだが、この本のずさんさをただ批判するだけでは生産的ではない。私たちはこのことから何かを学び取れるだろうか。
目新しくもなんともないが、少なくとも二つあるだろう。一つは、情報を発信する者として。もう一つは、情報を受け取る者として。
まず、本であれブログであれ、はたまたスピーチであれ、大勢の人に何かの事実を伝えようとするとき、独りよがりになってはいけないということ。この「仮名の字源」の件で言えば、字源を著者自身が勝手に決めつけてしまったところに非がある。言い換えれば、主観によるバイアスをなるべくなくすということ。ある事実に関して、権威ある、それも複数の文献に当たることが大事である。
例えば、これが賛否両論あるようなデリケートな話題(極端な例だと、「福島の原発事故で病気が増えている?」とか)の場合には、相反する意見の両方を鑑みる必要がある。自分の主観だけで事を伝えようとすると、どうしても視野が狭くなってしまう。バイアスのかかった情報、ましてや嘘の情報を教えることは、伝えられる側にとって不公平だ。
もう一つ、情報を受け取る者は、その情報が確かな裏付けのあるものかどうかを、見極めること。上記の「仮名の字源」の件で言うと、読者に平仮名・片仮名の起源についてのちょっとした知識があれば、情報のデタラメさを一目で見破れるし、そうでなくとも、参考文献の有無や質でも判断できる。そもそも、外国人が日本の事を書いているという時点で、何らかのバイアスが掛かっていると思ったほうがいいかもしれない。(文献が手に入りにくい、日本語の歴史に詳しくない、という点など。)
参考文献というものは学術論文以外では付けないのが普通だが、一般的な本や新聞、ブログであれば本文中、スピーチであれば話の中に、情報の出どころが言及されているか否かで判断できる。
つまり、書き手や話し手が、一人よがりで情報を作り出していないかを判断することが大事だ。メディアは、往々にして、受け取る側にバイアスを掛けようとすることもある。それを見破らないと、偏った情報を植え付けられてしまうのだ。
陳腐なことだが、情報が氾濫する今日では大事なスキルだ。
参考
Mandel, G. 2008. Japanese Alphabet (Jay Hyams, Trans.). Abbeville Press.
その本は日本の文字、主に平仮名と片仮名の入門書で、1ページに1つの仮名が割り当てられていた。それぞれの仮名には、書き順などとともに、ページの下部に「その仮名の元となった漢字」も添えて載せられていた。しかし、びっくりしたことに、その漢字がどうしようもないほどに見当外れだったのだ。ギャグではない、大まじめに書かれた立派な作りの本なのにである。
なんと、「あ」の由来は「却」!? 「イ」の由来は「丁」!? いやいや、「あ」は草書の「安」、「イ」は「伊」のにんべんが由来ですから。
下に、その本に掲載された滅茶苦茶な「仮名の字源」を一覧にしたので、ご覧頂きたい。
平仮名
ん 人 | わ 朽 | ら 弓 | や 弔 | ま 去 | は 伎 | な 扱 | た 左 | さ 包 | か 加 | あ 却 |
ゐ 肋 | り 旧 | み 升 | ひ 廿 | に 仇 | ち 古 | し 匕 | き 吉 | い 心 | ||
る 召 | ゆ 功 | む 劫 | ふ 与 | ぬ 奴 | つ 刀 | す 可 | く 又 | う 占 | ||
ゑ 煮 | れ 孔 | め 女 | へ 入 | ね 切 | て 凡 | せ 世 | け 付 | え 之 | ||
を 右 | ろ 石 | よ 丈 | も 屯 | ほ 任 | の 内 | と 巴 | そ 乞 | こ 己 | お 拘 |
片仮名
ン 小 | ワ 匂 | ラ 万 | ヤ 千 | マ 々 | ハ 八 | ナ 寸 | タ 匁 | サ 丹 | カ 力 | ア 乃 |
ヰ 牛 | リ 刑 | ミ 杉 | ヒ 亡 | ニ 二 | チ 子 | シ 斗 | キ 中 | イ 丁 | ||
ル 丸 | ユ 互 | ム 公 | フ 了 | ヌ 叉 | ツ 少 | ス 久 | ク 刃 | ウ 向 | ||
ヱ 互 | レ 乙 | メ 〆 | ヘ 入 | ネ 永 | テ 云 | セ 也 | ケ 万 | エ 工 | ||
ヲ 弓 | ロ 口 | ヨ 当 | モ 毛 | ホ 木 | ノ メ | ト 上 | ソ 夕 | コ 四 | オ 才 |
本書に従うと、「ケ」と「ラ」は両方「万」から、平仮名の「へ」と片仮名の「ヘ」は両方「入」から、「ユ」と「ヱ」は両方「互」から、「ら」と「ヲ」は両方「弓」から派生したことになってしまう。「々(マ)」、「〆(メ)」に至っては、漢字ではない。さらに、「ノ」が、同じ片仮名の「メ」に由来すると主張するのもおかしい。「メ」が発生する前は「ノ」が無かったと言うのか?
「か」に対する「加」など、太字の漢字は、正しい字源を示しているものである。しかしその数はわずか6個。まぐれ当たりと言わざるをえないだろう。
漢字のチョイスが全くもってでたらめなので、ひょっとしたら、仮名の字源を示すという意識なんてなかったのかもしれないとさえ思ってしまう。つまり、各々の仮名に付された漢字は、「この仮名と形が似ていますね」という程度の意味しかないのではないか。しかしこの本の凡例を見てみると、その目算が違うことが分かる。下に引用するように、それぞれの漢字は、その仮名の由来となったと思われる漢字である、とはっきり書いてあるのである。
Kanji of derivation
For each kana, the Chinese ideogram (kanji) from which the character was probably derived is indicated.(47頁)
「probably(おそらく)」という表現を使ってあるあたり、著者が確かな文献にあたった上での掲載でないことがうかがわれる。推測だけれども、著者が何らかの漢字一覧表と突き合わせながら、それぞれの仮名と形が近いものをその「字源」と判断したのではなかろうか。なるほど、「ひ」と「廿」、「エ」と「工」、「オ」と「才」など、形がそっくりだと私たちも認めざるをえないものは多い。「ゆ」と「功」、「ネ」と「永」など、日本語話者には思いもよらないペアも、漢字を見慣れない人にとっては似ているように見えるのだろう。
平仮名と片仮名、合わせて96文字のひとつひとつに、似た形の漢字を探し出していったのだとしたら、それはとんでもない徒労だった。この本の原書(イタリア語)が出版された2007年には、Wikipediaだってもう存在していたのだから、なんなら一瞬で調べることだってできた(現時点の英語版、イタリア語版ウィキペディアでは、「Hiragana」と「Katakana」の字源は共に正しく示されている)。
もちろん、情報が間違っているかもしれないネットの情報を鵜呑みにするのは避けるとしても、然るべき文献にあたれば平仮名の字源を探すのは難しいことではないだろう。著者がすでに漢字一覧表を入手しているくらいだから、仮名の起源を調べるくらいたやすいと思うのだが・・・・・・。
* * * * *
というわけなのだが、この本のずさんさをただ批判するだけでは生産的ではない。私たちはこのことから何かを学び取れるだろうか。
目新しくもなんともないが、少なくとも二つあるだろう。一つは、情報を発信する者として。もう一つは、情報を受け取る者として。
まず、本であれブログであれ、はたまたスピーチであれ、大勢の人に何かの事実を伝えようとするとき、独りよがりになってはいけないということ。この「仮名の字源」の件で言えば、字源を著者自身が勝手に決めつけてしまったところに非がある。言い換えれば、主観によるバイアスをなるべくなくすということ。ある事実に関して、権威ある、それも複数の文献に当たることが大事である。
例えば、これが賛否両論あるようなデリケートな話題(極端な例だと、「福島の原発事故で病気が増えている?」とか)の場合には、相反する意見の両方を鑑みる必要がある。自分の主観だけで事を伝えようとすると、どうしても視野が狭くなってしまう。バイアスのかかった情報、ましてや嘘の情報を教えることは、伝えられる側にとって不公平だ。
マナー講座の先生「『はい』という返事は漢字で『拝』と書きます。相手の呼びかけに対して敬意を表す丁寧な返事です。皆様、しっかりと気持ちを込めて『はい』と言いましょう」 私「要出典」
— 風霊守 (@fffw2) April 7, 2014
もう一つ、情報を受け取る者は、その情報が確かな裏付けのあるものかどうかを、見極めること。上記の「仮名の字源」の件で言うと、読者に平仮名・片仮名の起源についてのちょっとした知識があれば、情報のデタラメさを一目で見破れるし、そうでなくとも、参考文献の有無や質でも判断できる。そもそも、外国人が日本の事を書いているという時点で、何らかのバイアスが掛かっていると思ったほうがいいかもしれない。(文献が手に入りにくい、日本語の歴史に詳しくない、という点など。)
参考文献というものは学術論文以外では付けないのが普通だが、一般的な本や新聞、ブログであれば本文中、スピーチであれば話の中に、情報の出どころが言及されているか否かで判断できる。
つまり、書き手や話し手が、一人よがりで情報を作り出していないかを判断することが大事だ。メディアは、往々にして、受け取る側にバイアスを掛けようとすることもある。それを見破らないと、偏った情報を植え付けられてしまうのだ。
陳腐なことだが、情報が氾濫する今日では大事なスキルだ。
参考
Mandel, G. 2008. Japanese Alphabet (Jay Hyams, Trans.). Abbeville Press.
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