内容じゃなく文体にも気を払ってみてね
私は書評などで見つけた読んでみたい本をリストしているのですが、小説はほとんど無くて、大半が自然科学分野の書物です。なので、あまりポピュラーになりにくいなどの理由から、手に入れにくいものもやはりあります。つまり、絶版になっている、値段が高い、書店を探してもどこにあるのかいまいち分からない(店員さんに聞けばいいのだが)、大きな図書館にも無い、などです。
もちろんAmazon.co.jpなど通信販売で買えるものは多いのですが、手に取って読んでもいないものを買いたくありません。私は本は図書館で借りるので十分だと思っていて、買うのは、それがよっぽど面白かったときだけという方針です。
さて、地元の書店や図書館で見つからなかった本を、ここ東京でどう探すか。
私は最寄りで最大の書店、紀伊国屋書店の吉祥寺東急店で探すつもりでした。別に全部読まなくても、パラパラ眺めてみれば買うべきか買わざるべきかは分かるので。しかし、紀伊国屋書店もやはりすべてを満足させるわけではありません。在庫切れの本がやはりありますし、そもそも電車に乗らなければならなかったり、もしくは自転車を何十分もこがなければならないのは面倒です。
そんなことを考えていた4月末、近所に素晴らしい図書館があることに気づきました。
ICUの図書館があるじゃないか。
ICU図書館の蔵書は学術書が中心なので、灯台下暗しだなあと思いつつ検索してみると、出るわ出るわ、今まで全く見つからなかったあれもこれも。これでようやく何十か月、何年とお目にかからなかった本にご対面できるというわけです。さすが大学図書館、これだけいい環境にいれば、読書も進むってもんです。
前置きが長くなり過ぎました。
5月初め、その私のリストの中からまず借りてきたのは、手軽に読めそうだったこれ、文体練習 [単行本] / レーモン クノー (著); Raymond Queneau (原著); 朝比奈 弘治 (翻訳); 朝日出版社 (刊)。原文はフランス語で、原題は"exercices de style"。

ここ1、2年の書評で見つけたから新しい本だと思っていたので、本が意外に汚れていて一瞬それが本書なのか分かりませんでした。本書の出版は1996年でした。フランス語の初版は1947年と、実はめちゃめちゃ古い本でした。
本書は奇書だと思います。ある他愛のない短い物語が、99もの異なる文体で語られるのです。
一番最初はメモ調で中性的な文体に始まり、語尾を揃えてみたり消してみたり、視点が第三者になったり当事者になったり、関西弁になったり漢文になったり。考えうる限りの多様な文体で同じことを繰り返し記述します。一番記憶に残っているのは隠喩を使った章です。これが一番笑えたので。
本書を読んで知りましたが、本書はフランス国内やフランス語学習者の間でかなり有名なようです。フランス語の様々な文体を知ることができるからです。だからICUのも汚れていたのですね。
書評もネット上でたくさん見つけることができます。その書評のほとんどは、訳出不可能な章も多い中、それを見事に日本語に置き換えた訳者を称えるものです。フランス語にしかできない操作があるわけですが、それをしかるべく日本語の場合に当てはめた訳者の力量と知識量には感嘆するばかりです。
簡単な例を挙げると、原典ではイタリア語もどきだったりラテン語もどきだったりギリシャ語もどきだったりするものを、そのまま訳すことは不可能なので、関西弁にしたり漢文にしたりしています。
ですがそれと同時に、私は作者のレーモン・クノー自身にも少し興味を持ちました。
クノーはこうした言葉遊びにかなり熱心に取り組んでいるようで、ほかの作品でも実践しているそうです。
彼の目的が、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の空虚さを露呈することなのか、逆に、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の多様性を賛美することなのか、はたまた単に好奇心と子供心からなのか、それはわかりませんが、クノーのこの試みに興味があります。その興味の出所はおそらく、多少の言語学的な興味と、少々の数学的な興味と、文章も句読法も規範にのっとって書かれるというあまりに当然の前提の上に立つ文学界に、本書が新風を巻き起こすであろうという期待だと思います。本書のいくつかの章は、数学的規則で文章が操作されています。
それに、彼も関わったという文学グループ「ポテンシャル文学工房(Ouvroir de littérature potentielle)」、略して「ウリポ(Oulipo)」のことももっと調べられたらと思います。ウリポの目的もやはり、文章を機械的、数学的に改変する言葉遊びを通じ文学の新しい可能性を探究することです。
奇妙な本から意外なものを掘り出して、本を読むことの醍醐味を味わうことができました。この本に出会えたことが幸運だったと思います。
もちろんAmazon.co.jpなど通信販売で買えるものは多いのですが、手に取って読んでもいないものを買いたくありません。私は本は図書館で借りるので十分だと思っていて、買うのは、それがよっぽど面白かったときだけという方針です。
さて、地元の書店や図書館で見つからなかった本を、ここ東京でどう探すか。
私は最寄りで最大の書店、紀伊国屋書店の吉祥寺東急店で探すつもりでした。別に全部読まなくても、パラパラ眺めてみれば買うべきか買わざるべきかは分かるので。しかし、紀伊国屋書店もやはりすべてを満足させるわけではありません。在庫切れの本がやはりありますし、そもそも電車に乗らなければならなかったり、もしくは自転車を何十分もこがなければならないのは面倒です。
そんなことを考えていた4月末、近所に素晴らしい図書館があることに気づきました。
ICUの図書館があるじゃないか。
ICU図書館の蔵書は学術書が中心なので、灯台下暗しだなあと思いつつ検索してみると、出るわ出るわ、今まで全く見つからなかったあれもこれも。これでようやく何十か月、何年とお目にかからなかった本にご対面できるというわけです。さすが大学図書館、これだけいい環境にいれば、読書も進むってもんです。
前置きが長くなり過ぎました。
5月初め、その私のリストの中からまず借りてきたのは、手軽に読めそうだったこれ、文体練習 [単行本] / レーモン クノー (著); Raymond Queneau (原著); 朝比奈 弘治 (翻訳); 朝日出版社 (刊)。原文はフランス語で、原題は"exercices de style"。
ここ1、2年の書評で見つけたから新しい本だと思っていたので、本が意外に汚れていて一瞬それが本書なのか分かりませんでした。本書の出版は1996年でした。フランス語の初版は1947年と、実はめちゃめちゃ古い本でした。
本書は奇書だと思います。ある他愛のない短い物語が、99もの異なる文体で語られるのです。
一番最初はメモ調で中性的な文体に始まり、語尾を揃えてみたり消してみたり、視点が第三者になったり当事者になったり、関西弁になったり漢文になったり。考えうる限りの多様な文体で同じことを繰り返し記述します。一番記憶に残っているのは隠喩を使った章です。これが一番笑えたので。
本書を読んで知りましたが、本書はフランス国内やフランス語学習者の間でかなり有名なようです。フランス語の様々な文体を知ることができるからです。だからICUのも汚れていたのですね。
書評もネット上でたくさん見つけることができます。その書評のほとんどは、訳出不可能な章も多い中、それを見事に日本語に置き換えた訳者を称えるものです。フランス語にしかできない操作があるわけですが、それをしかるべく日本語の場合に当てはめた訳者の力量と知識量には感嘆するばかりです。
簡単な例を挙げると、原典ではイタリア語もどきだったりラテン語もどきだったりギリシャ語もどきだったりするものを、そのまま訳すことは不可能なので、関西弁にしたり漢文にしたりしています。
ですがそれと同時に、私は作者のレーモン・クノー自身にも少し興味を持ちました。
クノーはこうした言葉遊びにかなり熱心に取り組んでいるようで、ほかの作品でも実践しているそうです。
彼の目的が、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の空虚さを露呈することなのか、逆に、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の多様性を賛美することなのか、はたまた単に好奇心と子供心からなのか、それはわかりませんが、クノーのこの試みに興味があります。その興味の出所はおそらく、多少の言語学的な興味と、少々の数学的な興味と、文章も句読法も規範にのっとって書かれるというあまりに当然の前提の上に立つ文学界に、本書が新風を巻き起こすであろうという期待だと思います。本書のいくつかの章は、数学的規則で文章が操作されています。
それに、彼も関わったという文学グループ「ポテンシャル文学工房(Ouvroir de littérature potentielle)」、略して「ウリポ(Oulipo)」のことももっと調べられたらと思います。ウリポの目的もやはり、文章を機械的、数学的に改変する言葉遊びを通じ文学の新しい可能性を探究することです。
奇妙な本から意外なものを掘り出して、本を読むことの醍醐味を味わうことができました。この本に出会えたことが幸運だったと思います。
面白いですね~
返信削除俺も読んでみようかな
大学の図書館とか一行ったことない
返信削除今度行ってみようかな