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場末、釣果

漢字は得意な方だ。 書き、読み、書き順はもちろん異体字、旧字、篆隷皆行草、諸々の雑学に人よりは通じているつもりだ。 しかしながら、場末と釣果を読めていなかった。 頻繁には見ない言葉だから声にこそ出さないものの、バマツ、ツリカ、かなと頭の中でぼんやり思っていた。 熟語のほぼ全ては訓訓、音音の組み合わせである。訓音、音訓という組み合わせの熟語は極めて少ない。特殊なので名前がついている。前者を湯桶読み、後者を重箱読みという。訓訓、音音の原則を知っていれば、知らない熟語に出会っても読みを特定できることが多い。もちろん各漢字の音読みと訓読みを把握しているのが前提ではあるが。 大学を卒業して22、3歳のとき、心根という言葉をシンコンと読み誤ったことがある。もちろんココロネが正しいのであるが、訓訓、音音の原則を知っていなかったらシンネとかココロコンとかいうもっと恥ずかしい読み違いをしかねなかった。 人名や人名に由来する固有名詞には、湯桶読みや重箱読みがたまに見られる。滝清(タキセイ)、西源(ニシゲン)は実在する会社であり、ともに創業者の名前に由来する。(沢村)一樹(イッキ)は重箱読み。 仮に「一葉」という字面(ジヅラ、そうこれも重箱読み!)の名前があったら、イチヨウとカズハは自然な読みだろうけど、カズヨと読ませたら個人的にもやもやした気分になる。DQNネームには音訓ごちゃ混ぜが多く、目にする度もやもやする。 バマツ、ツリカ…、なんとなく気持ち悪い読み方だと思っていたら、案の定どっちも湯桶読みなのであった。

マインスイーパ記念日

昨日いつものようにネットを渉猟していて、ふとマインスイーパのルールを知りたくなった。 昔のウィンドウズにはマインスイーパが標準でついていて、小学生のときからその存在は知っていた。が、全くルールは知らずにいた。 そう思ってウィキペディアを読んだところ、ルールが極めて単純な論理パズルだとわかった。 1月26日はマインスイーパを覚えたマインスイーパ記念日である。 発見をお伝えする。グーグルでマインスイーパ、と検索すると、ブラウザ上でマインスイーパがプレイできるのである! 8×10マスの低難度を10回ほどしてみたが、運が良ければ1分未満で解けるくらいには理解できた。14×18マスの中難度も、10分くらいかければ解けるようになった。いい頭の体操になる。 妻は毎日のルーチンにしている白川静の『字統』を学習しながら、HTML5でマインスイーパが書けるのかと感慨深そうにしていた。

子供の言い間違いに気付かされる言語のしくみ

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もし私が子供を持ったら、その子の言葉の習得過程を、つぶさに観察しようと決めている。理由は2つあって、大学時代、教科書で学んだ子供の言語獲得の諸過程がきちんと踏まれていくのか、自分の子を無邪気な被験者として確認できるというのがひとつ。子供のほほえましい言い間違いから、彼(彼女)の脳の中で何が起こっているのか、言語学的に分析しながら楽しみたい、というのがひとつだ。 子供の言い間違い観察は、言語学を修めた者にとっての、子育ての楽しみのひとつだろうと思う。言語獲得(Language Acquisition)というのは言語学のれっきとした一分野だが、たとえそれを専門にしていなくても、言語学をやった人は、自分の子供がことばを会得しようと試行錯誤するのを、だまって見てはいられないと思う。そのくらいに興味深いのだ。 今日読んだこの本の著者は、自分の息子さんの言い間違いをただ楽しむだけでなく、一冊の本にまとめあげた。 言い間違い一般に着目にした言語学の入門書は少なくないと感じるが、子供の言い間違いにフォーカスし、しかも平易に書かれた本は、あまり無いと思う。母親目線で書かれている上(たまに息子さんに対する悪態もつく)、専門用語をほとんど使っていないから、子育て中の親御さんにいいと思う。 この本の魅力は日本史学者・ 清水克行氏 が十二分に語っていらっしゃるので、そちらを御覧いただきたい。 さて、言い間違いと大人は言うけれども、子供のなかではいたって筋の通ったアウトプットであることが多い。英語圏での話だが、playの過去形がplayedなら、goの過去形はgoed、holdの過去形はholdedだと思うのはしごく真っ当な結論である。 著者の息子さんが実際に言った「これ食べたら死む?」という可笑しな活用も、「読む」「飲む」などのマ行五段活用から類推した結果だろうという。じつは現代標準語には、ナ行五段活用動詞は「死ぬ」1つしかないのだ。国語の時間で活用の種類を習っていない5歳の子でも、ここまで理解しているのである。 ことばを獲得しようと、ことばの海の上を「冒険」している子供は、大人が意識していないことばの不思議へといざなってくれる。ただし、その冒険はことばが完成すると終了し、忘れ去られてしまう。親がその冒険に立ち会っているときは、子供の脳の中を垣間見れる貴重な...

篠竹の軍手収納かご

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農作業をするので実家に軍手がたくさんあります。段ボールに入れていましたがだいぶぐちゃぐちゃになっていました。 篠竹を十数本とってきて・・・、 かごを作りました。7月半ばのことです。 底は長方、口は楕円です。工作的には極めて単純。縁には根曲竹を使っています。用途が用途なので竹は厚めに取っています。薄く取るのはしんどいです。 ビフォー アフター 中身が透けて見えるのは好都合です。 そもそも、軍手が人数分を遥かに上回る数あるのが問題ですね。

脱「筆文字ロゴ」論

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久しぶりに行った(古書店でない)普通の書店で大発見をした。 手にとってまず適当に開けたページが芹沢銈介の作品群! これはもしや、と思ったら案の定、つい先月感動とともに紹介した綿貫宏介も載ってる。ハイ、このふたりが同一の本に載ってる時点で第一級資料決定。 さらに私の好きな書家のひとり、中村不折も載ってるし。そればかりかこの本、沢木耕太郎の『深夜特急』の表紙とか、小布施町の桜井甘精堂とか私もちょう知ってるロゴを手掛けた方々も出てくる。 しかし私が感激したのは掲載の面々だけではない。 この本の紹介するあまたの「描き文字」は、毛筆の書でも、規格化されたタイポグラフィでもない。書道の本も、タイポグラフィの本もゴマンとあれど、こういう「人の手によるアナログなロゴデザイン」をまとめた本というのは丸ッきしないのだ。少なくとも私は見たことがなかった。だから、こんな素晴らしい、写真豊富、装丁瀟洒な、ニッチな本を出してくれた著者と監修者に感謝感激なのである。こういう本を求めていたぞ。 さらに、もうひとつは、手書きによるロゴデザインは「描き文字」と言うのか!というちょっとした知的感動である。この「描き文字」に相当すると思われるものに、欧米に「(hand) lettering」というものがあって、私は日本でもそれがもっと普及してほしいと常日ごろ願っているのだが、その訳語に考えあぐねていた。それまではそのままカタカナの「レタリング」とか「ハンド・レタリング」くらいしか思い浮かばず、しかも「レタリング」だと、日本語では単に「文字の装飾」という意味に捉えられがちなのだ。そこへ来て「描き文字」なる言葉がきた。 ただ、「描き文字」はマンガの効果音の文字を指すのにも使われるようだし、「(hand) lettering」とまったく同じものだと言うこともできないだろう。それぞれの使われる範疇は、少し違っていそうである。それに、はたして「描き文字」なる言葉がこの本でのみ使われているだけなのか、あるいは業界で一般に使われる用語なのかは、よく調べていないのではっきりしない。(後者に思えるけども。) 個人的には、一般名詞として「描き文字」というやや安直な言葉を使うのは、あまり好きになれないので、さしあたって、「(hand) lettering」は「レタリング」と訳すことにしておく。 ...

西洋人のヒッチハイカーふたりを拾って

つい昨日のこと。午前10時半位だったろうか、山ノ内町の小さな交差点で、長身の西洋人の青年2人がヒッチハイクをしているのを見つけた。その交差点は、外国人どころか歩行者も多くない農道で、そのせいで2人の青年はたいへん目立った。田舎特有の、広大な駐車場のあるあのセブンイレブンのある交差点と言えば、地元の人はもう特定できるかもしれない。 とっさのことだったので迷いもあり、私は一度通り過ぎたが、すぐさま引き返して道路脇に車を止めた。あまり危なそうな青年たちには見えなかったのももちろんあるが、ヒッチハイカーを拾ってみたいという好奇心の方が大きかった。それに、英語を話すのは満更でもない。 私は彼らを車の中に案内しながら、ぶっ飛んだおかんが世界一周中のドイツ人を連れてきて昼めしをもてなしたという、むかし読んだ ブログ記事 を思い出していた。その話ほどには、この話は内容はないのだが。 車に乗った青年たちに、そもそもどうやってここまでたどり着いたのか、と聞いたら、湯田中から歩いてきた、と言う。彼らを拾った場所から2キロほど離れたところには湯田中駅がある。湯田中は地獄谷のおサルの温泉が有名な一大観光地なので、外国人で賑わうのだ。徒歩以外の交通手段はまず考えられなかったので、どうせそうなのだろうとは思っていたが、全国的に猛暑となった昨日21日である。彼らの勇敢さには恐れ入った。 行き先は、竜王スキーパークだという。私の向かおうとしていたところと同方向であった。竜王といえば、私はスキーシーズンの始まる前の秋に、そこのロープウェイに乗ったことがある。標高1770メートルの展望台からの雲海は、圧倒される美しさであった。もちろんロープウェイまで、全行程を歩いて行くにはあまりにも遠い。問題は、折悪しくこの時期、竜王はスキーシーズンも終了し、グリーンシーズンも6月まで始まらないのを私は知っていたので、行っても何もすることがないよと私は正直に伝えた。しかし青年らは「乗りかかった船」と悟っているのか、気後れするでもなく、トレッキングに行くからいいんだ、と言う。トレッキングするようなところでもないのだが。 それに、田舎の、営業休止中のスキー場である。帰りの足がないのだ。どうやって帰るのだ、とこれまた老婆心から聞いたら、人里まで歩いてまたヒッチハイクするから、と不安がる様子もない。彼らのタフさを見習いたい。無...

工藤員功・稲垣尚友 『手仕事を追う―竹』 あるくみるきく選書2

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ISBNの無い古本、非売品、稀覯本がたくさん売りに出されるヤフオクでは、しばしば思いもよらない本に出会うことがある。 工藤員功・稲垣尚友(1980)『手仕事を追う―竹』株式会社アスク もそうだ。宮本常一編「あるくみるきく選書」3巻の内、2巻目だ。小さい本である。 ただし、ヤフオクに出ていたのはこれを含むシリーズ全3冊セットで、しかも不相応に高かったので、結局ヤフオクではなく、他のサイトで1冊のみ、割安に買ったのだが。 本の表紙や奥付には「近畿日本ツーリスト株式会社・近畿日本ツーリスト協定旅館連盟 二十五周年記念出版」とあり、ISBNは無いため、アマゾンなどでは手に入れることができない。どういう形かは分からないが、無料で頒布されたのだろう、価格も書かれていない。入手は困難だが、然るべきサイトに行けば現時点ではネットでも入手可能だ。 工藤員功氏による、「竹細工の産地を訪ねる」と称する全国の竹細工産地の紹介が本文の3分の2くらい。稲垣尚友氏による、「カゴ屋職人修行日記」が残りの3分の1くらいだ。新書サイズで写真は多く、すぐに読み切れてしまう。竹細工の産地に関しては、竹細工が盛んなはずの長野県や山梨県の記述が無いなど、偏りを感じないではない。 後半の稲垣氏による修行日記は面白かった。著作が多いので、この方の名前は私は何度も目にしていたから、竹細工の世界では有名な方なのだろう。ネット上では氏の最近の動向や、制作についてほとんど分からないが、最近は自前のキャンピングカーで 全国を飛び回っている ようだ。70歳を過ぎているのに、本当にお若くて、笑顔は少年のようだ。(ちなみにリンク先の「松本みすず細工の会」の方とは昨年知り合いになったので、稲垣さんは私の友達の友達ということになる!) 本書には、35歳の稲垣氏が、1977年4月26日から3ヶ月という期限付きで、熊本県の竹細工職人のもとで修行する様子が、日記形式で綴られている。文章からまんべんなくにじみ出る、稲垣氏の「若さ」が特にいい。何が「いい」のか、よく言葉にできない。ただの「古き良き時代」に対する羨望も混じっているのかもしれないが、少なくとも同じ竹細工を学ぶ私に、響くのだ。 たった3か月という期間で、習得できるものは限られている。それでも竹細工で生計を立てる覚悟でやって来たのだ。妻子もいる手...