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追悼:西田龍雄『西夏文字 解読のプロセス』

西田龍雄 氏は、言語学者であり、 西夏文字 研究の泰斗である。去る9月26日、西田氏が83歳で亡くなった( YOMIURI ONLINEニュース )と知ったのは10月半ば。追悼として、没後1か月までに彼の著作を読もうとたくらんだが、本を机に置いたまま延び延びにしてしまい、やっと、おとといと昨日でできた時間を使って、なんとか没後2か月には間に合わせた。『西夏文字 解読のプロセス』。 西田龍雄(1980)『 西夏文字 解読のプロセス 』玉川大学出版部 西夏文字は、高校の世界史の資料集で一目見て好きになった。複雑な字形が格好よかったのである。文字の一覧と意味、読み方が知りたくて、字典のようなものはないかちょっと探してみたこともあるが、当時の私には全く見つけられなかった。だが大学に入って、西田氏が日本では有名な研究者だと知った。ICU図書館にも彼の著作はいくつかあって、本書は、もともと1967年に刊行されたものの再版だ。 追悼などと格好をつけたが、西田氏の本を読むはこれが初めてである。ただ私の好きな西夏文字の、日本はおろか世界的に有名な研究者とあって、敬意の念を込めたのである。本書の内容は、タイトル通り主に文字の解読のプロセスである。西田氏は西夏文字の音、意味、構造すべての解明において、非常に大きい貢献をしているのだが、その大まかな手順を一般にも分かるように解説している。 本書を読み解きながら、西田氏の本当に綿密で膨大で根気のいる作業には、畏敬の念を抱かずにはいられない。西夏文字の資料は、決して十分ではない。あの見た目難解な数千の未解読文字を、手に入る限りの資料を使って、謎解きのように発音を同定し、意味を特定し、構造を推定する。地道に地道に、大量のノートを取りながら解読を進めたのだろうと想像すると、本書に結晶した汗と労力が、ひしひしと伝わってくる。 西夏研究の金字塔である。

ジョン・マーハ『チョムスキー入門』

自主的に選んで読破した最初の英語の本? ともあれ、時間ができたので久しぶりに本を読み終えた。 John Maher and Judy Groves. (1997). Introducing Chomsky . Totem Books. ジョン・マーハ、ジュディ・グローヴス(芹沢京訳)(2004)『 チョムスキー入門 』明石出版 チョムスキー はいつか読もうと思っていた。言語学をいくらか知っているなら、ノーム・チョムスキーを知らない者はいない。書道における王羲之と言ったところか。彼は生成文法や普遍文法などを提唱し、人間は生来言語の能力を持っていると唱えた。チョムスキーの理論は現代の言語学の根幹をなしていると言ってよい。MITの名誉教授で、もう少しで84歳の誕生日を迎える。 さて初のチョムスキーとして、彼自身の手によらない著作から入るのはいささか邪道である。しかしICUの売店でこの本をめくっていたとき、チョムスキーとジョン・マーハのツーショットを見たときは、目を疑った。それは仰天した。合成かと思った。 ジョン・マーハ はICUの教授で、まだ授業は受けたことはないが、2度講義を受けたことがある。たったそれだけだが、彼の深遠な学識と優しい笑顔に、学問をする者の本質を見た気がした。彼とチョムスキーのツーショットにあまりにびっくりして著者を見ると、本書は彼が書いたものらしい。それにしても、ジョン・マーハがチョムスキーと会ったことがあるだって!? 1日25ページ読めば7日で終わると思っていたが、絵が多く、私でも4日で読んだ。

五島美術館で仮名を鑑賞

先週の日曜日の4日に、 ICU祭 のまっただ中、世田谷の 五島美術館 に行ってきた。先月にほぼ2年間の改修を終えてリニューアルオープンしたばかりのこの美術館は、書道では特に仮名の 古筆 を多く所蔵している。今回の展覧会には、「新装開館記念名品展 時代の美」と題して名品が一挙に公開されていた。これは行くしかないと思ったわけだ。 まだ仮名は1年しか勉強しておらず、展示品の中でも「高野切第一種・第二種」、「升色紙」、「関戸本古今集」、「寸松庵色紙」、「本阿弥切」くらいしか知らなかったが、いつも本で見ているものを生で見られるのだ。予想に反して全く混んでいなかったので、まじまじと見つめていた。 本で市販されているものは一般に作品本体のところしか載っていないが、本物は美しく軸装されている。知らなかった。風格が段違いであった。 ミュージアムショップで、仮名古筆の絵葉書も5枚も買った。 目に焼き付けてきた。千年前に、誰かが書いたのだ。

ICU祭―第2回書道部作品展が終わりました

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先週11月3、4日の土日のICU祭で、書道部の第2回作品展が無事終了した。準備から当日までの模様を、個人的な体験を軸に書こうと思う。 まず特筆しておくべきは、セクション(英語プログラムのクラス)の企画が無かったため、今年は書道一本で、前日と当日の忙しさが大分減った点だ。確かに今年もかなり動いたが、去年の上を下への大騒ぎと比べれば、随分楽だった。 私は今年は結構な数の作品を出したが、早いものは5月、あるいは9月頭の合宿で完成していたものが多く、そうでない作品も、2点はそれでも1週間前には書き終わり、本当に直前まで終わっていなかったのは刻字1点だけだった(この作品についてはまた後日)。つまり数の割には、制作には追われなかった。 問題はどちらかと言うと表装の方だろう。私の作品もそうだが、他のメンバーの作品が多かったり、時間の余裕が無かったりして、直前1週間はぶっ通し表装ウィークだった。毎日練習場所に行った。ただ私に関しては、凝った表装は諦めて思い切って簡素にしてしまったので、去年のように当日早朝から大学で作業ということはなかった。 さて、2日(金)午後の前日準備である。会場が3階か1階かでこうも違うのかと思い知った。去年は3階が会場で、重いパネルを運ぶだけで体力を消耗しきったのだが、今年は1階で、しかも備品の部屋に近かったので、とんでもなく楽だった。私は途中買い物に行ったりと、休む暇もなかったが、とりあえず順調に事は進み、夜8時には準備は大体になり、会場を後にした。メンバーの差し入れてくれた牛丼がうまかった。 帰宅すると、その最後まで残っていた刻字の色塗りを終わらせようと焦っていた。面相筆を使ってちまちまちまちま、延々と何時間も黒を塗る作業は、いつ気が狂ってもおかしくなかった。思ったより時間がかかり、明朝4時前まで粘った。 3時間後、起床。当日である。色塗りを鑑賞に耐えうる程度には仕上げ、ICUに行って足早に諸用を足し、また部屋に戻ってきてあたふたと準備をしていたら、両親が来た。早い…。まだ準備中だからそこで相手はしていられなかった。その後、結局いくつか中途半端なまま再び大学に。もう10時半だった。あとは会場で事務的作業をし、やっと解放されたと感じられたのは昼頃だった。シャワーを浴びる時間も無かった。 昼は、両親と中華料理を食べた。 2日目...

ICU祭ウェブサイトの運営とデザイン

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久しぶりに風邪を引いた。ここ数日鼻水が出て、今日体がだるいことに気付いたので、風邪だと悟った。秋も盛りのこの季節にほぼ毛布1枚で寝ていたせいだろう。風邪で沸いた頭でこれを書いているので、文字通りうわ言である。 ICU祭(ICUの学園祭)のウェブサイトの運営とデザインがひどい。 とは去年から思っていたが、今年もほとんど改善が見られないことが寒心にたえず、熱に浮かされた勢いでここに物申してみる。 2011年公式サイト 2012年公式サイト まあ、この際デザインには目をつぶろう。私はウェブデザイナーではないし、大学生にあまりウェブデザインやウェブユーザビリティを要求するのも変な話だ。 ここでは内容のことにだけ触れる。まずとにかく、 2011年 、 2012年 ともに一番の問題として、更新頻度の低さ、内容の薄さは致命的だ。全くお話にならない。2011年の方では、「ICU祭とは?」という超重要リンクは1年経ってもComing Soonだし、外部の方々にとって最重要であるはずの企画の情報も、ステージ発表以外、文字通りゼロだ。他にも、実にいろいろなところが工事中(コンテンツができていない)だ。2012年も、開祭まであと1週間だというのに、例えば「本部企画」は、いまだ見事に見出しだけを載せている状態だ。なるほど、これらのサイトは、見出しだけ見て内容が分かってしまうような千里眼を持った、天分豊かな者にのみICU祭に来る資格が与えられる、知的スリリングに満ちた空間である。 コンテンツのないページに行って、「戻る」ボタンを押すまでの3秒間を返して欲しい。ニールセンが『 ウェブ・ユーザビリティ 』で書いているように、工事中のページははっきり言って無駄である。ユーザーの時間の無駄にするだけだからだ。いやそれ以前に、ICU祭を楽しみにしてサイトを訪れた高校生、地域の人、卒業生、在学生、その他様々な方々が、情報が全く得られなくて抱いたであろう全がっかりを、どう受け止めるのだろうか。 もうひとつ大きな問題は、サイトの端々に独りよがりが出ている点だ。公の場であるはずのサイトで、「こみってぃ」(2011年トップページ)という、ICU内だけでしか通じない言葉を使うべきではない(コミッティとはICU祭実行委員会のこと)。ここはFacebookのグループではないの...

語学好きと言語学者の卵へ:AERA MOOK『外国語学がわかる。』

大学でタイ語講習会が開かれると知るや、実用性などというものに考えも及ばずに 参加してしまったり 、なんとなく教養が深まるかなと、詩にも聖書学にも興味もないのにラテン語を数日かじり、授業もとろうとまでした(が難しくて諦めた)私のような、物好きや、もしくは言語学を学ぼうとしている人にはぜひおすすめな、『外国語学がわかる。』。この本、めっちゃ面白い! 朝日新聞社アエラ編集部(1996)『外国語学がわかる。 (アエラムック―やわらかアカデミズム「学問がわかる。」シリーズ (14))』朝日新聞社 巻頭言は故千野栄一氏と、いきなりビッグ登場できっぷがよい。ムックのくせに、これだけで気合の入り具合が感じられる。 「25言語の25人」という特集では、(編集者が恣意的に選んだ)有名どころの言語25が、各言語の第一線の研究者によって、見開き2ページで解説されている。他にも「少数言語の世界へ」と題して、もう十数言語ある。数十の言語の専門家がここに一同に介しているなんて! こんな本、さがしてもなかなか無いと思う。これはムック(Magazine+bOOK)だから、とにかくスイスイ読めるし情報量も多くて楽しい。ちなみに「大学外国語教育のゆくえ」という特集では、英語教育の特色のある大学の一つとして、ICUも紹介されていた。発行が1996年と古いので、今と全く違うし、ほとんど参考にはならないけれど。 本書は専門的なことは扱わない。言語学の入門書はごまんとあるから難しいことはそれに譲るとして、語学、少数言語の研究、外国語としての日本語などに興味があるけど、難しいことはわからない、となれば、このムックはすこぶる有益だ。 一応、アクティブ・リーディングとして、批判的な物言いをすると、「キーワード55」として挙げられているものが、言語学でも言語史とか言語哲学とか抽象論に寄っている印象を受けた。「エルゴンとエネルゲイア」? 「意味の三角形」? 何それ。選んだ言語学者は本書の対象を意識しているのだろうか。そんな言葉知らなくても、少なくとも私はピンピン言語学を勉強できているし、分からないからといって絶望する必要も全くない。一方、「普遍文法」や「パラメータ」が無いのは驚きだった。私だったら「手話」とか「外来語」とか「音節」とかも入れたい。 それに「ブックガイド50」のなかに『言語学大辞典』...

佐藤進一『花押を読む』

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佐藤進一(1988)『花押を読む』平凡社 「花押(かおう)は自署の代わりに用いられる記号もしくは符号であって、その起源は自署の草書体にある。草書体の自署を草名とよび、草名の筆順、形状がとうてい普通の文字とは見なしえない特殊性を帯びたものを花押という」(本書10ページ)。 漢字で書かれた古文書の中に紛れ込んだ、解読不能の奇妙な黒いぐるぐるした記号( 花押 (リンク先Wikipedia))をこれまで何度か見て、その浮いた存在に、毎度不思議な感覚を覚えていた。 興味があるほどではないが、花押はサインの一種であることくらいしか知らなかったので、本を読んでみることにした。花押のような分野にも、しっかり本はあった。 本書は、花押の大雑把な歴史もひもとくが、大部分は花押の列挙と解読である。花押はほぼすべて書いた本人の名前の一部らしいが、解読は専門家にも難しいようで、著者の説明は苦しい所も多い。なので私は眉に唾をつけて読むことにした。だから本書の解説は大して信じていないが、もちろん読む前よりは随分勉強になった。今後の研究の発展に期待したい……にしても、これ以上の伸びしろはあまり多くない分野か……?