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世の中悪いデザインだらけ:D・A・ノーマン「誰のためのデザイン?」

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暇なのでもう次の本を読んじゃった。 ここ数か月読みたいと思っていた本だ。 Donald A. Norman.   The Psychology of Everyday Things . 1988. (This book was republished with the title of  The Design of Everyday Things. ) ドナルド・A・ノーマン(野島久雄訳)(1990)『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』新曜社 蛇口であれ、電話機であれ、VHSであれ、コンピュータであれ、飛行機のコックピットであれ、使いこなせなかったり失敗したりすると、それは使っている本人が悪いのだと思いがちである。しかし、悪いのはユーザーではなく、ひとえにそれを作ったデザイナーなのだ、というのが本書の趣旨だ。 著者はデザイナーではなく認知科学者で、記憶や失敗などのメカニズムとともに使いやすいデザインのあるべき姿を説く。彼の主張は簡単で、数個の基本的な原則が、いいデザインのための条件であるということを言っているのであり、あとはそれを豊富な実例とともに(くどいくらいに)繰り返しているだけだ。だがとにかく本書は一読の価値がある。 身の回りの色々なもののデザインをさらに見てみようと思った次第だ。

もし俺がシューマッハの「スモール イズ ビューティフル」を読んだら

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読んだ。とりあえず読んだ! 今から約40年前、1973年にイギリスで出版され、ベストセラーになった評論集「スモール イズ ビューティフル」だ。 E. F. Schumacher.   Small is Beautiful . 1973. F・アーンスト・シューマッハ(小島慶三、酒井懋訳)(1986)『スモール イズ ビューティフル』講談社 文庫にして400ページ近い、経済学の本書など、普通だったら絶対に読まない。でも、 この前の前に読んだ 「第三の波」に「スモール イズ ビューティフル」が登場してきて、そのコンセプトに興味を持っていたのだが、そしたら今度は、 この前に読んだ 「世界を変えるデザイン」にも、その同じ本書が出てきたのだ! しかも「世界を変えるデザイン」に至っては、本書の考え方がそのベースになっていたくらいだ。先日読んだこの2冊は、全く関係のない興味から読んだのだし、出版年もほぼ30年違うので、かなりの偶然の一致である。私はこの偶然を、「本書を読め」というお告げに違いないと解釈した。 と、いささかセンセーショナルは書き方をしたが、読み終えた今、私と本書は最後までうまくやっていけなかった。最初の数十ページ(数ページ?)で、ついていけなくなってしまった。乏しい理解を承知で言うと、私にとって抽象的に過ぎた。加えて著書のシューマッハは宗教や哲学に明るいときたので、それらに暗い私には、彼の言っていることが基本的にさっぱりである。最初の数十ページで挫折を覚悟したが、運命的な本であるだけに三分の一くらいは読もうと思った。だが、1章が短いせいか、息継ぎしながら読めるため、気づくと半分読んでいた。そのころには、私もかろうじて理解できる内容もあったので、ここまで来たからには読み切ろうと思った。 私の貧相な解釈でいいのなら、シューマッハの意図は、現代経済(学)への挑戦だ。シューマッハは60年代初めから、大量生産、環境破壊、資源の枯渇、間違った開発などからの脱却または転換を説いている。オイルショックと時を同じくして出版されたこうした書物が、世間の注目を集めるのも頷ける。 多方面に影響を及ぼしたベストセラーに向かって失礼だが、本書はやはり分からなかった。ただ、開発に関する章は、先日読んだ「世界を変えるデザイン」の根幹となる理論を展開してお...

先進国ではなく、発展途上国の人へ:『世界を変えるデザイン』

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文字びっちりの600余ページの本の後なので、読むのは軽い軽い。 Cinthia Smith.   Design for the Other 90% . 2007. 世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある [単行本(ソフトカバー)] / シンシア スミス (著); 槌屋 詩野 (監修); 北村 陽子 (翻訳); 英治出版 (刊) 「世界を変えるデザイン」という邦題だが、原題の「Design for the Other 90%」の方が本書の内容を汲み取りやすい。私を含め先進国の裕福な人々が享受してきたデザインというものを、世界の全人口の90%を占める貧困層にも提供されるべきだというのが本書の趣旨だ。 もちろんこの2つのデザインの次元は全く違う。美しさを追求するいわゆるデザインに対して、人々を貧困から救うことを目的としたデザインは、きわめて安価で、丈夫で、収入に直結しなければならない。例えば、農業廃棄物から炭を作れば森林破壊を防げるし、その炭を売ることもできそうだ。水を「転がして」運べば、水汲みの負担を軽減できる。本書はこうした事例を数多く紹介している。 私は先進国のデザインの概念を以って本書を手にとったので、少々予想と内容は違ったが、極貧層への支援の厳しさと難しさを知った。ICUにも開発学の専攻があることだし、入門のコースでも取ってみるのもいいかもしれない。

アルビン・トフラーの大著『第三の波』をやっと読み終えた

I finished reading The Third Wave by Alvin Toffler (originally published in 1980). It’s so long that it took more than a month to read it. I learned a lot. 読み終わった。やっと読み終わった…。 アルビン・トフラー(1980年)『第三の波』日本放送出版協会 著名な未来学者 アルビン・トフラー による600ページ超の大作を読むのに、1か月以上もかかってしまった。 著者によれば、「第一の波」は、約1万年前の、人類が農業を開始し定住生活を始めた農業革命のことを指す。「第二の波」は300年前の産業革命のことを指す。そして、1960年代アメリカを発端として(おそらく2012年の今も)その勢力を伸ばしているというのが、本書のテーマ「第三の波」である。 産業中心主義の第二の波は終わりに近づいており、第三の波が押し寄せている。第三の波は、第二の波と正反対のベクトルを持っており、様々な軋轢を引き起こしている。逆に言えば、無関係に見える現代の諸問題は、第三の波という背景のもとで全て説明がつくのだ。本書は、これまでの第一、第二の波の文明を振り返るとともに、未来に来たるべき第三の波の、いささかポジティブな「総合的考察を試みた書物(9ページ)」である。 私はこういう社会学系はめったに読まない。本書を読んでいて、高1の夏休みに読まされた、見田宗介の『 現代社会の理論 』とかなり似ていると思ったが、現代社会系は本当にそれだけだ。ではなぜこんな分厚い本書を手に取り、読了するに至ったのか。私が本書を知ったのは、去年の11月に読んだ『情報デザイン入門』で、「生産=消費者(prosumer)」という言葉に出会ったときだ。(その時の記事は こちら 。)これはトフラーの造語で、第三の波の文明においては、その生産=消費者が出現するだろうと予測した彼の分析に心惹かれたのである。(この語の意味やそれが出てきた文脈は、話が長くなるので省略します。)それに、政治に恥ずかしいほど疎い身として、社会の過去、現在、未来の趨勢を少しでも知ったほうがいいという動機もはたらいたのだろう。 多くのことを学んだ。産業革命は技術体系、情報体系、政治体...

ICU Midnight Walk:ディズニーランドからICUまで徹夜で40kmを歩く

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おとといの晩から昨日まで、ICUのRunnersが主催する ミッドナイトウォーク に参加した。(去年参加したときの記事は こちら 。)今年はディズニーランドから三鷹市のICUまでの40kmを歩いた。 1日21時、千葉県舞浜駅に集合。(来る途中、東京駅の巨大さにたまげた。中央線ホームから京葉線ホームまで、6、700mも歩かされた。)受付を済ませ、9時40分ころ出発! 今年の参加者は4、50人。友達の参加も去年より少ない。 舞浜駅の隣のイクスピアリ 最初のうちはあまり都会ではない。巨大なコンクリートの高架をただひたすら横目に歩く。歩き始めてすぐの10時、東京都に入った。 中間地点の新宿駅まで、3回の休憩があった。11時ころの1回目のときはまだ全然余裕。日付が変わって1時前の2回目のときは疲れが見えてきて、芝生に横になる。2時過ぎの3回目は皇居のほとりで、かなり足が痛くなってきた。ベンチで数分間か寝たら、しばらく楽になった。 1:13、隅田川を渡る 疲れのためか、それ以降新宿駅までのことをあまり思い出せない。ただ歩いていただけだから何も思い出せないのかもしれない。人気のない深夜の高層ビル群が印象に残っている。今年は去年より景色を眺めていなかった気がする。ただ、今回は友達としゃべっていることが多かったので、新宿駅まで、去年ほど疲れを感じなかった。 4時を数分過ぎたころ、新宿駅南口に着いた! 昨日(1日)に受けた授業が2、3日前のことに思えた。足が痛い。 ここからは個人行動だ。ICUまで歩くか、体力に自身があれば走るか、もう無理ならば始発に乗って帰るかだ。私がここで困ったのは、親しい友達がみんな走っていってしまうことだった(Runnersのメンバーが2人いた)。1人で歩くのは危険だし、そもそも精神的にも歩き通せる自信が無い。早く何か手を打たないと、駅に置いてきぼりになる。迷った挙句、数回話して面識のある友達のグループと歩くことにした。 駅近くのコンビニで20分ほど休んだのち、4人で出発だ。 新宿駅からICUまで17km。甲州街道→吉祥寺通り→東八道路→天文台通りだ。去年と同じ道なので、よく覚えている。ここからがきつい。景色がつまらない上、17kmの道のりを数回しか曲がらない単調なコースだからだ。 新宿を出てすぐ、日の...

日本のろうの現状を知る:大学のテキスト"Deaf in Japan"読了

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I've just finished reading the textbook used in “The world of Sign Language” course at ICU. It describes the history and politics of deaf in Japan. It is a valued work among the few sources on deafness in Japan. Check out: Nakamura, Karen . 2006. Deaf in Japan . New York: Cornell University Press. 大学で「手話の世界」という授業をとっている(とこのブログに書くの は実は3回目だ)が、先ほどそのテキスト Deaf in Japan を読み終えた。恥ずかしながら、大学の教科書を全て読み通したのはこれが初めてだ。(偶然だが、私が今までに買った教科書は全て英語だった。本書はその中で一番小さい。)200余ページのペーパーバックのくせに、2610円も払ったのだ、読まなければ買い損だ(というのは建前だが、でもきっとみんなろくに読んでいない。確かめてはいないが、賭けてもいい)。 Deaf in Japan: Signing And the Politics of Identity [ペーパーバック] / Karen Nakamura (著); Cornell Univ Pr (刊) この授業の先生によると、日本のろうに関するよい著作が、本書以前は無かったそうだ(教科書にするには、という意味でだろう)。その点で本書は貴重だ。 本書は日本のろうに関する歴史と政治を扱う。もっとも 、戦後から現代が中心である。政治についてはあまり頭に入らなかったが、大事な点は押さえたつもりだ。私が特に強調したいのは、私をはじめ耳の聞こえる者は、ろうや手話についてほとんど分かっていないのが実際だということ。ろう者や手話に対する誤解は絶えない。ここでいろいろ書いてもいいのだが、書いたところで何人の人が興味を持ってくれるだろう。とりあえず、手話の定義をめぐる論争や、ろう者としてのアイデンティティの問題などなど、問題は山積みなのだ 。 著者の中村かれんは、バイリンガルで文化人類学者、イェール大学...

英語の語彙の豊富さについて:preantepenultimateという単語

昨日の音韻論の授業で、この分野でしか使われないであろう難しい英単語に出会った。 preantepenultimate という単語だ。「最後から4番目以前の音節」という意味だ。 まず、この単語が出てきた文脈を説明しよう。チムウィーニ語(バンツー諸語。ソマリア南部のある町で話される。Wikipedia英語版で 解説 あり。)の面白い音韻規則の話だ。チムウィーニ語では、長母音と短母音の区別がある。日本語で[ato](跡)と[aːto](アート)が区別されるように、チムウィーニ語でも例えば[xkuːla](引き抜く)と[xkula](育つ)が区別される。 しかし、このような長母音(仮にV+)を含む単語にいくつか接尾辞が付いて、V+を含む音節が 後ろから数えて4個目以前になると、そのV+が短母音化する 。これを Preantepenultimate Shortening (名付けて「最後から数えて4番目以前の音節の長母音を短くしろルール」)という(Hays)。 例えば、[dʒoːhari](宝石)に接尾辞/-je/が付くと、[dʒoharije]という発音になる。後ろから数えて4つ目の音節[dʒoː]が[dʒo]になった。ネイティブスピーカーなら決して[dʒoːharije]と言わない。 preantepenultimateは、語幹ultimateにたくさん接頭辞が付いてできた語だ。形態素で分けて書くと、pre-ante-pen-ultimateだ。 ultimate=最後の音節 penultimate=最後から2番目の音節 antepenultimate=最後から3番目の音節 preantepenultimate=最後から4番目以前の音節 というわけだ。 これは辞書に載っているのだろうかと思い、見出し英単語数414万を誇る Weblioで調べてみた ら、しっかり載っていた。しかも、preantepenultimateのさらに一段上、propreantepenultimate(最後から5番目以前の音節)という語まで見つけた。21文字の長大な単語である。 英語は語彙が非常に豊富だとよく言われるが、preantepenultimateは日本語では長ったらしい説明を要する概念を、一語で表しているよい例だ。そもそも日本語に相当する概念が無いた...