<今月の退行> 一 益子焼の調味料入れ
シリーズ物に挑戦してみたい。<今月の退行>と題して、毎月末に、わたくしももせの因習墨守にして旧態依然(そしてひょっとしたらロハス)なさまを少しずつさらけ出したいと思う。つまるところ、刺激の多い今の生活に疑いの目を向けて、ちょっと昔の生活に思いを馳せてみたという話である。 ネタはすでにいくつか用意してあるので、1年を目標に続けたい。第1号は、先日買ってきた小さい壷の話。 焼き物の調味料入れ 先日、塩を入れる容れ物を替えた。 自炊をするので、毎日のように塩やコショウや醤油といった調味料を使う。特に塩は、上京して一人暮らしを始めたときに、小さいビンに詰めてあるのを買ってきて、中身が終わったら他の塩を買ってきて、詰め替えて使っていた。かれこれ3年近く同じビンだった。 しかし2週間ほど前にある本を見、調味料を小さい焼き物の壷に入れる手もあるなアという思いに至った。そういえば、実家でも味噌をあの茶色い壷に入れて使っていた。柳宗悦の民藝運動を知ってから、焼き物のぬくもりは一応理解していたし、ひとつふたつ買ってもいた。(父親の影響で、それ以前にも食器には多少こだわりがあったが。)そう考えてみるとなんだか、今まで使っていた、メーカーの名前の入ったガラスのビンが、どことなく冷たい感じを与えている気がしてきた。 考えてみれば、プラスチックやガラスが無い時代、塩なり味噌なり梅干しなり漬物なり、何でもこういう陶器の蓋物に保存していたのである。もちろん密閉性はないし、倒したらこぼれる。けれども、それは機械の産物ではなく、人の手の仕事である。無機質の透明なガラスのそっけなさではなく、素材の素直な美しさがある。私は、従来の方法に立ち帰ることにした。 調べたら、わりと近所でもそういう蓋物を売っている民芸屋みたいなところはあったので、善は急げと早速買ってきた。(阿佐ヶ谷の 美里 というところ。)選んだのは益子焼の小さい小さい壷。灰色がかった土の地に、わかめ色の縁取りが健気だ。 すでにこれには塩を入れて使い始めている。不便はないし、ステンレスの冷ややかなキッチンに、少しばかりあたたかみを添えている。