2014年11月29日土曜日

物を作ることと売ること

モノを作るなら、いいもんを作れ。
モノを売るなら、いいもんを売れ。



物として多量に生産されるのであるから、美術品ではなく、工芸品であることは疑いを容れない。すでに工芸品である以上、それには工芸品としての資格、すなわち工芸的な用と美への奉仕が条件づけられねばならぬ。多く作られる以上、多くの人の手に渡るのは覚悟の前であり、多くの人がみな書物の愛護家とは限らず、書物をゴム長へ入れて歩く学生も出てくる以上、どんな手荒いあつかいにも耐えるだけの強さと、その強さにマッチする美しさが具わらなければならぬ。1

はんこ

水野の家は昔から一切の宣伝や広告はやらんと決てます。本音はその費用がおへんにゃ。そのかわり、ええもん作れ、で来ました。ええもん作ってさえいたら人が注文してくれるちゅう信念どす。つまり口コミ利用。2

箕(み)

桜であろうが、あるいは籐であろうが、それのしんにして編みますと、こんなきれいな箕ができるわけなんです。これくらいにきれいに作ってあると、上手に使って一〇〇年はもつんです。一〇〇年もつということになると、サンカが同じところにとどまって仕事ができないんです。わけるでしょう。いいものを作ると売れないんです。売れたらあと買うてくれないんです。いつまでも同じもの使うから。修理には歩く。それがサンカを移動させた大きな原因になっている。次々に作って置いていくわけです。それからせいぜい三〇年も経つと、お前のところの箕はどうなったって尋ねていくと、いたんでおる。破れてしまった。そんなら新しいのをどうだってことになるだろうしね。毎年きやしない。で、移動する。こういう職人が日本に多かった。
 この箕を売りに来る連中なんか、三〇年から五〇年にいっぺんしか来なかったというのはこれなんです。三〇年から五〇年くらいをひとつの周期としてずっとまわって歩いている。どこそこへ行ったら、あそこは昔、わしがこの仕事をしたところじゃから、お前行ってみろなんてことになる。いまはね、じつにその点お粗末に作ってある。できるだけこわれやすいようなものこしらえてね。みなさんそれを買わされて、それで一年か二年するうちにもうだめになっちゃう。電気製品なんか買うて、そうしてしばらく使っておって修理しようとすると、もう部品がありません、そんなものだめですなんてやっている。ところが、われわれの過去の時代はそうではなかった。おそろしく丈夫なもの作っちゃってね、丈夫なものを作るのがあたりまえで、そうすると、作るものの側は仕事がなくなる。なくなるから移動しなければならなくなる。しかし、それでお互いの信頼がたち切られたのでなくて、ああ、三〇年ほど前に来たなってことで、それじゃまた仕事をしていけということになる。あれの息子が私ですなんてね。それがこういう精緻なものを生み出させていった原動力になっておったんだと思う。つまり、お互いの信頼がこういうものを作りあげていったんだということがひとつわかります。3

1. 寿岳文章(1973)『書物の世界』出版ニュース社(130ページ)
2. 水野恵(2002)『日本篆刻物語』芸艸堂(186ページ)
3. 宮本常一(2003)『民衆文化と造形 宮本常一著作集 44』未來社(83-4ページ)

2014年11月17日月曜日

書の世界の暗部 大渓洗耳『くたばれ日展』

卒論の資料をコピーしに東京外国語大学の図書館に行ったら、あろうことか私のOPAC画面の見間違いで、目当ての紀要の目当ての号が蔵書になく、無駄足を踏んでしまった。その埋め合わせというかなんというか、空手で帰るのが悔しくて趣味の本を借りてきてしまった。

『くたばれ日展』という挑発的なタイトルである。本書の半年前に出された、同じ著者の『戦後日本の書をダメにした七人』も、並べて置いてあった。そちらは名前だけは知っていたが、著者の主観が激発したそちらより、少しは共感できそうな本書を借りてきた。図書館内のソファで約半分、残りの半分をいまさっき読み終えた。

大渓洗耳(1985)『続・戦後日本の書をダメにした七人 くたばれ日展』日貿出版社


日展というのは日本美術展覧会の略称で、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5分野からなる、日本最大にして最も歴史ある公募展である。他の分野は知らないが、書をやっている人で日展入選というのはもう第一級の称号で、入選を境に、メディアには取り上げられるわ、人からは尊敬されるわ、一躍有名人になれるほどの絶大なパワーを持つ(らしい)。また書壇で権力の座を手に入れるための第一歩でもある(らしい)。

本書は、その日展の書の分野がいかに金と権力にまみれた世界かを糾弾するものである。公平な審査などどこ吹く風、堕落した上層役員による腐敗し切った運営がまかり通っているさまを徹底して叩く。その腐敗ぐあいは、ちょっとよく見れば私のような部外者にも明らかなので、著者の論調は痛快である。著者は書家であるが、日展のたるんだ構造に辟易としてか、日展には出品していない。

本書の発行は20年近く前のことだが、つい去年、書のうちでも篆刻という部門で審査に不正があったことが明るみに出て、ニュースになったのは記憶に新しい。去年の10月30日に朝日新聞がスクープした。話は逸れるが、この朝日新聞というのが気になる。朝日新聞社は毎年「現代書道二十人展」というのを主催しているが、その出品者の面々のほとんどが、日展の顧問、理事、会員でもあるのだ。本当だったらその大御所たちの顔を潰さぬよう、不正報道なんかしないはずである。邪推であるが、朝日関係者に書家がいて、日展に出品してもその閉鎖性ゆえに入賞できない腹いせにリークしたのではないか。

日展の水は古くて澱んでいる。たまに雨水が一、二滴したたる程度である。一滴落ちた雨水で、はね返って、やっと一滴くらい外へ飛び出す程度で、太古の湖のようにほとんど変わらない。たまに半分位新しい水をぶちまけて、でっかい柄杓で掻き廻す人が現われないのだろうか。皆面倒だから黙っているのだろうか。放って置いて損でないように仕組まれているのだろうか。(137ページ)

去年の不正の報道は、まさに「でっかい柄杓」による大番狂わせだった。

報道を受け日展側は組織の改革を行い、今年から「改組 新 日展」という名称で行くようだ。少しはましな展覧会になったのだろうか。去年初めて見に行ったが、今年は今のところ行く予定はない。

書の世界の暗部と惰性に興味があるのなら、本書は一読の価値はある。書道に馴染みがない人も楽しめると思う。ただし本書中の作品批評はどうしても著者の主観によらざるをえないので、そこは話半分で読むべきではある。

2014年11月10日月曜日

日本在来の食生活

タイトルはあえて和食としなかった。和食と言うと、料亭で出すような高級で上品な料理までも連想してしまうからである。もっと庶民的な食事のことを書きたいので、わざと在来の食生活という言葉を使った。

日本人が何を食べてきたかに興味がある。特に、日本の人口の大部分を占めていた、農村、漁村、山村の人々が、何をどう食っていたのか、最近とみに気にするようになった。自分が一人暮らしをしていて、毎日食べるものを自分で考えることができる/考えなければならないからではないかと思う。

けれども、もっと直接的なきっかけは、アズマカナコさんという主婦を知ってからだ。東京郊外に住むアズマさんは、おばあさまの影響もあり、昭和以前の衣食住を実践している。くわしくはこちらのインタビューブログに譲るとして、たまげたのは、アズマ家は2児を持つ一般家庭でありながら、なんと冷蔵庫を使っていないのだという。もちろん、自ら手放したのである。したがって冷蔵や冷凍の要る食品は保存がきかず、すぐに食べてしまうか、別の方法で保存するかしなければならない。

そういう冷蔵庫に頼らない食生活を工夫した結果、和食が一番作りやすかったと、アズマさんは『昭和がお手本 衣食住』で触れているのだ。

アズマカナコ(2014)『昭和がお手本 衣食住』けやき出版


冷蔵技術がなかった当時の日本の生活を再現してみたら、食事はその当時食べられていたものが一番適していたということで、当然というば当然の話ではある。高度経済成長の初期、三種の神器として普及し始めた冷蔵庫が、いかに現代の食生活を多様にしたかがよくわかる。

調味料でいうと、味噌や醤油をはじめ、塩、酢、みりんなどは、常温で保存ができる上、味噌漬けや塩辛など、他の食品に加えれば長期保存させることができる。マヨネーズ、ケチャップ、バターなど、近代以降日本に入ってきた調味料は、冷蔵しなければ傷んでしまうし、食品の味を整えるだけで保存料としては使えない。日本在来の調味料は、日本の気候や食生活に合わせて作られた、便利な調味料なのである。

そういう食事法を少しだけでも実践してみたいと思っている。冷蔵庫や海外の食品を手放す勇気はないが、なるべく頼らない工夫をしたい。

日本在来の食事(法)に対する関心がさらに高まったのは、宮本常一の「すばらしい食べ方」を読んでからだ。これは7月に読んだちくま日本文学の『宮本常一』に収められていた。

宮本が旅先でご馳走してもらったものを短く12章にまとめた文章で、それを読むと色々のことが分かる。日本人は弥生時代の昔から米を主食に食べてきたと思っていたら、実は話はそんなに単純ではなかった。地域によってはサツマイモやサトイモも主食であった。食品だけではない。膳の形式の発展、酒の飲み方の移り変わり、鍋を吊るす地域(自在鉤)と下から支える地域(五徳)の分布など、勉強になることばかりである。また一つ賢くなった、と随所で思いつつ、宮本の文章に一々食欲がそそられた。

昨日、宮本常一著作集の『食生活雑考』を読み終えた。宮本は、日本人の食生活にもかなりの関心を寄せていた。その考察の範囲は縄文から現代に及ぶ。日本全国を旅した宮本は、旅先の泊めてもらった家でご馳走してもらい、そこでの食生活を見聞きして情報を蓄えた。各地の食生活を調べようと思ったら、民家へ行ってそのうちの食事を食べさせてもらうのが一番である。だからこそ、宮本常一にしか語れないことがある。

宮本常一(1977)『食生活雑考 宮本常一著作集 24』未來社

知りたいという欲求は、食いたいという欲望に突き動かされている。