2014年8月14日木曜日

ラブレー『ガルガンチュア』 再訪

2010年の初め、高2の冬に半分だけ読んでそのままだった『ガルガンチュア』を読み直した。16世紀にフランスで刊行された物語で、高校の世界史の授業でも名前だけ出てくる。

夏休みで時間もあるし、読み終えてしまおうと思ってまた手に取った。遠い昔の異国のお話だが、『ガルガンチュア』の(宮下志朗訳の)文体はやはり魅力満点である。

フランソワ・ラブレー(宮下志朗訳)(2005)『ガルガンチュア』筑摩書房


私はフランス古典文学と聞くだけで、背筋が伸びる思いがする。堅くて難しくて厳めしそうである。でもこの話は、肩肘張らずに読むことができてお気楽な感じである。

本編は、巨人ガルガンチュアの生まれの由来に始まり、強健博学なる青年に成長し戦で手柄を立てるまでの半生を描いている。なにせ一々の出来事が桁違いにオーバーで、茶目っ気たっぷりで、時々お下品で、まったくもって気分爽快である。馬の尿で洪水が起こって大勢の兵士が溺死したとか。もう荒唐無稽のハチャメチャである。そこがいい。

でも、大枠での話の筋は通っていて抜かりない。東洋の古典にありがちな理論の矛盾や飛躍もなく、話が脱線してそのままになってしまったり、登場人物や出来事が忘れ去られたままになってしまうことも基本的にない。そこはさすがのヨーロッパ、か、理性が感じられて、安心して読める。

もちろん、ラブレーも好き勝手に滅茶苦茶を書いているのではない。腐敗した神学や宗教的権威への皮肉が、本書のテーマであることも書き添えておく。

だが何よりも、邦訳が大変に愉快だ。原文がそうなのかもしれないが、とても親しみやすい文体で、難しそうなフランス古典文学だが、するすると読めてしまう。文章と内容とがとてもマッチしていて、ときどき吹き出すほどである。そもそもこの文体なしには、読破できなかっただろう。

厚めの文庫である。高校の時にはちまちまと牛の歩みでも読み切れなかったが、今回は最初から読み始めて2、3日で読めてしまった。読むのがまあまあ速い人なら1日で楽に読める。

2014年8月2日土曜日

水野恵『日本篆刻物語』

前々回の記事で、最近素晴らしい文章に3つ連続で出会ったと書いた。『民芸の心』、『宮本常一』に続けて、もう1冊は篆刻(てんこく)という分野の本である。

水野恵(2002)『日本篆刻物語』芸艸堂


大げさを承知で言うと、この本で私の篆刻、ひいては芸術、伝統文化に対する価値観が大きく変わった。陳腐なただの解説書のように見えて、期待を大きく上回った。えらいものに出会ってしまった。

ちなみに、篆刻というのは「印章を彫る事を言います」(3ページ)。印章は、書画の落款印はもちろん、実用の認印・実印・ゴム印までを含む。材質も、石、竹、木、陶器、金属、水晶、ゴムなど様々だ。文字を彫ることもあれば、絵を彫ることもある。だが、篆刻というと最も一般には、石の印材に篆書を彫ることを指す。

篆刻というのは、千数百年前に中国から伝わってきたものなので、本家は中国である。現代の日本の篆刻家は、こぞって中国の篆刻の勉強をしているといってよい。先人の作った名印を鑑賞し、歴史や技術等の学問をし、中国の篆刻の趣を吸収しようと切磋琢磨するのが、近代日本の篆刻の姿である。

したがって日本の古印は所詮中国の亜流であって、見るものは少ないという前提が出来上がっているように思われる。日本流の篆刻は用管窺天、中国のの勉強をしてなんぼ、というのが篆刻の世界では常識であって、私もそれが当然だと思っていた。

だが、まえがきの最初のたった2ページで、その常識が揺らいだ。ガツンと鉄拳制裁を食らったようだった。(著者は本書を通して京言葉で書いている。)

日本の篆刻の古伝道統の本筋をはじめとするいろんな系列が、まるでボクの位置が扇の要であるかのように集ってるのどす。過去の名人芸がどうやって実現したのか、その神業を会得する修行の方法を学ぶのに、こんな結構な座標はおへんやろ。(3ページ) 

日本古来の篆刻の要に位置するようなエラい篆刻家なら、いかな素人の私でも名前くらい聞いたことがあると思うのだが、著者の水野恵という方、手許にある芸術新聞社編『現代日本篆刻名家100人印集』 にも、飯島春敬編『書道辞典』にも出ていない。篆刻(また書道)の世界で有名になるには、全国レベルの有名公募展で賞を取らなければならない。表には出てこないだけで、京都にそんなすごい方がいらっしゃるのか。一体何者なのだ? 伝統を一手に引き継ぐほどの人物なら、とっくに世に知られていてもいいはずだが。これは読み進めるうちに判明する。

そしてもう1点。

なるほど篆刻は中国が本家、日本は分家どす。そやさかい、ボクが修行してきた篆刻の練習過程にも、中国のもんを学ぶ部分はたんとおした。今も学んでるつもりどす。
 けれど、日本が篆刻の分家を樹ててから、もう千何百年かが経ってまっせ。これだけ永い歴史があったら分家は分家なりの、本家とは違う篆刻文化、篆刻芸術を、ちゃんと打ち樹ててます。(3~4ページ)

日本にも誇るべき篆刻の伝統がある、とは、今述べた私の固定観念を正反対に覆す。いや、おそらく日本の書道界を引っ張っているような大御所たちの多くの常識とも対立するような物言いである。日本の篆刻とは何なのか。中国のそれとの違いは何なのだろうか。知りたいことだらけだ。

本書を通じ、印章とは何か、篆刻の歴史、日本の篆刻、京都の篆刻文化、水野家の伝統、いい印のための技術や美学等、多くのことを知ることができ、多くの思い込みを改めた。

最近、篆刻をたしなむ人は少なくない。時間とお金に余裕のある人は、公募展審査員級の有名な先生方に高い月謝を払って、一生懸命になって中国の篆刻を勉強する。そうして中国流の篆刻が引き継がれていく。

日本の篆刻を誇るか、中国の篆刻に範を求めるか、私はそれは好みの問題であるように思う。しかし、印影(印を捺した姿)さえよければ万事よいという風潮はないか。例えて言うならば、紙を漉くには、あの漉きの行程だけでなく、繊維を煮やし、叩解し、黒い樹皮を取り除くなどの数多くの過程がある。捺して見せるだけが果たして篆刻であろうか。一流の技術と、知識と、利き目を持った篆刻家は果たして日本に何人いるだろうか。たしなむ人は増えても、日本の本物の篆刻文化は永遠に消えて戻らないのではないかと危惧する。