2014年4月30日水曜日

<今月の退行> 三 八百屋で買い物、したことありますか

忘れた頃にやってくる<今月の退行>の第3回。<今月の退行>とは、毎月末に、わたくしももせの旧套墨守にして旧態依然(そしてもしかしたらロハス)なさまを少しずつさらけ出すシリーズだ。つまるところ、刺激の多い現代の生活に疑いの目を向けて、ひと昔の生活に思いを馳せてみたという話である。

第3号は、私が最近八百屋さんの良さに気づいてしまったという話


玉ねぎ(5個160円)と鷹の爪(手前が100円、奥が150円)

八百屋のススメ

少なくとも私の世代は、生鮮食品の買い物はまず間違いなくスーパーで済ませると思う。野菜、果物、魚介、精肉、卵などなどが、広いフロアにすべて揃い、しかも安く買うことができる。その利便性は、スーパーやデパ地下の連日のにぎわいが何よりの証拠である。

スーパーに代表されるセルフ式の買い物、すなわち店側は陳列と勘定だけを行い、客は自分で商品を選び出し、レジまで運ぶというシステムが普及したのは、ここ5、60年の話にすぎない。従来は、野菜は八百屋、肉は精肉店といったように、部門別に小規模の個人商店があり、そこで客は商品を選ぶだけで、店主が商品を取り、包装し、買い物かごに詰めてあげるというのが一般的だった。

スーパーの便利さの反面、どんなポストハーベストが施されているか分からない柑橘類や、地球の裏側から輸送されているのにも関わらず格安で売られている肉類には、一抹の不安を感じないでもない。

自分の国でできたものではなく、海外から運ばれてきたものを食べるのは悔しいという、私なりの地産地消の精神が、ここ1年ほどでようやく芽生え、最近八百屋をよく利用している。一人暮らしをしている大学周辺にもあるし、地元の長野県には、市場という名でかなり大きめのものもある。(我が家も枝豆や栗などを出荷したことがある。)買うのはまだ大根、玉ねぎ、じゃがいも、鷹の爪程度にとどまっているが、とにかく八百屋はおすすめだ。安全かどうかは別問題であるとしても、基本的に国産で品質もよいし、以外なことに、安いものが多い。ここだけの話、特に玉ねぎ、じゃがいもはスーパーの半分程度で、利用しない手はない。

まだ顔を覚えられているほどではないが、八百屋のご年配夫婦とのわずかながらのやりとりも特別である。

八百屋のない生活は、もはや考えられなくなっている。ゆくゆくは魚屋や精肉店も利用することになるだろう。

2014年4月22日火曜日

アースデイ・・・『人類が消えた世界』を読む

今日4月22日はアースデイだったらしい。地球環境について考える日とやらだそうで、私もひとつ便乗したい。というのも、ここ数日のあいだ積ん読消化のために偶然読んでいた本が、今日にぴったりだったからだ。

人類が消えた世界 [単行本] / アラン・ワイズマン (著); 鬼澤忍 (翻訳); 早川書房 (刊)
アラン・ワイズマン(2008)(鬼澤忍訳)『人類が消えた世界』早川書房
Alan Weisman. (2007). The World Without Us. Thomas Dunne Books.
(今日読み終わらせた。)

私たちヒトが地球に及ぼしてきた影響は計り知れない。食物連鎖の頂点に君臨する人間は、動植物を獲り、育て、文明を築くために山を切り開き、都市を造った。ここ1世紀の間には、プラスチックや核燃料など、自然には存在しえない物質も発明してきた。人口の爆発で、環境への侵食は止まるところを知らない。

二酸化炭素が気温上昇を引き起こすことは分かっているが、温暖化が「実際に」起こっているかは、立場によってはっきりしない。しかし、フロンの乱用によってオゾンホールが開き、プラスチックのゴミの山で海岸が汚染され、北アメリカに数十億といたリョコウバトが乱獲によって絶滅したのは、紛れもない事実である。

人類は、特に近代以降、どれほど環境を変えてきたのだろうか。そこで、ジャーナリストである著者は、こんな思考実験をしてみることにした。

私たちヒトが、ある日突如としていなくなったとしたら、残された世界はどう変わっていくだろうか。原因が何であるにせよ、ヒトだけが、ほかの環境は全てそのままにして、地球から忽然と消滅したと仮定するのだ。

残された家は、ビルや橋などの建造物は、どれほど持ちこたえるだろうか。自然は、生態系は、どう回復していくだろうか。逆に、人間の消滅によって存続が危ぶまれる種はいるだろうか。農薬や放射性廃棄物などの負の遺産は、後世まで毒をまき散らし続けるだろうか。そして数百万年後、人間並みの知性を持った未知の考古学者は、私たちの文明の痕跡を何かしら発見するであろうか。

プラスチックのポリマー分子を分解するような微生物は今のところいず、光分解も、現実的な時間では完了しない。プラスチックは、ずっと未来までそのまま残り続ける物質のひとつだ。ポリマーをも分解してしまう食欲旺盛な微生物が進化によって現れるまでに、何万年も待つことになるだろう。

50億年後、膨張した太陽が地球を飲み込んでしまえば、人類の記憶はついに綺麗さっぱり消える。否、実は残り続ける。人工衛星ボイジャーは半永久的に宇宙空間を飛び続け、ヒトや地球の情報を収めたレコードを運び続けるし、テレビ塔から発信された膨大な電磁波が、ごく微弱ながら、光の速さで四方八方に広がり続ける。知能の高い地球外生命体の設置したパラボラアンテナが、いつそれを受信しないとも分からない。

荒唐無稽な推測に思えるかもしれない。しかし、チェルノブイリに戻った植生や鳥類、長崎県は軍艦島の崩れゆく鉄筋コンクリートのアパートを思うと、人間の活動の強さと儚さ、そして自然のたくましさに驚かずにはいられない。

贅沢に満ちた現代の生活を多角的に再考する良質のノンフィクション。いや正確には、少なくとも21世紀の日本に生きる私に反省を促す「半」フィクションだ。

2014年4月20日日曜日

日本語は外国人にどう聞こえているのか(動画)

全く知らない外国語は、どのように聞こえるだろうか。例えば、外国語話者にとってスウェーデン語、フランス語、ヒンディ語はどんな感じか。そして日本語は? 私たちが母語として話してる日本語の音声は、どう思われているのだろうか。タタタタタタと、マシンガンのようだという人もいれば、とても単調に聞こえるという話もある(が、個人的な印象の違いもあるし、いずれも噂の域を出ない)。

この動画は、英語母語話者(と思われる)彼女にとって外国語がどう「聞こえているか」を再現していて、とても面白い。(ただし、意味の通った言葉を話しているわけではないので注意。)


『ダーリンは外国人』で有名なトニー・ラズロは、『英語に飽きたら多言語を!』の中でこう打ち明けている。

Si, si。シッシッシッシッシー。「速いな! みんな何をそんなに急いでいるんだ」。子供のころ、ラテン系言語は英語の2、3倍の速さに聞こえていた。とくにスペイン語。[1]

コモ・エスタスなスペイン語がテンポよく聞こえるのは、私にも気持ちはわかる(私のスペイン語の知識は1から10までの数字と、Como estas?だけだ)。しかし、これは彼のフィーリングに過ぎないようだ。発話の速さは言語間であまり違いがない[2]。つまり、速く聞こえるからといって、実際スペイン語の方が英語より速く情報を伝えられるわけではない。

それはそれとして、たとえ表面的なものに過ぎないとしても、やはり言語にはそれ特有の印象というものがある。フランス語の豊かな母音の響き、中国語の音楽のような声調、イタリアーノなアクセント。

次の動画は、プロのコメディアンによるもので、はるかに完成度が高い。


(最初のやりとりの内容:世界中からCEOが集まって、サミットが開かれようとしているのに、通訳が現れない。そこで社員のヘレンが7カ国語への通訳を臨時で買って出ることに。)

最初の動画の人の「なんちゃって言語」は、少し行き当たりばったりな気がするが、こちらの「エセ通訳」は、私(たち)がそれぞれの言語に対して持つステレオタイプを見事に抽出していると思う。

「ふーん。・・・だから何?」

そういうことは聞いちゃいけないことになっている。ユーモアだからだ。エンターテイメントだからだ。ユーモアに理性はいらない。私たちは、胸の内にはステレオタイプをなんとなく秘めている。それがコメディとして目の前に突きつけられると、可笑しく思わずにはいられないのだ。

最後に、チャップリンは、「なんちゃってドイツ語」で演じている。言語のステレオタイプは、風刺にもなる。


[1]トニー・ラズロ(2011)『英語に飽きたら多言語を!』アルク p.22
[2] Roach, P. (1998). "Some Languages are Spoken More Quickly than Others." In L. Bauer & P. Trudgill (Eds.), Language Myth. (pp. 150-158). Penguin Books.(本書は言語に興味のある方に大変おすすめ。邦訳『言語学的にいえば・・・』。)

2014年4月4日金曜日

円の面積はなぜ「半径×半径×π」なのか(英語)

The New York Timesによる、ちょうど4年前の今日の記事を見つけたので、シェア。

「極限まで」 Take It to the Limit - NYTimes.com


なぜ円の面積は「πr2」なのか。厳密な証明は、高校数学の微積分でもかなり後のほうまで待たなければならないのだが、この記事では、有名な図形的方法でもっと柔らかくアプローチしている。

英語も難しくなく、わかりやすく簡潔に解説してあるので教育に最適。

これだけじゃ物足りないので、おまけ。「円周率の音」。

2014年4月1日火曜日

ICU生から任意に選んだ2人がFacebookの「友達」または「友達の友達」である確率は96.3%

ICU生の直感に、ようやく数学の裏付けがとれた。

ICU(国際基督教大学)の学部生から任意に選んだ2人が、フェイスブックの「友達」または「友達の友達」の関係にある確率は、およそ96.3%であることがわかった。

2011年8月撮影

ICUの世界は狭い。学部生は2800人ほどで、マンモス大学の1学年にも及ばない、比較的小規模の大学だ。それゆえ、初対面の人でも、必ずと言っていいほど共通の友達が誰かしらいて、おかげでぎこちない会話も一気に和らぐ。

それが巨大な友達ネットワーク、フェイスブックの世界だと、共通の友達は手に取るように分かる。

数年前の調査だが、ICUは日本でもトップクラスにフェイスブック利用率が多く、かてて加えて、大学の規模も小さいと来た。フェイスブックでICU生の名前を検索すると、友達のそう多くない私でも、ほぼ100%、私とその人との間に何人かの友達がいる。ICUは、本当に狭いのだ。

しかし、それはあくまで経験的なものにすぎない。調査しようとする人も現れなかった。

しかしなんと、2014年のICUの一般入試に、この「ICU版スモール・ワールド現象」をずばり問う問題が出題された。問題文は次のようである。

ICUの学部生から任意に2人を選んだとき、その2人がSNS「フェイスブック」の、「友達」または「友達の友達」の関係にある確率を推定せよ。ただし学部生の人数は2800人とする。また小数で答える場合は、小数第3位まで求めよ。

この問題は、試験科目のうち「自然科学」の「数学」で出題された。正答率は2割に満たなかったという(関係筋)。

これは、「全世界でピアノの調律師は何人いるか?」といった類の、いわゆる地頭の良さを問う問題で、回答に論理性と正当性があれば、細かい値は問うていないと考えられるが、やはりそれらしい回答を出すのは簡単ではない。

私も先日問題を見、統計に長けた友人とフェイスブックの内情に詳しい知人に問い合わせなどもしつつ、3日間に及ぶ計算を行った。その結果、標題の通り、約96.3%という値を得た。ほぼ私の直感に一致する結果である。

詳しい解法は省略するが、値を導くにあたっては、まずICU生の中でフェイスブックを利用している人の割合をうまく推定するところが最初の難関だ(98%あたりでやってみるといい)。また精密な値を求めるには、高校数学をはるかに逸脱する難解なグラフ理論の知識と、計算機が必要となる。

初めは数時間で解けるだろうと高をくくっていたが、問題を解きながら、このような手強い問題に2割弱の受験生が正解したというのは、驚かざるをえないという思いに至った。これは今年の新入生には期待が持てそうだ。それともあまりの難しさに先生たちが情状酌量して、正答基準をおもいっきり下げたのかもしれない。いずれが真実かは、まもなく分かるだろう。

これはエイプリルフールのために書かれたウソの記事です。

タッチパネルの使いすぎで指が短くなった

標題の通り、大変なことになってしまった。まずはそれに気づくまでの経緯を、追って説明したい。

タッチパネルを使うのは、何も私に限った話ではない。いわば、一億総「なで」時代である。

パソコンやスマホ、タブレット端末など、一人何枚ものスクリーンを持っていることが普通になった現代、寝ても覚めても皆タッチパネルを撫でている。タッチパネルに触れない日はないという人は少なくない。

私もその一人だ。スマホなどは持っていないのだが、家にいるとついノートパソコンを開いて、だらだらとブログを読んだりヤフオクを物色したりしてしまう。PCのタッチパッドの上を、人差し指をせっせせっせと走らせる。現代は人差し指酷使の時代なのだ。

タッチパッド

こんなに一生懸命になってモノをこすり続けることは、人類の誕生以来なかったに違いない。指にとって、タッチパネルの氾濫は、ヒトの進化史上の災難と言わざるをえない。

長いページをスクロールするときには、ごめんよ人差し指、と、申し訳ない気持ちにさえなる。人差し指ばかり使うのはよくないと思って、最近は中指も使い始めたが、恐ろしいことに、右手のこの2本の指の感覚が、少し鈍ってきたような気がする。細かな凹凸の違いが、左手に比べて分かりにくくなったように感じるのだ。

ヤバイ、これはヤバイ・・・。まだ21なのに、指先の感覚が鈍ったなんておじいさんみたいなこと言って・・・。

こんなに来る日も来る日もタッチパネルをなでなでしていては、神経だけでなく、そのうち指自体も磨り減るぞ、と何度となく思ったものの、特に対策もせず相変わらず指を酷使していた。

しかし最近、何気なく左右の指の長さを比べてみて、腰が抜けるほどに驚愕した。

左右の人差し指が、はっきりと分かるほどに長さが違っていたのだ。電車の中だったのだが、思わず叫び声を上げた。右手の人差し指が、5ミリほど短くなっていて、それは誰の目にも明らかだった。爪の長さも3分の1ほど短くなっている。

違う!明らかに違う!

タッチパネルの使いすぎでで指が短くなったなんて話、聞いたことがなかった。パソコンでしかタッチしない私でさえこうなのだから、スマホやタブレットも持っている人は、もっと摩耗が激しいんじゃないのか。みんな、うっすらとそのことには気づいていて、今まで隠してきたんじゃないだろうか。

指が短くなる・・・。何だ、これは現代の纏足か!

再生するかな・・・。゚(゚´Д`゚)゚。

タッチパネルは便利だけども、塵も積もれば山となる。わずかな摩擦が蓄積して、私のように指が減るという惨事につながるおそれもある。

今後、タッチパネルに触るときは、保護のため指サックをはめようと思っている。文房具メーカーには、はめても目立たないような指サックの開発が早急に求められる。

これはエイプリルフールのために書いたウソの記事です。