2013年11月24日日曜日

刻字 「氣」

ICU祭に合わせて作った刻字です。合氣道部(氣は旧字体じゃないといけないらしい)の友達に頼まれたものです。高さは45cm。近所の材木屋さんでヒノキの端材を切ってもらった。

4画目が途切れてしまっているのが惜しい。実線が途切れるのはご法度とされている。が、目をつぶっていただきたい。

実はこの字、普通の筆ではなくちょっと変わったもので書かれている。推測してみてください。


彫り終わって紙をはがそうとしているところ

刻字もちゃんとやろうとしたら、ノミや彫刻刀に始まって、いい材木、いい顔料を使わなければならない。どれもあまり売っていないし、第一安くもない。将来お金が貯まったら、かな、と思っている。

2013年11月23日土曜日

臨書 「石門頌」・「書譜」・「松風閣詩巻」

大学の学園祭、ICU祭が11月はじめに行われ、書道部も3度目の展覧会を開いた。規模はとても小さかったが、一応の代表として、達成感はひとしお。来年の目標は、みんな計画的に書き進めて、半切くらいの大きな作品をもっと増やしたいといったところ。書道の基本として、古典作品への尊敬と理解を深めていただくべく、私も努力します。

あと後輩を増やす、ね。

さてさて、私は、臨書3点、刻字1点の合わせて4点展示した。ここでは臨書を紹介させていただきたい。次の記事で刻字を紹介する。

石門頌(2世紀) 半折

高2のときから好きな古隷「石門頌」だ。そんなことよりおそらく、表装がないのを不審に思われたと思う。まったくその通りでございます。このような裸の状態で飾ってしまったことをお詫び申し上げます。

一部

原碑の摩耗の趣をなんとか再現したくて、紙をわざとくしゃくしゃに丸めたあとで書いている。これが邪道であろうことは、百も承知であるけれど。でも気にいっている。

書譜(7世紀) 半折

次は草書の王道、「書譜」だ。「書譜」は高校で始めの十数文字を書いたのみだった。草書はいままであまりやってこなかったこともあり、 原寸で、長めに臨模した。今後さらに勉強したい作品だ。

冒頭部

松風閣詩巻(12世紀) 半折(一部切断)×2

去年も「松風閣詩巻」は書いたが、今年は全臨に挑戦した。これをもって、ひとまずこの作品は一区切りにする。

一部

書道においては古典作品の理解は絶対に疎かにしてはいけないと思う。もちろん真似事しか出来ないのも困りものだが、今の私には相応の創作ができるほどの力量がないから、まだまだ臨書によって文字や筆法を勉強しなきゃいけない。あと知識も。

今後の目標は、草書では「書譜」も続けたいし、原点に立ち戻って、楷書は「雁塔聖教序」(実はやったこと無し)や「九成宮醴泉銘」など。篆書ももっと深めたくて、「石鼓文」をやりたい。

2013年11月16日土曜日

『日本の方言』・『中学生』

柴田武(1958)『日本の方言』岩波新書
日本の方言 (岩波新書 青版 C-100) [新書] / 柴田 武 (著); 岩波書店 (刊)

すごく大雑把に言って、日本語にとっての20世紀は、標準化もしくは画一化の世紀であったが、本書が書かれた50年代は、まだ方言が非常に強かった。地方からのお上りさんが、東京で方言を笑われて、劣等感と恥ずかしさからしゃべれなくなってしまうという「方言コンプレックス」が、問題になっていた時代である。

新書だから、広く浅く易しく書いてある。現代の言語学の理論から見たら、やや未熟なところが全くないわけではない(し、それに統計手法も一部あやしい)が、日本語の地理言語学を学ぶにあたっては、まず読みたい書。

佐山喜作(1963)『中学生』岩波新書
中学生 (1963年) (岩波新書) [新書] / 佐山 喜作 (著); 岩波書店 (刊)

現役教師による、そのものずばりの新書。古い時代の中学校のことなので、現代には参考にならないこともあるが、勉強になることもあった。例のいわゆる「中二病」という、あの得体のしれない発達心理的大イベントについて知れるかと少し期待していたが、そこまで派手ではなかったにせよ、思春期の多情多感で「大人の階段登る」な中学生の心理的不安定が、新書で読める。中学校における教育論。

それにしても先生、強い正義感に駆られてか、学者や役人、政治家やマスメディアにむやみやたらに歯向かっていて、「民主主義」、「民主教育」などの言葉遣いだけ見ても、戦後間もない働き盛りの教師の、進取、新進気鋭の気位がにじみ出ている。

内容とは関係ないが、読んでいて目をみはったのは、当時の中学生の作文の巧さである。巧いなんてものではない。年齢を隠せば、短編小説と見まごうものが1、2あった。お世辞ではない。断じていいと思うが、こんな文章、今の中学生は書けない。大学生ですら、もし自分の日常生活をもとに原稿用紙2、3枚で小説を書けと言われたら、できるものかあやしい。僕は書けない。悔しい。そういう点においては、当時の教育が羨ましいのである。

滝平二郎のカット入り。

田代三良(1970)『高校生』岩波新書
高校生 (岩波新書) [単行本] / 田代三良 (著); 岩波書店 (刊)

それに関連して、『高校生』をいうのも読んでみたが、こちらは、生徒一人一人の内面とか生き様とかを取り上げているというよりは、主に高校の教育制度にかかわる政治的な話であったので、30ページほどでやめにしてしまった。だが、高校のテスト中心主義、競争、序列化のシステムが、いかに生徒の意欲低下、失望に結びついているかを読むと、ちょっぴり怖くなる。つまり高校教育をめぐる問題は、40年以上前から大して変わらずに存在しているというわけだ

教育制度の害悪に対して批判、批判の一辺倒なので、読んでいて少し暗澹な気持ちになるが、高校教育に少しでも疑問を感じていた(ている)人、高校に悪い思い出を残してきた人には、本書は痛快かもしれない。私も大いに頷くところがあった。