2013年10月26日土曜日

『あめりか物語』と「ミケランジェロ」・「京都」・「W・モリス」

永井荷風(2002)『あめりか物語』岩波書店
あめりか物語 (岩波文庫) [文庫] / 永井 荷風 (著); 岩波書店 (刊)

初めての永井荷風。自身のアメリカでの数年の体験をもとにした短編集であり、紀行というより文学作品なのだが、私に文学批評なぞできやしないので、紀行として読ませていただいた。時代は、この前に読んだ『英国人写真家の見た明治日本』と同じく、1900年代のことで、当時のアメリカの様子がわかって面白い。特に、右も左も言葉も分からない日本人移民の、格好のカモのなりっぷりがが切ない。昨今の世に聞こゆる日本人の名など、なかった時代である。彼ら先駆者の粒々辛苦、天造草昧、フロンティア・スピリットがあるのみであった。

『あめりか物語』以降の2週間、読書らしい読書ができていないので、以下、先週と先々週に行った博物館のことを覚え書きしておく。

国立西洋美術館に「ミケランジェロ展」を見に行った。知識は全くないのだが、沢木耕太郎をして感激せしめたところのミケランジェロというものを見てみたいと思った。ミケランジェロは彫刻家だと思っていたのだが、本展は絵画が中心だった。さすがに超有名な作品は持って来られなかったのだろう。私の力不足で、感激どころか理解もままならず、30分足らずで出てきてしまった。行動しなかったことを後悔するより、行動したことを後悔したほうがよいと、昔何かの本で読んだことだと、自ら慰めるのだった。いつか本場イタリアで見るべきだろう。

その足で向かいの東京都美術館に「ターナー展」を見ようと思ったが、予定を変更して東博に「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を見に行った。すごく見たかったやつで、すいていたからだ。知らなかったが、会期2日目だったのだ。前日に始まったばかりだったのだ。平日ということもあって、がらがらで、「洛中洛外図屏風」をじっくりと見られた。

素晴らしかった。荘厳である。壮観である。屏風や襖絵は言うに及ばず、心憎いほどの空間演出に、酔った。胸がすくほどに心地よく歴史の重みがのしかかってきた。圧倒的である。歴史の厚みの中に、呑み込まれるようであった。今までに見たもので5本の指に入る展示である。ために現実世界に戻ったときの落差は大きかった。博物館を出てからの帰りの雑踏を、まったくもって呪った。くそ、山手線は余韻に浸る間さえも許さないのか! あの建物の中では事件が起こっているというのに! 瞬間移動のできましものを。

体育の日には、府中市美術館に「ウィリアム・モリス 美しい暮らし」を見に行った。偶然にこの日は無料観覧日で、すごい人だった。だが展示は良かった。小さいながら充実した図書館もあって、また来たいと思った。

2013年10月11日金曜日

『和紙の里 探訪記』・『インドで考えたこと』・『明治日本』

菊池正浩(2012)『和紙の里 探訪記』草思社
和紙の里 探訪記 [単行本] / 菊地正浩 (著); 草思社 (刊)

和紙工房は日本全国おしなべて廃業が相次ぎ、把握が難しい。手漉きがいまなお続いている工房は、ほとんどの場合、把握されている数より少ない。全国津々浦々を著者が訪れ、自身の目でこんにちの伝承の実際を確かめられたところに、この本の価値がある。

地理的、歴史的な記述ばかりが目立つためだろうか、それとも、著者が和紙の専門家ではないゆえの私の先入観が邪魔したためなのだろうか、文章がどこか味気なく、心揺さぶるようなものがなかった。もっとこう、たとえば柳宗悦の「和紙の教へ」みたいにこまやかな観察眼でもって、紙そのものに対する尊敬を、感動を、伝えて欲しかった。

堀田善衞(1957)『インドで考えたこと』岩波書店
インドで考えたこと (岩波新書) [新書] / 堀田 善衞 (著); 岩波書店 (刊)

この本は前回の記事で書いた『何でも見てやろう』などで言及されていて知った。自然にこの本にたどり着いた感じだ。

この本も古い。だから、まだ中央アジア諸国はソ連に取り込まれているし、ベトナムは南北に分裂しているし、冷戦は続いているし、ネルーは生きている。ICU図書館で借りたが、岩波新書のはずなのにハードカバーであった。推察するに、元々の青表紙がボロボロになってしまったために、製本しなおしたのかもしれない。そのハードカバーでさえ、すでに角が丸まって、背表紙の手書きの文字は読めなくなっているのだが。

ICU図書館の最初期に入れられた本だと思う。この本を読むと、この本を手に取ってきた幾十人の先輩、ひいてはICUの歴史に参加できたようで、ちょっと嬉しくなるのであった。

内容はというと、タイトル通りインドで「考えたこと」であって、「アジア」と「西洋」、日本とインド、多分に文学的、哲学的、政治的な考察が繰り広げられており、本書を一言でまとめることができないでいる。その方面に明るくない私には、批評する言葉がない。之を逃げと謂ふ。

ハーバート・G・ポンティング(長岡祥三訳)(2005)『英国人写真家の見た明治日本』講談社
Herbert G. Ponting. (1910). In Lotus-Land Japan. Macmillan.
英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫) [文庫] / ハーバート・G・ポンティング (著); 長岡 祥三 (翻訳); 講談社 (刊)

またまた紀行だ。しかし今回は外国人による日本滞在記である。そして時代は、一気に1900年代、日露戦争の時代にまで遡る。

ポンティング氏、日本の風景、工芸、人間に盲目的と言ってもいいほどの愛を表明するので、読者としてみれば、安直な歴史ロマンに陥らないようにするのが大変だ。彼は写真家なので美しい写真が多数掲載されているが、視覚への訴えは強力である。言葉を尽くした情景描写は、もはや詩的である。あんまり日本への感激に満ちているので、甘ったるい果物を腹いっぱい食べたときのような、食傷、もしくは面映さを感じなくはない。

残念なことに抄訳なので、原文はもっと長い。惜しい。原文を読めということだろうか。あと訳が巧い。英語を全くと言っていいほど感じさせない。

2013年10月2日水曜日

『何でも見てやろう』・『江戸川乱歩』

小田実(1961)『何でも見てやろう』河出書房新社
(画像リンクは文庫版)
何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5) [文庫] / 小田 実 (著); 講談社 (刊)

先日読み終わった『深夜特急』で、著者が触れていたので、読んだ。

いったいこの本、過去何十年の、何十人のICU生の手で磨かれてきたのだろう。この本を手にとって、ビックリした。ハードカバーの、ひらく側の2隅はすっかり丸まり、その丸まりに合わせて、中身のページも角が取れて気持ちのよい曲線を描いている。ハードカバーも、ICU生の過酷の使用のもとには、中身を保護する役目を果たしえなかったと見える。背表紙も破れており、テープで補強してある。かつての司書によるものと思われる手描きのタイトルが、この本の歴史を物語っている。

この本はよほど人気だったと見える。それにしてもボロすぎて、誰かがこの本を座右の書よろしくかばんに詰めて、世界一周旅行にでも出かけたのではないかという妄想までしてしまった。

本書は、著者がハーバードへ留学したのち、日本への帰途として、ヨーロッパ、中東、アジアを、1日1ドルの、乞食さながらの生活で生きながらえながら、見て歩いた、その紀行である。面白おかしく読み手をつかんだと思えば、一転、えらく真剣に論を立てて、沈思させられた。それゆえ、単純な紀行ではない。また、何らかの形で海外に出ていく人に、この本を薦めたいと思った。

紀行にはまりつつある。『深夜特急』とこれを立て続けに読み、それと同時に、ユーラシア大陸を横断中の友人のブログを一つ読んでいるので、頭の中が少しこんがらかっている。ただしこの状況は満更でもない。自分の中でひとつの統合が出来上がるからである。ふむふむ、1960年ころのイランはああで、1980年ころはそうで、2013年はこうなんだな、ということが分かる。インドはイランほど変わっていない気がするな、とかも分かる。そして、旅行に出たくなる。

江戸川乱歩(2008)『江戸川乱歩』筑摩書房
江戸川乱歩  (ちくま日本文学 7) [文庫] / 江戸川 乱歩 (著); 筑摩書房 (刊)

ちくま日本文学の短篇集。興味はなかったが、日本文学の先生が薦めていたので読んでみた。文学とは本当にごぶさただな、と思ってこのブログを調べたら、なんと最後に読んだフィクションはジョルジュ・ペレックの『煙滅』で、去年の7月だった。1年2ヶ月ぶりだった!