2012年6月30日土曜日

世の中悪いデザインだらけ:D・A・ノーマン「誰のためのデザイン?」

暇なのでもう次の本を読んじゃった。

ここ数か月読みたいと思っていた本だ。

Donald A. Norman. The Psychology of Everyday Things. 1988. (This book was republished with the title of The Design of Everyday Things.)
ドナルド・A・ノーマン(野島久雄訳)(1990)『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』新曜社

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書) [単行本] / ドナルド・A. ノーマン, D.A. ノーマン (著); 野島 久雄 (翻訳); 新曜社 (刊)

蛇口であれ、電話機であれ、VHSであれ、コンピュータであれ、飛行機のコックピットであれ、使いこなせなかったり失敗したりすると、それは使っている本人が悪いのだと思いがちである。しかし、悪いのはユーザーではなく、ひとえにそれを作ったデザイナーなのだ、というのが本書の趣旨だ。

著者はデザイナーではなく認知科学者で、記憶や失敗などのメカニズムとともに使いやすいデザインのあるべき姿を説く。彼の主張は簡単で、数個の基本的な原則が、いいデザインのための条件であるということを言っているのであり、あとはそれを豊富な実例とともに(くどいくらいに)繰り返しているだけだ。だがとにかく本書は一読の価値がある。

身の回りの色々なもののデザインをさらに見てみようと思った次第だ。

2012年6月28日木曜日

もし俺がシューマッハの「スモール イズ ビューティフル」を読んだら

読んだ。とりあえず読んだ!

今から約40年前、1973年にイギリスで出版され、ベストセラーになった評論集「スモール イズ ビューティフル」だ。

E. F. Schumacher. Small is Beautiful. 1973.
F・アーンスト・シューマッハ(小島慶三、酒井懋訳)(1986)『スモール イズ ビューティフル』講談社

スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫) [文庫] / F・アーンスト・シューマッハー (著); 小島 慶三, 酒井 懋 (翻訳); 講談社 (刊)

文庫にして400ページ近い、経済学の本書など、普通だったら絶対に読まない。でも、この前の前に読んだ「第三の波」に「スモール イズ ビューティフル」が登場してきて、そのコンセプトに興味を持っていたのだが、そしたら今度は、この前に読んだ「世界を変えるデザイン」にも、その同じ本書が出てきたのだ! しかも「世界を変えるデザイン」に至っては、本書の考え方がそのベースになっていたくらいだ。先日読んだこの2冊は、全く関係のない興味から読んだのだし、出版年もほぼ30年違うので、かなりの偶然の一致である。私はこの偶然を、「本書を読め」というお告げに違いないと解釈した。

と、いささかセンセーショナルは書き方をしたが、読み終えた今、私と本書は最後までうまくやっていけなかった。最初の数十ページ(数ページ?)で、ついていけなくなってしまった。乏しい理解を承知で言うと、私にとって抽象的に過ぎた。加えて著書のシューマッハは宗教や哲学に明るいときたので、それらに暗い私には、彼の言っていることが基本的にさっぱりである。最初の数十ページで挫折を覚悟したが、運命的な本であるだけに三分の一くらいは読もうと思った。だが、1章が短いせいか、息継ぎしながら読めるため、気づくと半分読んでいた。そのころには、私もかろうじて理解できる内容もあったので、ここまで来たからには読み切ろうと思った。

私の貧相な解釈でいいのなら、シューマッハの意図は、現代経済(学)への挑戦だ。シューマッハは60年代初めから、大量生産、環境破壊、資源の枯渇、間違った開発などからの脱却または転換を説いている。オイルショックと時を同じくして出版されたこうした書物が、世間の注目を集めるのも頷ける。

多方面に影響を及ぼしたベストセラーに向かって失礼だが、本書はやはり分からなかった。ただ、開発に関する章は、先日読んだ「世界を変えるデザイン」の根幹となる理論を展開しており、この具体的実践が「世界を変えるデザイン」なんだと思うと、シューマッハの影響力と妥当性に感心する。

2012年6月23日土曜日

先進国ではなく、発展途上国の人へ:『世界を変えるデザイン』

文字びっちりの600余ページの本の後なので、読むのは軽い軽い。

Cinthia Smith. Design for the Other 90%. 2007.
世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある [単行本(ソフトカバー)] / シンシア スミス (著); 槌屋 詩野 (監修); 北村 陽子 (翻訳); 英治出版 (刊)

世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある [単行本(ソフトカバー)] / シンシア スミス (著); 槌屋 詩野 (監修); 北村 陽子 (翻訳); 英治出版 (刊)

「世界を変えるデザイン」という邦題だが、原題の「Design for the Other 90%」の方が本書の内容を汲み取りやすい。私を含め先進国の裕福な人々が享受してきたデザインというものを、世界の全人口の90%を占める貧困層にも提供されるべきだというのが本書の趣旨だ。

もちろんこの2つのデザインの次元は全く違う。美しさを追求するいわゆるデザインに対して、人々を貧困から救うことを目的としたデザインは、きわめて安価で、丈夫で、収入に直結しなければならない。例えば、農業廃棄物から炭を作れば森林破壊を防げるし、その炭を売ることもできそうだ。水を「転がして」運べば、水汲みの負担を軽減できる。本書はこうした事例を数多く紹介している。

私は先進国のデザインの概念を以って本書を手にとったので、少々予想と内容は違ったが、極貧層への支援の厳しさと難しさを知った。ICUにも開発学の専攻があることだし、入門のコースでも取ってみるのもいいかもしれない。

2012年6月17日日曜日

アルビン・トフラーの大著『第三の波』をやっと読み終えた

I finished reading The Third Wave by Alvin Toffler (originally published in 1980). It’s so long that it took more than a month to read it. I learned a lot.

読み終わった。やっと読み終わった…。

アルビン・トフラー(1980年)『第三の波』日本放送出版協会

著名な未来学者アルビン・トフラーによる600ページ超の大作を読むのに、1か月以上もかかってしまった。

著者によれば、「第一の波」は、約1万年前の、人類が農業を開始し定住生活を始めた農業革命のことを指す。「第二の波」は300年前の産業革命のことを指す。そして、1960年代アメリカを発端として(おそらく2012年の今も)その勢力を伸ばしているというのが、本書のテーマ「第三の波」である。

産業中心主義の第二の波は終わりに近づいており、第三の波が押し寄せている。第三の波は、第二の波と正反対のベクトルを持っており、様々な軋轢を引き起こしている。逆に言えば、無関係に見える現代の諸問題は、第三の波という背景のもとで全て説明がつくのだ。本書は、これまでの第一、第二の波の文明を振り返るとともに、未来に来たるべき第三の波の、いささかポジティブな「総合的考察を試みた書物(9ページ)」である。

私はこういう社会学系はめったに読まない。本書を読んでいて、高1の夏休みに読まされた、見田宗介の『現代社会の理論』とかなり似ていると思ったが、現代社会系は本当にそれだけだ。ではなぜこんな分厚い本書を手に取り、読了するに至ったのか。私が本書を知ったのは、去年の11月に読んだ『情報デザイン入門』で、「生産=消費者(prosumer)」という言葉に出会ったときだ。(その時の記事はこちら。)これはトフラーの造語で、第三の波の文明においては、その生産=消費者が出現するだろうと予測した彼の分析に心惹かれたのである。(この語の意味やそれが出てきた文脈は、話が長くなるので省略します。)それに、政治に恥ずかしいほど疎い身として、社会の過去、現在、未来の趨勢を少しでも知ったほうがいいという動機もはたらいたのだろう。

多くのことを学んだ。産業革命は技術体系、情報体系、政治体系、精神体系に何をもたらしたのか、そして今、第三の波はそれらをどう組み換えつつあるのかを。本書で、社会の構造を考える、一つの枠組みを得た。

原書は30年以上前、1980年に出版されたが、その後一部実現されたこともあれば、まだ実現されていないものもある。当たっていることもあれば、実現が疑わしい机上の空論もある。(当時はソ連も東西ドイツも現役だ。本書のここかしこに資本主義と社会主義の二項対立があったのは興味深かった。)

本書はともかく文明全体の動向を統合的に概観しているため、紙面の都合上「単純化、一般化、それに要約(12ページ)」、さらに抽象化は避けられなかった。(「未来学」と聞いて想像しがちな、例えば空飛ぶ車云々といった、具体的に過ぎる技術革新予言は基本的に皆無。)だが、抽象化がやや行き過ぎているところもまま見られた。例えば「世界中の政治体制が危機に瀕している」と言われても、つかみどころの無い話で、具体的な話も十分に無いまま解決策を示されても、いまいち説得力に欠ける。統合的考察は重要である一方、この点では難しい。

もう一点言いたい。第三の波の記述が長すぎである。600ページのうち、2/3以上が費やされていた。この冗長な記述は、ひとえに、同じ事の繰り返しのせいだ。もう一度繰り返そう。同じことが何度も繰り返されていた。これは、終わりに近づくにつれあからさまだった。簡潔な記述を心がけて欲しかった。

なにはともあれ、勉強になった。本書は、私がこれまで読んだ本の最長記録だと思う。

2012年6月3日日曜日

ICU Midnight Walk:ディズニーランドからICUまで徹夜で40kmを歩く

おとといの晩から昨日まで、ICUのRunnersが主催するミッドナイトウォークに参加した。(去年参加したときの記事はこちら。)今年はディズニーランドから三鷹市のICUまでの40kmを歩いた。

1日21時、千葉県舞浜駅に集合。(来る途中、東京駅の巨大さにたまげた。中央線ホームから京葉線ホームまで、6、700mも歩かされた。)受付を済ませ、9時40分ころ出発! 今年の参加者は4、50人。友達の参加も去年より少ない。

舞浜駅の隣のイクスピアリ

最初のうちはあまり都会ではない。巨大なコンクリートの高架をただひたすら横目に歩く。歩き始めてすぐの10時、東京都に入った。

中間地点の新宿駅まで、3回の休憩があった。11時ころの1回目のときはまだ全然余裕。日付が変わって1時前の2回目のときは疲れが見えてきて、芝生に横になる。2時過ぎの3回目は皇居のほとりで、かなり足が痛くなってきた。ベンチで数分間か寝たら、しばらく楽になった。

1:13、隅田川を渡る

疲れのためか、それ以降新宿駅までのことをあまり思い出せない。ただ歩いていただけだから何も思い出せないのかもしれない。人気のない深夜の高層ビル群が印象に残っている。今年は去年より景色を眺めていなかった気がする。ただ、今回は友達としゃべっていることが多かったので、新宿駅まで、去年ほど疲れを感じなかった。

4時を数分過ぎたころ、新宿駅南口に着いた! 昨日(1日)に受けた授業が2、3日前のことに思えた。足が痛い。

ここからは個人行動だ。ICUまで歩くか、体力に自身があれば走るか、もう無理ならば始発に乗って帰るかだ。私がここで困ったのは、親しい友達がみんな走っていってしまうことだった(Runnersのメンバーが2人いた)。1人で歩くのは危険だし、そもそも精神的にも歩き通せる自信が無い。早く何か手を打たないと、駅に置いてきぼりになる。迷った挙句、数回話して面識のある友達のグループと歩くことにした。

駅近くのコンビニで20分ほど休んだのち、4人で出発だ。

新宿駅からICUまで17km。甲州街道→吉祥寺通り→東八道路→天文台通りだ。去年と同じ道なので、よく覚えている。ここからがきつい。景色がつまらない上、17kmの道のりを数回しか曲がらない単調なコースだからだ。

新宿を出てすぐ、日の出(4:54撮影)

だが幸い、一緒に歩いた初対面の女の子と話が合い、ずっと話していたおかげで去年よりだいぶ疲労を感じなかった。(初めてというくらいに本当に興味が合った。)集中力を歩くことからそらすのは大事だ。

途中、コンビニ休憩で10分ほどジベタリアンしたら、足の痛みがどっと来てしまって、硬直したようにも感じた。このくらい疲れると、下手な休憩はかえって逆効果だ。

2時間歩いて、やっと交差点を曲がる。その少し後、すべり台のある空き地で休み、7:45くらいから、しりとりを始めた(5文字以上、固有名詞禁止という縛りで)。そこからまた1時間以上歩き、やっと知っている道に出た。この頃の自分の頭の中:しりとり、しりとり、しりとり、足が痛い、しりとり、頭が働かない、しりとり、また「い」かよ、また「う」かよ、「る」やめて……。

気付いたらICUに来ていた。9:15、ゴールのスポーツクラブハウスに着いた!

ゴールした暁には、熱々の豚汁が待っている。力なくベンチに腰掛け、豚汁をすする。気付けば走って先にゴールした友達が寝ている。彼らは私たちより2時間(あれ3時間だっけ)早く着いたしたみたいだ。豚汁をもう1杯いただいた後、私も床で数十分寝た。10:15あたりだろうか、拍手の音に起きた。最後の人が到着したらしい。豚汁をさらに少しもらい、ぼーっとして、10:45ころ、痛みの噴出したつま先をかばいながら、徒歩で家路につく(自転車は駅だった)。

帰ってシャワーを浴び、偶然東京に来ていた両親と昼ごはんを食べた以外は、ほとんど何も出来ず、あとは死んだように眠っていた。これを書いている翌日の昼も、いまだに頭がよく働いておらず、昨日の記憶もいまいちはっきりしない。さらに、うるさい幹線道路沿いを大声で話し続けていたためか、のどが痛い。なぜか知らんが、鼻水も出る。

さて、まとめよう。今年は去年並みに疲れた。だけどそれは終わってからの話で、歩いている最中はかなりしゃべっていたおかげで疲れをあまり感じなかった。とにかくそれだ。友達との交流というのもミッドナイトウォークの目的の一つだが、それは去年より達成された。

DATA
歩行時間(休憩含む):約11時間30分(21:40 – 翌9:15)
摂取水分:約1.5L
歩数:1日は16531歩、2日は46710歩(日単位で計ったのでミッドナイトウォークの歩数はこれより少ない)